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カテゴリ:たわごと・仕事・愚痴
ウチの職場の日本人(40代独身女性)に、「言いたいことは何でも言い放題」の人がいる。女性なのでさすがに容姿などについては“言いたいこと”を多少遠慮しているようだが、性格的なことであれば本人に正面切ってズバズバと言いたいことを言うのである(もしかしたら本人はあれでも遠慮しているつもりなのかも知れないが)。
オイラは人間が出来ているので、彼女からこれまで「肝っ玉が小さい」とか「甲斐性がない」とか言われたことがあったが、とくに傷ついたことはなかった。 しかし先日、何気なく言われたひと言に初めてショックを受けた。 「いろんなことをやったけどどれも中途半端で大成できなかった人」と言われたのである(笑)。 おまけに、その後で「あれ、図星だった?」「だってそうでしょ?」とまで言われた(笑)。 そう、それはまさに図星だった。自分はたしかにこれまで一貫性なく色んなことに手を出してきて、いずれも中途半端で止めてきた。ただ、その点は“百も承知”なので、他人に指摘されても何も感じない。しかし、最後の「どれも大成しなかった」のところは、これまで自覚のない盲点&急所であった。 自分の中では、それらの「いろんなこと」に手を染めてはやめてきた理由を、「飽きて止めた」とか「先が見えたら興味を失った」という見方をしていた。しかし、それを他人の目から見たとき、「大成できずに挫折した」と言われれば、たしかにその通りなのであった。 そして、この「大成できずに挫折した」という響きと、40歳のオイラの現在位置、すなわち、それ以上の昇進の意欲も可能性もない“中企業の中間管理職”という立場を重ねてみた時、これまで思ってもみなかった「社会の敗残者としての自分」の姿が浮かび上がってきたのであった(笑)。 これまで「何を言われても、自分がいちばん承知していて納得もしてるから、傷つきませ~ん」という顔をしていた冷たい心を持った自分に、こんな意外な“急所”を発見したことは、なかなか新鮮であった。そして、オイラの冷たい心を動かすような「言いたいことを言い放題」の人が周りにいることに、ちょっと感謝したのであった。 考えてみると、世の中の圧倒的多数は「言いたいことがあっても遠慮する」人たちが占めているおかげで、我々は日ごろ「他人が思っているホンネ」を耳にすることなく生きている。とくに、年をとったりエラくなればなるほど周囲の人はみんな遠慮するようになって、誰も“耳に痛い”ことをズバリと言わなくなってしまう。 だから、彼女のような「言いたいことを言い放題」の人の存在および発言に対しては、「傷つけられた!」なんて甘えたことは言わず、むしろみんなで尊重し奨励すべきだとオイラは思うのだ。 ただ、実際問題、我々が毎日を平和に過ごせているのは、お互いに「この無能が!」とか「ウスノロのデブが!」とか「人間のクズめ!」とか言った、お互いに対する率直な感想を口にせずにいるからであって、誰もが「言いたいことを言い放題」になったら、それはそれで問題だとは思う。仮に、お互いに“率直な感想”を遠慮なくズバズバ言い合うようになれば、きっと殺人事件は3倍、傷害事件は5倍、鬱病患者や自殺者人口は今の10倍くらいに増加し、殺伐とした世界が到来することは間違いない(笑)。 ちなみに、オイラ自身は前にも述べたとおり「人間ができている」ので、性格的な欠陥などを遠慮なくズバリ言われても、だいたいは平気な顔をしていると思う。たとえば以下のような指摘である(以下、言われても平気な順)。 - 「不精者」 - 「非常識」 - 「冷たい心の持ち主」 - 「デリカシーがない」 - 「話のフリが長い」 - 「田舎者」 - 「下品」 - 「ケチ」 - 「傲慢」 - 「自己中心的」 - 「頭がおかしい」 一方で、以下のような点は自分でも多少は気にしているため、言われた相手次第では気にするかも知れない(以下、言われても平気な順)。 - 「だらしがない人」 - 「ダサい男」 - 「中途半端」 - 「小心者」 - 「頭が悪い」 - 「気味が悪い」 - 「子供っぽい」 - 「自分が見えていない」 さらに、以下のような点になると、自分でも認めたくないような弱点を突いているので、オイラに繰り返し言い続けたら胃に穴が開きやがて死ぬかも知れない。 - 「暑苦しい」「むさ苦しい」 - 「生理的に受け付けないタイプ」 - 「存在自体を認めたくない人間」 - 「畸形みたいな顔」 ただし、上記のような弱点を実際に言われれば、オイラもきっと相手の率直さに倣って、「生きてる価値のない人間のクズ」とか「誰からも愛されない社会のゴミ」とか「みんなから死ねばいいと思われている鼻つまみ者」いった忌憚ない感想を返させてもらうであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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