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カテゴリ:思い出話
先日の日記で、10代の頃の貧血の記憶をたどっているうちに、当時、夜中に家を抜け出して自転車で徘徊していたことを思い出した。 あれは中学3年の終わり頃から高校2年の前期に掛けて、とくに高校1年が最盛期だったろうか。 夜中の12時過ぎ、家族がすっかり寝静まった頃を狙ってこっそり自宅を抜け出し、とくに宛てもなく自転車でひとり徘徊するのだ。明け方、家族が目を覚ます前に帰宅し、2時間くらい寝て登校する。そんな日々を、たぶん冬場を除き1年くらい続けていた。 何をしていたかと言うと、とくに何もしていない。ひたすら自転車でぶらぶらするのである。友達の家の前を通って、夜中にまだ灯りがついているのを見て「まだ起きているのか」と思ったり、好きな教師の住所を調べてそのあたりをウロウロし、「先生はこんなところに住んでいるのか」と思ったり、日によってはある方角にひたすら自転車を漕ぎ、「こんなところまで来たか」と不安になってあわてて引き返したりした。 どうしてそんなことを始めたのか記憶をたどってみると、中学3年のとき、やはり夜中に寝ずに自転車で徘徊しているヤツが同じクラスにいた。成績優秀で生徒会長をしていたような男である。ソイツが学校で「昨晩は秋保まで行ってきた」とか言っているのを聞いた。 秋保とは「アキウ」と読み、温泉で有名な土地だが、仙台市街から自動車で30分、オレが住んでいた仙台のはずれからは1時間くらいの場所だ。距離にするとたぶん40キロ近くあったのではないか。 オレは、ソイツがやったことを自分も試してみようという気が心のどこかにあった。実のところ、ソイツの話をきいて内心「いくらなんでも自転車で秋保なんてウソだろう」とも思っていた。...しかし、実際に自分が夜中に自転車で徘徊するようになってから、自分がいつの間にか秋保の近くまで来ていたことがあって、「秋保まで自転車」というのが満更ウソでもなさそうなことを知った。ボロい5段変速の自転車で平均時速15キロくらいで走ったとして片道3時間弱、夜が明ける前に往復5時間半あれば自宅まで帰ってこれた。 よく覚えていないが、闇の中を走るのは単純に気持ちがよかった。それに、みんなが寝静まっているところを一人だけ起きて悠々と走り回っていると、なんだか自分が彼らより一段上の世界から虚構じみた俗世間を観察しているような錯覚を覚えて、妙にエゴが拡大するのだった。 まあ、今振り返れば、当時はきっと自宅なり地元の田舎に縛られているような窮屈な感覚に苛まれていて、夜中に一人で自転車で遠出することで、誰からも束縛されない自由な気分になれたのだと思われる。 それにしても、いくら田舎だとは言え、よく事故や事件に巻き込まれることもなく、夜中にそんな二重生活を続けられたものだと思う。唯一覚えている危険な記憶といえば、ある晩、比較的市街地に近いところを自転車で走っていて、細い路地の前を通ったとき、顔色が蒼褪め目が血走った若い男と鉢合わせし、目が合ったことだ。別になんら危害を加えられそうになったわけでもないのだが、その男の鬼気迫る表情にま今にも人を無差別に殺傷しそうな殺気があり、ほんとうに怖かった。今思えば、不眠症で夜中に眠れずにブラブラしていたのか、あるいは覚醒剤か何かを打ってハイになっていたのかも知れない。 たしかに事故や事件に巻き込まれることはなかったものの、そんな生活をしていたらさすがに体調がおかしくなった。当時は応援団に所属し、毎日夕方まで練習やトレーニングをしてそこそこ疲れていたはずだ。それなのに、夜中に寝もせずに自転車で走りまくり、2時間程度仮眠しただけで登校していたのだ。貧血になった大きな原因はおそらく慢性的な寝不足だろうし、また体調が悪くなるとともに関係妄想が激しくなった。 夜徘徊するクセは、やがて「ツーリング」という社会的に認知された趣味を知るにつけ、自然消滅した。目的もなくただブラブラする代わりに、隣の県とか北海道一周といった未知の目的地や具体的な行程を決め、入念な計画を立てた上でキャンピング用具一式を自転車に積んで地図を頼りにツーリングする開放感は、夜中にただブラブラするよりもはるかにワクワクしたからだ。 ツーリングも大学に進学するとともに興味を失ったが、それは海外に目が向かったからであろう。オレが今日こうして海外に住んでいるルーツはあの頃の無目的な深夜徘徊にあったようである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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