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カテゴリ:今日の出来事
22年前の夏、ボクやJを含む大学の美術サークルの部員30名弱は、日本海側のとある海岸町で4泊5日くらいの合宿をしていました。合宿とはいっても、海景をスケッチしたりするのは数時間程度で、あとは海で泳いだり観光したり、夜は飲んでゲームをしたり、明け方近くまでダベったりといった毎日でした。
3日目であったか4日目だったその日の午後もみんなで海に出て、波打ち際やら海中やらで各自が好き勝手に遊んだ後、一旦海から上がって砂浜でスイカ割りを始めました。部員のひとりがふと『あれ、Jくんは?』と言い出したのは、みんなが海から上がってもう30分は経っていた頃でした。各自、周りを見渡してみると、確かにJはスイカ割りの輪の中には居ません。盛り上がっていた輪がは一瞬にしてシーンとなり、部員たちは手分けをして彼を探し始めました。 1~2時間後、Jは砂浜から20mくらいの沖合いで死体となって発見されました。 当日は前日に比べ波がやや荒かったため、誰もが何の疑いもなく、Jは溺死したものと思っていました。一方、誰もそれを口にはしなかったものの、Jがいないことに30分以上も誰ひとりとして気が付かなかったという罪悪感を、部員の誰もが抱いていました。 というのも、誰しもが『Jの不在にもっと早く気が付いていたら、彼は助かったのではないか』とか、『私たちがスイカ割りなどをして楽しんでいる時、Jは人知れずひとりもがき苦しんでいたのではないか...』と心の中で思っていたからです。 ボクも同様の罪悪感を抱いてはいましたが、一方で、Jの死因が溺死だとは思えませんでした。その理由は、Jを水中に発見した時、彼が水中メガネをふつうに掛けていたままだったことと、彼が発見された後で救助員が人工呼吸を試みてJの腹部を押した時、口からは海水がほとんど出て来ずに、すぐに胃からの吐瀉物が噴出してきたからです。それに、そもそもホントに溺れていたのであれば声を上げるなり何らかのSOSサインを出したであろうし、周りで泳いでいた20人以上もの部員の誰もがそれに気付かなかったとは思えなかったからです。 ...だとすると、死因は心臓マヒでしょうか。しかし、Jが心臓になんらかの持病を抱えていたというような話はありませんでした。 そんなことを、部員の一部に話したとき、ボクは、Jが死ぬ前の晩、気分がすぐれないと言って早めに床に就いた...という話を聞かされ、Jの間接的な死因を作ったのはボクだったのでは!と気づいて慄然としました。 というのは、前の晩ボクたちは「肝だめし」と称して、部員がひとりずつ数分おきに旅館を出発し、海岸近くの岩場の上にあるお宮(祠)へと向かい、岩場の階段を上ってそのお宮のお供えのところにあらかじめ人数分並べておいた火のついたロウソクを1本取り、岩場の下にある墓地を通り抜け、墓地の傍の広場に再集合する…というゲームをしていたのですが、このゲームの途中、ボクは、ちょっとこのイベントを盛り上げてやろうかというイタズラ心があったからかも知れませんが、お宮でロウソクを取って墓地を通り抜ける途中、墓石の間で何気なしに座り込んでしまったのです。 ボクの次の順番はJでした。 お宮の階段を降りてきたJは、はじめは墓石の間に座り込んでいるボクに気付かずに通り過ぎようとしました。でも、彼の目の端は何かを捉えたらしく、『そんなハズないよな...』といった表情でちょっと歩速を緩めて墓石の間に目を向け、そこに人型のものが座り込んでいるのを確認して、目を丸くして心底驚いていました。 別にJはそこで失神したわけでも、飛び上がって絶叫したわけでもないのですが、気分が悪いと言って早めに床に就いたということは、あの時のショックがJの心臓にダメージを与えていたのではないか…と思ったわけです。 2浪の末に大学に進学し、美術サークルでは絵心のある写実的な力作を描いていた彼の前途洋洋たる人生を21歳で絶ってしまったのは、自分かも知れない…という考えは、その後も忘れ去ることはなかったのですが、なにせその翌年に親友Hが自殺したことのショックと自責の念のほうが大きくかつ永続的だったために、Jのことはつい意識の底に埋もれてしまいがちだったのです。 それが、22年後の心臓病棟のベッドの中でJのことを思い出した途端、生前の彼の姿が目をつぶったボクの頭の中にクッキリと浮かび上がってきて、鼓動がエライゆっくりになり、先週の土曜のトレーニングの際に経験したようにバクン…、バクン…とゆっくり脈打ち始めました。そして、「やっぱりあの時のJの間接的な死因はボクだったのか…」と思いました。ただ、脳内に浮かび上がったJの姿に対してはまったく恐れも感じなければ、罪悪感のようなものも感じませんでした。彼の表情にも恨めしそうな感じはありません(笑)。 …で、自分が心臓の異状で死ぬ可能性のある状態にあり、落ち着いていながらも、心残りな部分があるというのは、21歳で絶たれたJの人生に対するボクの責任にあたる部分なのではないだろうかとふと思い当たったのです。ありていに言えば、ボク自身はいつ死んでもいいと思うくらいやりたいことをやってきたかも知れないが、これからやろう・やりたいと思っていたことをやるチャンスもなく21歳で人生を絶たれてしまったJに対して、間接的な死因を作ったボクが果たすべき責任のようなものがあるのではないか…と思ったのです。 そのJに対して果たすべき責任というのは何だろう?ああでもない、こうでもない…と考えているうちに、ボクは眠りに就いていました。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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