小野篁(おののたかむら)
参議篁(さんぎたかむら)わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね~参議篁(さんぎたかむら)は、本名を小野篁(おののたかむら)といいます。いまから1200年ほど前の官僚で、学才に優れ、和歌を詠むのも上手でした。参議は職名で、貴族のなかではまあまあの地位でした。その才能と人柄を買われ、天皇の替わりに中国の皇帝へご挨拶をする使者である遣唐使(けんとうし)の二番目に偉い副使(ふくし)に選ばれたのですが、大使(たいし)である藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)が、篁の乗る船と、自分の壊れた船を取り替えたことに不満を持ち、仮病を使って中国へ渡るのを止めてしまいました。天皇の命令に叛いたとして、現在の島根県隠岐の島へ流罪になりました。篁37歳のときのことです。後に赦され、51歳で亡くなるまで天皇にお仕えしました。http://www.caruta.net/takamura.html~~~~~~~~~~ 参議篁 ~~~~~~~~~~(802-852)小野篁。小野妹子の子孫、参議岑守の子。835年、『令義解』の序を書く。838年、遣唐副使として出発するとき、大使藤原常嗣と争い、病と称して乗船せずに隠岐に流された。後に召還されて参議になった。漢詩は唐の人も激賞したと伝えられるが、現在まで知られているのはわずか。『宇治拾遺物語』に、嵯峨帝が「子子子子子子子子子子子子」をどう読むかとたずねたところ、即座に「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と答えたという話が載っている。『今昔物語集』には、冥界を自由に行き来した話が載っている。野相公、野宰相と呼ばれた。http://kyukyo-do.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b3ad.htmlほのぼのと あかしの浦の 朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ 古今和歌集・409 読人知らず作者は柿本人麻呂とも言われていますが、小野篁作とも聞きます。冥官小野篁 浦嶋子伝説と真井御前 [ 与毛星和 ]六道珍皇寺と小野篁の不思議な伝説閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある。千本ゑんま堂http://yenmado.blogspot.com/閻魔法王と小野篁http://4travel.jp/travelogue/11017875『孝子の月』(月岡芳年『月百姿』)両親のために薪を集める小野篁