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カテゴリ:武術・格闘技
マニアの中で時々話題に上るのが 「人間が神によって造られた物ではないとする証拠の一つに、網膜神経節細胞の存在があげられる」 というネタ。 なんでも、視細胞と視神経の間にあるなら分かるが、人間の場合、それが視細胞の前にあるのだとか。 とすると、目から入った映像がわざわざ別のルートを遠回りしてから脳に認識されるという面倒が起きているのだそうだ。 よって、こんな不完全な機能を万能である神が創るわけがない!というのがごく一部の間では定説となっている。
が、近年この網膜神経節細胞にスポットが当たり始めたらしい。 「近年,網膜の変性疾患により失明に至った患者に対する"人工網膜移植"の臨床試験が行われ,眼内/外の移植電極からの細胞外電気刺激により網膜神経節細胞を活性化することで,ある種の視覚(光覚)を回復させ得ることが示されるようになった」 以上 細胞外電流刺激に対する網膜神経節細胞の空間的応答特性 : バイオフィジックスモデルを用いたシミュレーション解析(医・工学連携における新しい計測・解析技術開発への期待) 社団法人電子情報通信学会の論文より抜粋
というわけで、結局、網膜神経節細胞の位置が悪いという点は変わらないが、謎の機能を残しておいてくれたという意味では、神もイタズラ好きというか、おちゃめなのかもしれない。
前置きが長くなってしまったが、今日書きたいことはそんなことではなかった。
武術的な見地から見て、相手の攻撃をよく見るという事は全然重要ではない。 というのも、視神経に集中すると聴覚が衰えるというのはれっきとした事実であり、自分の身体の可能性をわざわざ低くすることにつながる。
であるから、視点を定めず古来から言われるような「遠山の目付け」という相手の背後の景色を観るかのような視線で相手と対峙するのが望ましい。
人間の反射は視点の隅で捉えた動きにこそ、機敏に反応する。
凝視する、集中する、がすべてではない。
まあ、目だけに頼っていてはいけないわけだ。
眼球よりも、手のほうが早く動く。
これだけでもすごい事実だということに感謝。
きょうのBGM 「君を忘れない」BY松山千春
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