テーマ:生き方上手(647)
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昨夜テレビをつけたら、三島由紀夫の対談メッセージが流れていました。
彼は言った・・・ 「人間は、自分だけのために生きて、自分だけのために死ねるほど 強くはない。 だから、大義が必要となる」 それを聴いて、ドキッとしました。 ボクは、いつも、感じています。 「自分だけのために、生きて、死ぬコトが出来る人は ある意味、羨ましいなぁ~」 と。 人のために 他人に尽くして 世の中が良くなるように ・・・こう言った様々な思いは、時として美しくもあるが、 見方を変えると、自分自身では完結できない『愛のサークル』のエネルギーを 他人から奪おうとする行為のようにも感じてしまうのです。 自分を愛するからこそ 人を愛せる 自分が満たされているから 人を満たせる 大義・・・ 自分の存在意義だよネ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
そうだね。自分の存在意義。
誰かのために、何かのために、自分の存在意義を必要としているとしたら、 心のどこかで自分自身に対する無価値感を感じていたり、 自分自身で自分のことを認めてあげられないから 誰かに認めてもらおうとしているかもしれないなって 私は感じています。 それが、きっと快適マネー生活さんがおっしゃる『奪う』なんじゃないかなって感じています。 自分自身で、自分のことをいちばん必要としたり、自分のした何かに対して、自分がいちばん認めてあげられるように。 そんなふうに生きていたいな。 だって、自分の人生をいちばん輝かせる可能性をもっているのは 自分なんだものね。 自分の気持ちがどこにあるのかを、自分でちゃんと見ていたい。 自分がどこに行きたいのかがわかったら、 どうしたら行けるか決めて、行くだけだものね。 誰かのために何かをすることも 自分のために何かをすることも 目的はみんな、自分の幸せ感を手に入れることだと思う。 どんなふうに生きていても、どんな道を選んでいても、 みんな自分が幸せ感を感じるために、自分のために生きているんじゃないかなぁって、私は思うのです。 (2006年05月07日 12時34分09秒) |
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