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>もし、森羅万象(物理法則を含む)が単なる“偶然の産物”ではなく、神様が必然性をもって創造されたとするならば、そもそもいかなる目的をもって宇宙と人間を創造されたのでしょうか?
私が家庭を持った目的は、私と家族が幸せになる為です。 神様が宇宙を創造された目的も、神様と人間が幸せになる為だと思います。 >また、イエス様が語られた「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイによる福音書5章48節)」という聖句が絶対的真理であるとするならば、その完全無欠であるはずの神様が、どうして最初から人間を完全無欠な存在として創造されなかったのでしょうか? 一言で答えれば、神様が全知全能であるとしても時間を無視できないからです。 この地球が創造されてから人類が地表を歩き始めるまでに、約46億年かかりました。 類人猿がヒトの祖先とサルの祖先に別れたのは、今から約500~600万年前です。 ヒトの祖先が火や道具を使い始めたのは数十万年前です。 私たち人類(ホモサピエンス)に進化したのは10万年~20万年前です。 とおるさんが最初の人間を何年前の人物と考えているのか教えてください。 文氏の妄想は「アダムとエバが赤ちゃんとして造られた」「赤ちゃんのアダムとエバを天使が育てた」「アダムとエバは成長期に堕落させられた」と言うものです。 これらは旧約聖書の文字の奴隷にならないと生まれない発想であり、科学的な知識を持った現代人には理解しがたいものです。 アダムとエバには、アダムとエバを産み、乳をあげて育て、言葉を教えた両親がいたはずです。 そしてその両親にも両親がいたはずで、生命の連鎖を否定することはできません。 >ましてや、(創世記の失楽園の物語を真実だとすれば)何のために人間始祖に対して“取って食べてはならない”という戒めを与え、わざわざ、“罪を犯せば死ぬかもしれない”という危険な賭けをしなければならなかったのでしょうか? >さらに、神様は人間が堕落した後に、何故、その全知全能性をもって速やかに堕落人間を救済することができなかったのでしょうか? とおるさんが「(創世記の失楽園の物語を真実だとすれば)」と仮定しているのは、とても賢明です。 何故なら、とおるさんの(統一原理の)疑問の数々は、旧約聖書の文字の奴隷にならないと生まれないからです。 宇宙は広がり続け、時間は過去から未来に流れます。 地球に生まれた生物も、単細胞生物からヒトへ、そして完全無欠な神に似た人間へと、現在は成長途中だと考えてはいかがでしょうか? 宗教は人間が神様に似る為に、成長を助ける為に、神様が与えてくれたと考えます。 不法を働き、詐欺を働き、武器を製造して儲ける宗教は不要です。 >こうした疑問に対して、統一原理は明確にその回答を与えています。韓定食さんが統一原理を真理でないと断言されるならば、こうした古来からの神学的疑問に対して、統一原理を“凌駕”するような説得力のある解答を与えることができるでしょうか? 統一原理は旧約聖書を都合よく解釈した仮説です。 しかし、旧約聖書を「すべて真実」と見なすことは、現代人には困難です。 私が「統一原理を真理でないと断言する」為に、統一原理以上の仮説を創作する必要があるとは思いません。 「アダム」「エバ」は、オリエント世界の神話に登場する「アダバ」「エア」のパクリと言う説があります。 ノアの箱舟物語もパクリであり、オリジナルはギルガメッシュ叙情詩に見られます。 ロトの妻が塩の柱になるのも、ナイル川の水が血に変わるのも、空想上の物語であって、歴史ではありません。 従って、旧約聖書の物語の年数と、実際の歴史を比べる原理も無意味です。 >そして、上記のような単純素朴な疑問に対し、既成キリスト教が明確な回答を我々に提示しえない以上、既成神学が説く神観など到底信ずるに値するものではない、といえます。そして、あなたが仰るように、福音書に書かれているイエス様の御言自体が絶対的真理であったとしても、それらが、上記の神学的疑問に対する解答を与えているわけではありません。 統一原理は「失楽園=不倫」と解釈します。 キリスト教は「失楽園=神への不従順、反逆、自我の芽生え・・・」と多様に解釈します。 従ってキリスト教の教義では、統一原理のような疑問は生まれないと思います。 創世記の失楽園の物語を「不倫」だと信じれば、統一原理のような考え方にはまるのも無理はありません。 とおるさんは「失楽園=不倫」と解釈する統一原理の枠組みの中で思考する為、統一原理の答えを至上と感じ、既成キリスト教が明確な回答を提示しないと思えるのでしょう。 統一原理は循環理論である為、「失楽園=不倫」の堕落論を信じると、復帰原理(メシヤ、アベル、カイン・・・)が必要になります。 逆に、創世記の失楽園の物語を「不倫」だと考えなければ、復帰原理(アベル、カイン・・・)は必要にならない為、キリスト教の理論に不都合は感じません。(個人差はあります) >前述の通り、福音書の聖句自体が種々の神学的・哲学的問題に対する解答を与えていない以上、何らかの宗教宗派の説く教理の中から解答を求めざるを得ない。 しかしながら、いずれの教理も明確な解答を与えていない。かろうじて、統一原理がそれなりの解答を提示している。しかし、それが絶対的真理であるという確証はない。 したがって、統一原理が偽りであって、かつ、それを凌駕しうるような明確な解答を与え得る教理が存在しない以上、神の実存や(被造物としての)宇宙森羅万象の本質的価値と実相を解明することは不可能である。そして、そのような“不可知論”の下では、もはや“神は存在しない。宇宙と(人間を含む)生命には普遍的価値など存在しない”という結論に至るほかないのではないでしょうか? 統一協会講師が教えるキリスト教では「福音書の聖句自体が種々の神学的・哲学的問題に対する解答を与えていない」と感じるかも知れませんが、私は福音書から神学的・哲学的な答えを学んで生活しています。 「何らかの宗教宗派の説く教理の中から解答を求めざるを得ない」と信じるのも自由ですが、キリスト教会に足を運ぶか、ネットでキリスト教を勉強した上で、統一原理の枠組みから離れて考えてみてください。 それでも「統一原理がそれなりの解答を提示している」と信じるのであれば、文家をメシヤ家庭だと仮定した上で、文家の醜態(自殺、不倫、離婚、犯罪、薬物など)」について、神学的な説明を考えてみてください。 キリスト教はイエス様自身の再臨を待ち望む心構えで信仰生活する宗教です。 儒教徒家庭の次男として生まれ、テロリストの協力者であったと吹聴する男が、イエス様に用事を頼まれたと主張しても、彼をイエス様の再臨と認める神学は存在しません。 私も、統一原理が偽りであることは部分的に提示してきましたので、とおるさんが「統一原理がそれなりの解答を提示している」と信じるのであれば、私の書いた記事にも反駁してみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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