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カテゴリ:本・音楽・映画等
会社で昼飯を食いながら日経新聞の「文化」欄を読んでいた。
いきなり話が逸れるが、日経新聞の文化欄はバカにできない。おなじみ『私の履歴書』も読みごたえがあるが、絵画のセクションもなかなかマニアックである。 …で、文化欄によると、今年は三島由紀夫の生誕80周年だそうである。なんでもそれにかこつけて神奈川のどっかで「三島回顧展」のようなことをやっているらしい。35年前にミシマ先生が自決せずに仮に平均寿命まで生きたとしたら、昨年か今年あたりに成仏していたわけだなあ。 オイラのいちばん古いテレビの記憶は、たぶんミシマ先生の自決のニュースである。当時4歳だったオイラは、知らないオジサンが大勢の制服を着た人たちにヤジられながら絶叫調の演説をしているシーンをたしかにテレビで見た記憶がある。成長してミシマ先生の小説などを読むようになってから、あのとき見たシーンはミシマ先生の自衛隊襲撃-自決のニュースだったんだなあ、と思った。 あんまり関係ないが、この前の日記(詩を書く中年)は、ミシマ先生の短編『詩を書く少年』のパロディのつもりであった。多くの長編・中編小説で知られるミシマ先生だが、新潮文庫の「鍵のかかる部屋」(←この標題の短編もとてもカッコイイ)に収められているこの短編は、オイラが偏愛している数々のミシマ先生の短編のひとつである。 17歳で『花ざかりの森』を発表し、20歳になる前にすでに処女小説集を出版していたミシマ少年だが、10代後半になって小説を書き始めるまでは「天才詩人」として知られていた。やがて主席で卒業することになる学習院高校の文芸部の同人誌に、中学生のころから詩を寄稿し、先輩や教師から絶賛されていたのだ。ミシマ少年自身も自分の天才を自覚し、神童としてラディゲのように夭折することを信じていたが、やがて「自分は詩人ではなかった」ことにある日ふと気づき、詩作を止めてしまう…というのがこの自伝的短編のあらすじである。 オイラ自身は決して若いころに(バンドの曲の歌詞を除けば)詩作にふけった経験はないが、10代の頃はファッションでランボーの邦訳を、しかもいろんな訳者のものを読み漁っていたことがあった。ランボーもそうだったが、詩だの小説に感動すると、その作者について知りたくなる。そして、その生きざま(&ルックス)までがカッコ良かったりすると、相乗効果で「ファン」になってしまう。一方で、ベルレーヌや夢野久作や稲垣足穂みたいに作品はなかなかカッコいいが本人がダサダサだったりすると、作品への傾倒も半減してしまうものだ(笑)。 三島由紀夫はオイラが心の中で「先生」呼ばわりしている数少ないお方のひとりだが、先生の小説には若い頃本当に世話になった。湧き上がる「内なる欲望」などなければ、「観念」で生きればいい。「表(仮面)」があるのは「裏(本物)」があるからであって、仮面の下がのっぺらぼうであれば、仮面はもはや本物なのだ。観念で生きて、観念で死ね。仮面はオマエ自身にほかならない。 …なーんてことを確認するために、この年になっても年に1回くらいミシマ先生の小説を読み返すこともある。オイラの人生観・世界観は『午後の曳航』を読んだ10代の頃から過去20年変わり映えしていない(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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