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カテゴリ:たわごと・仕事・愚痴
自分が元気だと、世の中には元気じゃない人も多いということが分からない。若いうちはそれもいいが、男も40歳を過ぎたら、他人の弱いところも自分のものとして理解出来るようになったほうがいい。 …と言うのは、体育教師を夫に持つ、あるベテラン看護婦である。 中年になっても元気過ぎて、弱い人たちに共感できないのは、夫婦関係でも親子関係でも、いいことがないという(笑)。 40歳を過ぎて結婚したオレがさいきん思い知らされているのは、自分の共感能力の不足である。 たとえば、電車に乗る。車内には、面白くなさそうな顔をしたサラリーマンやOLや主婦や若者たちがいっぱい乗っている。きっと仕事や育児や就職活動や受験勉強や体調不良や恋愛や家族関係でみんな悩みを抱えているのだろう。しかしオレは、そんな面白くない顔をした人たちに同情や共感する代わりに、まるで他人事のように「どうしてみんなわざわざそんな面白くない生活を選択しているのだろう」「イヤなら止めればいいのに」と簡単に思ってしまう。 自分はたしかに恵まれている。今のところカネにも困ってないし、伴侶にも恵まれている。世界一裕福な国の1つに生まれ、いろんな環境面で世界一恵まれた国の永住権を持っている。オレより健康な40代は、プロのアスリートを除けば、滅多にいないだろう(笑)。もしも主観的幸福度を客観的に数値化する装置があったら、オレの幸福度は偏差値70を超え、上位1%に余裕で入ると思う。 妻によると、電車に乗っている時、オレの顔はいつも愉快そうにしているという。たぶんオレは、車内のそんな不満そうな顔に囲まれながら、自分の相対的な幸せを噛み締めているのだと思う(笑)。自分だって、これまでの人生のどこかで右の道に行かずにたまたま左の道を選択していたなら、これらの不満な顔たちの1つになっていたかも知れないのに(笑)。つーか、こういう不幸な人たちの献身のおかげで、オレのような数少ない人が幸せになれている可能性もある。 そういうオレは、たまたま幸運で一大資産を築きながらも、その資産を他人に分かち合うこともなく、恵まれない人たちを見て自分の安泰な生活にほくそ笑んでいる、セコい成金野郎と同じメンタリティの持ち主ではないのか…とさいきんふと気付いた。オレはきっと、職場の同僚や関係者たちからも、公園を走っている人たちからも、ブログ仲間からも(笑)、ひょっとすると親族や妻からさえも、弱い者の気持ちが理解できない傲慢で冷淡で利己的なヤツと思われているのではないか(笑)。 まあ、そういうオレが強者かというのは大きな疑問で、弱いヤツが単に弱さを認めず強がっているだけじゃないか、不満な顔をしている人との共感を断つことで繊細で虚弱な自分の身を守っているだけじゃないのかという説もあるのだが(笑)、それはさておき、オレの共感能力の決定的な不足が自らの周囲から年相応の人望を得る上での大きな障害になっていることはほぼ間違いなさそうだ(笑)。 裕福な人が慈善活動をするように、幸福偏差値70のオレも、まずは自分の周囲の人たちに対して、共感の努力を始めるべきなのだろう。年齢不相応の若さを強調するばかりでなく、年相応の人望を得るというのも、これから人の夫であり父となっていく男にはよいことであるに違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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