戦死報秋の日くれてきたりけり 飯田蛇笏/裏山に鵬生の声秋の蝉 松田ひろむ
9月4日 (火) 31℃。晴。 今日の1句 戦死報秋の日くれてきたりけり 飯田蛇笏 蛇笏の長男聡一郎は1944年(昭和19年)12月22日レイテ島にて戦死した。 その戦死の公報が届いたのは1947年(昭和22年)8月16日であった。そのとき蛇笏は始めて1944年に既に戦死していたことを知った。それまでは「生死不明」に一縷の望みを託していたのだった。蛇笏は遺児を抱いて悲嘆にくれた。拙句はその鵬生に寄せてのもの。さらの蛇笏の3男の戦死もこの年に知らされた。 松田ひろむ 1日10句 1561 バラ園に令嬢がいて正造忌 ------------------ 季語( 正造忌 )1562 三つ見え富士が抱ける秋の湖 ---------------- 季語( 秋の湖 )1563 甲斐の子が来て引き返す秋の海 -------------- 季語( 秋の海 )1564 アールヌーヴオ諏訪の湖にも秋の浜 ---------- 季語( 秋の浜 )1565 秋すでに尖閣諸島ありて波 ------------------ 季語( 秋の波 )1566 スサノオの裔を誇りに秋の蜂 ---------------- 季語( 秋の蜂 )1567 桃描いて林檎は峡の行き止まり -------------- 季語( 桃 )1568 釈迦ケ嶽近くに虹の蛇笏の地 ---------------- 季語( 虹 )1569 裏山に鵬生の声秋の蝉 ---------------------- 季語( 秋の蝉 )1570 狐川橿鳥(かけす)の声に遅れがち ---------- 季語( 懸巣 )尖閣諸島波高し クリックよろしくクリックよろしく ★広東の企業幹部が「尖閣諸島は日本領土」、中国版ツイッターで発言、人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる(2012年8月26日) 中国広東省の民間企業幹部が24日、中国版ツイッター「微博」で「1949年から71年まで 中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を日本の領土と認めていた」と異例の発言をした。 日本領有を示す53年1月の中国共産党機関紙、人民日報の記事や、複数の公式地図など根拠を挙げている。 微博では中国国内からの感情的な反論に加え、「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことが分かった」 などと賛同する見方も広がっている。発言をしたのは同省広州の電子サービス企業、広東捷盈電子科技の取締役会副主席との肩書を持つ女性の林凡氏。 林氏は微博の運営会社、新浪微博から「実名」の認証を受けており、10万人以上の読者をもつ。 林氏の資料によると、人民日報は53年1月8日付の紙面に掲載した記事で「琉球群島(沖縄)は 台湾の東北に点在し、尖閣諸島や先島諸島、沖縄諸島など7組の島嶼からなる」と表記していた。 中国当局が監修した53年、58年、60年、67年に発行した地図の画像も示したが、 その多くが「尖閣群島」「魚釣島」などと表記。日中境界線も明らかに日本領土を示している。 林氏は冷静に証拠を積み重ねた上で「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だといえるのか」と疑問を投げかけた。中国国内からの反応には、「資料をみて(尖閣諸島が)日本領だったことが明白に分かった」 「(当局に)タダで使われて反日デモを行う連中には困る」などと、林氏支持の発言が出ている。 一方、25、26の両日も、尖閣諸島の問題を巡る反日デモが、四川省南充や浙江省諸曁、広東省東莞、 海南省海口など、地方都市で呼びかけられており、混乱は今後も続きそうだ。 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120825/chn12082501150000-n1.htm