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カテゴリ:本・音楽・映画等
先週の日記からのつづきなのであるが、なんだかまたいつものように前フリが長くなってしまったので、結論を急ごう。
And Also The Treesのカセットテープを久々に聴いていてオレが気づいたことには2つあって、それは「quiet - LOUD - quietの方程式」を編み出した元祖はニルバーナでもピクシーズでもなく、And Also The Treesではないのか??ということと、オレの偏愛する音楽はこの「quiet - LOUD - quiet」の構成にハマる曲ばかりだということである。 「quiet - LOUD - quiet」あるいは「LOUD - quiet - LOUD」というのは、ニルバーナが登場してから90年代のオルタナティブ・バンドが使い始めた曲の構成である。ニルバーナの代表曲『Smells Like a Teen Spirit』を覚えているだろうか。一見ハデなロック調で始まる音楽が、すぐに哀調に満ちたボーカルとベースだけの沈んだトーンに替わり、これが徐々に緊張感を増し、サビに入ると絶叫調のボーカルとヒネリの利いたコード展開のギターで一気に盛り上がる。これがまた哀調ボーカルと沈みベースに戻り、またサビで爆発する。 この曲の構成が「quiet - LOUD - quiet」の方程式である。ニルバーナ以降に登場した多くのオルタナティブ・バンド、たとえばRadio Headにせよスマッシング・パンプキンズにせよ、その曲を聴くと、「quiet - LOUD - quiet」の構成を多用しているのに気づくはずだ。 ニルバーナの場合、その後いろいろなメディアで告白しているとおり、彼らの曲の多くはPixiesをパクろうとした産物であった。そして、彼らがピクシーズを真似たのがほかでもないこの「quiet - LOUD - quiet」の曲の構成だったのである。 実は、このニルバーナの発言のおかげで、オルタナティブの「quiet - LOUD - quiet」の方程式はPixiesが編み出したもの、というのが通説になっている。去年だかにリリースされたピクシーズのドキュメンタリー映画も、彼らがその法則の元祖ということで、『loud - quiet - loud』がそのまま彼らの映画タイトルになっていたりする。彼らの一番有名な曲『Monkey Gone To Heaven』はまさに「quiet - LOUD - quiet」のお手本のような曲である(そして『Monkey Gone To Heaven』はオレがもっとも愛している曲の1つでもある)。 しかしオレは初期のAnd Also The Treesの曲をあらためて聴いていて、ピクシーズは「quiet - LOUD - quiet」の構成をAnd Also The Treesからパクったのではないか、と直観した。イギリスのレーベルからデビューしたピクシーズが当時のイギリスのポジパンだのニューウェーブだのの影響を受けていたのは明らかだと思われるが、ボーカル&ギターでほとんどの曲を作っていたブラック・フランシスがAnd Also The Treesを聴いたことがないとはオレには思えない。 先日の日記に引用した『Slow Pulse Boy』や、セカンドLPの表題曲である『Virus Meadow(ウィルスの牧地)』をはじめ、当時のAnd Also The Treesの曲はどれもこれも「quiet - LOUD - quiet」の曲構成だらけなのである。もちろんほかにも当時のポジパン系ではSisters of Mercy をはじめ「quiet - LOUD - quiet」の曲構成を使っているバンドはあるが、当時のAnd Also The Treesほどそれを効果的かつドラマチックに多用しているバンドはないような気がする。仮にピクシーズがAnd Also The Treesを聴いていなかったとしても、オレに言わせれば90年代のオルタナティブ「quiet - LOUD - quiet」の法則の産みの親はAnd Also The Treesだと断言したい。 オレがこれを主張したいのにはもう1つ理由がある。 オレは、アーティスティックでかなり気取ったイギリスのバンドAnd Also The Treesを愛している一方、それとは対照的に、ズングリしたニイチャンとパッとしないネーちゃんたちが、サルがどうしたとか火星の山がどうしたとかいったワケの分からないことを激しいギターとドラムに合わせて歌っていた、たぶん欧米では初の「ダサかっこいい」アメリカのバンドであったピクシーズをも愛している。 そして、これらの一見対照的な英米のバンドをつなぐのがこの「quiet - LOUD - quiet」の法則なのである。 オレが言いたいのは、ポップやハードロックのように「肯定」もせず、ゴシックやパンクロックのように「否定」にも走らず、80年代の終わり頃のあの閉塞した空気の中で、否定と肯定との微妙な合間の部分で「屈折」だの「諦念」だの「虚無」だのといった複雑な心情を表現するのにピッタリだったのが、この「quiet - LOUD - quiet」の方程式だったのではないかと思うのである。 ”quiet”の部分でリスナーに「内省」を強い、「深み」と「重み」の下地を張っておいて、その緊張感が次第に高まりを見せ、サビで”LOUD”に爆発し、「屈折」した「熱さ」と「痛み」、「哀しみ」が迸る。その爆発が余韻を残しながら、再び”quiet”にフェイドアウトする。そして、また”LOUD”で爆発、そのまま開放感を以って大団円へ…。 And Also The Treesにはじまる「quiet - LOUD - quiet」の楽曲は、まさに当時の閉塞した時代の中で鬱屈を抱えていた青年にカタルシスを与えた処方箋のようなものであった。 なんだか安っぽい音楽評論のようになってきたが、実はAnd Also The Treesについてはまだ言い残したことがあるので、また明日につづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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