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カテゴリ:思い出話
先日のNHKスペシャル『ラストメッセージ』は最高でしたねみなさん。
世界5大陸最高峰単独初登頂、エベレスト日本人初登頂、北極点犬ゾリ単独行などといった数々の超人的な偉業を成し遂げた“世界のウエムラ”先生なのですが、実に謙虚なステキな方だったですね。 その偉業をイバるどころか、「何かスゴイことをしたという気は全然ないんです、社会の落ちこぼれに過ぎない自分が、やりたいことをやっているだけなんです」と語るその笑顔はホトケのようでした。 この番組を見るまですっかり忘れていたのですが、ボクが高校の頃なんとなく「世間からのドロップアウト」を志向し始めたのは、植村センセイにインスピレーションを得たものだったのです。 文明社会というのは所詮ニセモノ、マガイモノであって、基本は“自然”にあるということを、ボクは植村センセイに学んだような気がします。単純にいえば、社会とか道徳とか文化とか文明とかいうのは「生きる上で便利な道具」であって、まずベースにあるべきなのはこの自然の中で生存を確保(サバイブ)するための知恵と勇気と能力だということです。 それを忘れてカネだのモノだの地位だのいった表層的な部分のことで苦悩したりするのは本末転倒だということをボクは当時学び、放浪を始めたのです。 これもすっかり忘れていたことなのですが、当時ボクは植村センセイに関する新聞や雑誌の記事を切り抜いてはスクラップ・ブックを作っていましたそういえば。ボクがこれまでの人生であんなものを作ったのは、たぶん三島センセイと植村センセイくらいだったと思います。あ、あと、アルチュール・ランボオのもちょっと作ったか(照笑)。 だから、高2のときに植村センセイのマッキンリーでの遭難のニュースを聞いたときは、とてつもなくショックだったものです。 ところでボクがこの番組を見ていてドキッとしたのは、植村センセイが大学を卒業するなり就職を断念して渡米していた…という経歴が語られたときです。 ボクは自分が大学4年次に就職活動を放棄し渡米を決意したとき、植村センセイのことなどこれっぽっちも頭になかったのですが、もしかしてあの選択は植村センセイのことがどこか意識の底にあったのかも知れない…と思い、自分の人生に対する意外に大きな植村センセイの影響にちょっと驚いたわけです。 植村センセイも、渡米して農場労働で稼いだカネを持ってヨーロッパを放浪したり、アフリカに渡ってキリマンジャロに登ったりしていたのでした。おまけに学生時代からずっと体力維持のために毎日10キロジョギングしていたらしい。なんだかボクがこうして真冬にアラスカに行ったりキリマンジャロに登ったりマラソンしたりしているのって、もともとのルーツは植村センセイにあったのかなあ...なんてあらためて感じてしまうのです。 考えてみると、植村センセイがマッキンリーで遭難死したのは43歳のときです。三島センセイは45歳没。テキトウなサラリーマン生活を続けているうちに、ボクが高校時代にスクラップ・ブックまで作った師匠たちがこの世を去った年齢に、あと数年と迫ってしまいました(笑)。 まあ、植村センセイのおっしゃるとおり、スゴイことをやる人は別に世間をあっと言わせようとしてやるわけではなく、やりたいことをやっていたら、それに世間が感動・感激した...というだけなんですけどね。 この番組の最後には、リヤカー引いて世界の大陸を横断しているあのオッサンをはじめ、厳冬のシベリア自転車横断野郎など、歴代の「植村直己冒険賞」受賞者が登場していましたが、みんな凡庸なルックスをしたただのケッタイなオッサンやオバハンでしたね。 ただ、この人たちに共通しているのは、植村センセイと同じ子供のような笑顔の驚異的な美しさです。 ボクも日本出張中に膨大な仕事に追われたり、アノ新しい上司にイビられて眉間にシワが寄りがちになったら、キリマンジャロの頂上とか真冬の北極圏の静寂を思い出して、植村センセイのような超越者たちのあの笑顔を心掛けたいと思いました。おわり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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