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カテゴリ:たわごと・仕事・愚痴
カナダ最大の遊園地で絶叫マシンをすべて制覇してから3日が経過したのだが、腹筋の痛みが取れない。当日及び翌日は腹筋以外に腕と肩が痛かった。急に曲がったり落ちたり回転したりふっ飛ばされたりするたびに反射的に身を固くしてしまうのだが、このときに全身の筋肉を力いっぱい収縮していたらしい。
たとえば自動車を運転していて、横から急に飛び出してきた車に「ア、危ないッ!」と思ってブレーキを踏んで急ハンドルを切る瞬間、アナタは身を固くしているはずだ。万が一のためにハンドルを固く握り締め足を踏ん張り、肩をいからせ腹筋に力を入れてやや前屈みになっているはずだ。 何十種類の絶叫マシンを6~7時間かけて制覇する間に、オイラはたぶんこの「ア、危ないッ!」という瞬間を100回は繰り返したはずだ。とくに絶叫系ジェットコースターに乗っている間はほとんど最初から最後までずっと身を固くしたままにしていたから、大変な筋肉運動になっていたに違いのだ。 筋肉だけではない。身の危険を感じたときに分泌することになっているアドレナリンが体内に放出されっぱなしだったはずだ。ハッキリいってこの物質は心停止時などに身体に刺激を与えるためのものだ。そんな刺激物質がもう40歳を過ぎた中年の身体を飽和状態にしていたのだ。ゼッタイ身体にいいハズがない。オイラはきっとこの半日で寿命を5年は縮めたに違いないと確信している。 今回この遊園地を訪問するに当たり、自分が最後に遊園地などに行ったのはいつだったろうか?とふと考えてみた。5年くらい前に(姪と甥と)ディズニーランドに行ったのを別にすれば、渡米する直前の24歳のとき(すなわち18年前)に行った後楽園遊園地がたぶん最後だ。いい年こいて遊園地に行ってみたいという東京在住の友達に付き合って、閉園時刻1~2時間前に入園したのだ。 このときはたしか80m自由落下タワーとかジェットコースターなどに乗ったが、オイラはケラケラ笑っていた。20数階建てビルの屋上くらいの高いところから落ちたり、上下逆さまになって振り回されたりするというのに、当時のオイラは現実感が乏しく、友人が絶叫しているときも空笑いしていたのだ。当時の自分は意識や知性は健常だったものの、現実世界に半分しか所属していないような感覚があって、「身の危険」に対し徹底的に鈍感であったのだ。 オイラが今回この遊園地を訪問するに当たり、自分は何も感じないに違いないと完全にタカを括っていたのも、その当時どんな絶叫マシンにもヘラヘラ笑っていたことが記憶にあったからである。 しかし、今回オイラは18年前と同じくらいの高さの自由落下タワーを再体験したのだが、高所に引っ張り上げられるときは恐怖を感じなかったものの、体が地上に向かって自由落下するのを直感した瞬間に自分の全身が反射的に硬直するのを知り、「オレの精神も健全になったものだなあ(笑)」と感心したのであった。そして、もし自殺するときは飛び降りだけは止めようと思った。 そんなことを考えながら、オイラは「これらのスーパー絶叫マシンは青年期の少年少女のセラピーの手段として有効なのではないか」と本気で思った。 コドモからオトナへの移行時期に、青年たちはしばしば現実との接点を失いかけ、オイラのようなアパシーに陥りがちである。彼らがそんな無感覚・無感動・無関心の日常の繰り返しの中で「ヒリヒリするような現実感」を追い求めた末に走るのが、酒とかタバコとかドラッグとか乱れた姓行為だとか暴力だとか自傷だとかハード・ロックやパンクだとかバイクや車のスピードだとか万引や窃盗のスリルだとかいったロクでもない行為なわけである。 ほかならないオイラもこれらのロクでもない行為のいくつかを経験しているが、遊園地の絶叫マシンに振り回されたりふっ飛ばされたり墜落させられたりすることによって感じる「身の危険」は、まさに「今、自分は生きている」という感覚、すなわち「ヒリヒリするような現実感」にほかならない。例の絶叫ジェットコースターのスリルは、バイクで事故りそうになった瞬間のスリルの10回分に相当するし、ヘンタイな姓行為の5倍くらいクラクラ、グッタリする。実に効率的である。 実際、こんな絶叫マシンを日常的に経験していれば、前述した青少年の非行は半分以下に減りそうな気がするし、タイクツした若者が戦争なんかに興味を持つこともないと思う。 一方、莫大なカロリー消費量を別にすれば、オッサンやオバサンにとって絶叫マシンのメリットはあまりなさそうである。あんまり長生きしたくない人が寿命を縮めに行くには効果的かも知れないが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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