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清河八郎顕彰会のブログ

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2023年06月07日
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カテゴリ:清河神社
マル​平成25(2013)年に、それまで5月5日に開催されていた例大祭を、八郎の祥月命日である5月30日に変更してから10年経過しましたが、雨の影響を心配したのが初めてとなった令和5年5月30日(火)清河神社例大祭を斎行しました。天気は少し肌寒く感じられましたが、雨は降らずまずまずの天候で役員一同胸を撫で下ろしたところです。

▼前日に神社役員で準備を行っております。


▼渡邊和能神社責任役員代表の開式の言葉があり、最初に祭典開始の合図になる打鼓の軽快なリズムが拝殿に響き渡ります。


▼次に、祭神を迎える前に​​​参列者の穢れを清める修祓の儀です。


▼祭神を迎え入れる為の
一拝に続き本殿の扉を開ける開扉、降神の儀から、「お~ぉ~、お~ぉ~、お~ぉ~。」と低い声が響き渡る警蹕の儀です。


▼祭神に食事を捧げる神饌の儀に続き、正木尚文宮司の祝詞奏上です。

​​​▼祝詞奏上に続いて
​日本九重流詩吟学会庄内支部の皆さんによる奉吟です。

​​​​​​ 吟じたのは総伝八段範師​土門登洲氏による、八郎辞世の和歌となった「魁てまたさきがけん死出の山 迷いはせまじ皇の道」。
 それに妻お蓮の死を慎んで詠んだ「さくら花 たとひ散るともますらおの 袖ににほいを とどめざらめや」と、
庄内支部長総伝八段範
相馬角洲氏による、​九重流三代宗家作「祭神 清河八郎に捧ぐ」です。​​​

日本九重流詩吟学会庄内支部総伝八段範​師土門登洲氏
​​​​

​日本九重流詩吟学会庄内支部長総伝八段相馬角洲氏


▼奉吟に続いて参列者による玉串奉奠です。
 最初に渡邊和能清
河神社責任役員代表


▼佐藤真哉庄内町教育長


​▼菊池大二郎 船山康江参議院議員秘書​
​​

▼渡部伊君子庄内町議会議員


▼橋本政之株式会社荘内日報社代表取締役社長


▼鈴木富士雄最上峡芭蕉ライン観光株式会社代表取締役社長代理


▼加藤淳新釈清河八郎伝著者


▼水野貞吉公益財団法人荘内南洲会理事長


▼柿崎佳織立川中学校教頭


▼清野義勝元立川町長


▼小野寺雅昭清河八郎研究会会長


▼小野由雄湯野澤温泉地蔵の湯(鶴岡市議会議員)


▼柳川泰善清河八郎関係史料調査員(清河八郎生家菩提寺金華山歓喜寺住職)


▼菅原善一清河八郎妻お蓮生家子孫


▼渋谷俊雄清川地区自治会長会会長


▼玉串奉奠の後は昇神の儀に続き参列者全員で一拝です。


▼最後に打鼓が行われ祭典を終了しております。


▼式典の後に斎主である正木尚文宮司の挨拶がありました。


▶ 挨拶概要
  ここ3年間は、新型コロナウイルス感染拡大防止の為できなかった従来通りの方式を今年はやることにした。
 清川には「賽の神」という子供の正月行事があるが、一時期、学校から唱えごとがよろしくないと異議があり中止したことがあった。すると夏に風邪が流行り、「賽の神」をしなかったことが原因ではないかとなり、石灰を巻いて「賽の神」を行い蔓延を防いだ。今はコロナから振り回されている様に感じる。
 一昨年に危険であった大鳥居の修復工事を行うことが出来た。皆様の御支援に改めて感謝します。
 清川の人達にとってこの神社は「八郎様」と呼ばれて親しまれ、子供の時は素晴らしい社殿の周辺でよく遊んでいた。当時は生家齋藤家の財力のお陰もあったが、これを継承していくには人口減の清川地区には厳しいものがある。清河八郎顕彰会を中心に頑張っていきたい。

マル以上で式典の部は終わりその後直会に入りますが、その様子は後日報告致します。

 































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最終更新日  2023年06月07日 10時59分08秒
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