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カテゴリ:たわごと・仕事・愚痴
中年になってからというもの、「ヒゲを剃る」などといった用がない限り、鏡を見ることがすっかりなくなってしまった。
むかしは応援団幹部長をやっていたりバンド野郎だった関係上、衆目にさらされることが多く、それなりに鏡を見ている時間は多かった。 20歳ちょっとまでは、鏡の中のどアップの顔をいろんな角度でジロジロ見ては、「もう少し眉毛の角度が釣り上がっていた方が迫力があるな(応援団時代)」とか、「もう少し鼻が尖っていた方がアブナイ感じが出ていいな(バンド時代)」とか、違った顔をいろいろ想像しては満悦していたものである。 40も過ぎて、しかも外部の人と接触する機会がほとんどない仕事をしていると、自分がどんな顔をしていようがもはや無頓着そのものである。鏡の中の自分の姿になどまるで興味がない。20歳頃までの強烈なナルシズムがどこに行ってしまったのか、まるで憑き物が落ちたかのような感がある。 ただ、たまにしか鏡を見なくなった結果、変化には気づきやすくなった。たとえば、白髪の増加などは特に分かりやすい。 そういえば、さいきん鏡を見ていて気づいた変化は、“顔の締り”である。 年をとれば引力に屈して目尻とか頬とか眉毛とか口元とか、顔のパーツが“下向き”になってくるものだが、最近はむしろ以前より“上向き”になっている。簡単に言えば、「緊張感のある厳しい顔つき」になっているような気がする。 おそらくトライアスロンのせいだと思う。トレーニングによる身体的な変化が顔にも現れているということだろう。体が締まってくると同時に、顔も締まってきているのではないか。まあ、他人に言わせたら「何も変わりない」と言われそうな気もするが(笑)。 身体の方は、シャワーを浴びるときなどに、見るともなしに見ているが、顔と違って他人の目にさらすことがないので、むかしからあまり注意深く見る習慣はない。 ただ、「腹が出てきた」とか「胸筋がついてきた」とかいう違いは一見して分かるものである。 昨日の日記にも書いたが、トライアスロンを始めて以来上半身がガッシリしてきた。1日おきに1~2キロも泳いでいるのでまあ、当然であろう。腹筋に至っては、筋トレをしているわけでもないのに薄っすらと6つに割れている。これはもっぱら自転車の影響であろう。まったくナルシズム抜きで、「身体だけなら20代で通るよな」などと思える若々しさではある。 ただ、20代の頃と異なりもうリビドー自体が枯渇しているので、鏡の中の自分を見てホレボレしてしまうようなことはもうない。鏡を見ながら「もう少しどこどこの筋肉がついたらいいのに」とか「どこどこの肉が落ちたらいいのに」といった願望をまったく伴わないのが、若い頃と根本的に異なる点である。 そういう意味では、老年の入り口にありながら、自分の身体にはその機能といい形状といい、満足していると言える。これはある意味「鏡要らず」の境地なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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