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医学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテ ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」 にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。 私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利 己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長 時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生 活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。 何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな 権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する のであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いて いた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕 籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだと いう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.03 16:30:09
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