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2023.02.23
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カテゴリ:証・証言


​​第1回ソ連・統一原理研修会

統一教会史上最大規模の大修練会

国際指導者セミナー責任者

 トニー・ディバイ

 

ファミリー 1992年2月号 掲載

 

七十年間、神の存在を否定してきた国が、神を信じ、真の愛を感じたいと願う青年たちを生み出している。昨年七月七日から八月三十日までに、ソ連(当時)でおよそ2000名以上のソ連人学生、その親、教授たちが統一原理研修会に参加した。彼らは、原理のみ言と真の愛を実体で証す教会員たちによって、見事新生復活している。共産主義は崩壊し、今正に真のご父母様の勝利が共産圏で実り始めている。なお`その後ソ連邦は解体したが、文中のソ連は当時のものとする。ソ連で初の大修練会。

1990年五月十四日、文鮮明先生はゴルバチョフ大統領(当時)と歴史的会見をなされた後、米ソ間の平和と親善を深めるために交換留学生のプログラムを提案された。それは1990年七月から1991年七月まで、国際指導者セミナーという形で実現し、その間約3000名のソ連(当時)人学生がアメリカを訪問し、毎月およそ400名が統一原理のセミナーに参加した。彼らは母国に帰国した後も、詳しい原理の内容を求め、ソ連の統一センターの扉をたたいた。あまりの大反響に教会側は、ソ連において原理修練会を持つ運びとなった。これは統一教会史上最大規模の修練会となり、同時にソ連自体においても、教授、学生、その親たちもが参加した約200名からなる最初の修練会ともなった。7月7日から8月30日までに二十四の修練会が行われ、参加者は、大学えり抜きのエリートたちであった。

修練会参加者の食糧、宿泊などのさまざまな障害を奇跡的に克服し、修練会はスタートした。折りしも保守派のクーデターは失敗に終わり、学生たちの心情の変革はソ連自体の劇的な再生と一致したのである。多くの歴史家、政治評論家などは、クーデターの失敗の理由についてあれこれと論じているが、 明らかにそれは真のご父母様の勝利の基台があったからこそ、悲劇的な結末が避けられたのであり、神の摂理において新しい歴史的一ページがめくられたのである。1991年八月十九日は、この夏季修練会のちょうど四十日目に当たり、同時にその日は、共産党の終焉と新ソ連誕生となったのである。

当時、大多数の国民がその日の食糧にも困っていた状況の中で、どこで修練会を開くかということは大問題であった。しかも三月の時点では修練会場にふさわしいサマーキャンプの予約はどこもいっぱいであった。

ところが、統一運動の一つである世界学生奉仕団に参加したことのあるエストニア青年組織(共産主義青年同盟の一つ)のメンバーに偶然出会い、バルチック共和国内に夏季修練会場にふさわしい場所を見つけることができたのである。そこはかつての共産主義青年同盟、コムソモールが、サマーキャンプで青年たちにマルクス・レーニン主義を教導していた所であった。

ラトビア学生組織の会長、アンドレイは自分の活動を一切放棄し、原理修練会に協力するため自ら専任スタッフとなり、自分のスタッフもほとんど全員動員してくれた。そして、「私たちは、今や皆統一教会員だ。 私たちは統一教会の仕事をしているのである」とまで言った。教育省は、ラトピア大学のあるリガに修練会本部を設置することに協力してくれた。また政治科学省の書記長は、修練期間中、自分の事務所をすべて提供した。

プライアン・スコットは、備品の準備、交通機関の手配等、総務的なことを担当し、ラトビア学生組織は、通訳者、運転手等の手配を受け持ってくれた

参加者募集

アメリカやソ連国内で原理講義を受けたことのある学生たちに対して、夏季原理修練会の勧誘を開始した。

これはモスクワ、セントヒーターズバーグ、キエフ、タシケントで行った。タシケントでは、ある保守的な共産党員が修練会に参加を希望している学生の名簿を提出するよう要求してきたが、これを拒絶し、約100名の学生が参加できることとなった。結局、モスクワ、セントピーターズバーグ、キエフ、オディッサ、ヤロスラフ、タシケント、その他各地から、合計2000名以上の学生、その親、教授たちがソ連国内での夏季修練会に参加した。

修練会は、バルチック学生対象の五日修が一回、いわゆる五日修が四回、十日修が九回、二十一修が五回、教授十日修が二回、親対象の五日修が一回、四十修が二回開かれた。

五日修は初めて原理講義を聞く人が対象であった。500名の参加者は、統一教会のメンバーが直接伝道したのではなく、原理を聞いたことのある友人や教授に誘われて参加したのである。五日修いわゆる三日修の講義の内容で、彼らに宗教的内容をいきなり導入するのは難しいので、はじめの二日間は、ディスカッション、ピクニック、スポーツなどを通して、心情を開くのに費した。

特別五日修は、バルチック大学の学生を対象に行われた。彼らは講義に真剣に耳を傾け、最善の態度で臨んだ。というのは、上級の原理講義を受けられるアメリカツアーに参加できるか否かがかかっていたからである。最終的には、彼ら全員、アメリカツアーに選抜された。上級ワークショップ原理講義を受けたことのある学生は、十日修に参加した。これは七日修の原理講義の内容と、ピクニックなどで心情交流を行った。十日修の目標は、統一原理の理解を深め、二十一修の参加の約束を取ることである。この夏季修練会では、同時に二つの十日修が五回行われ、約1000名の学生が参加した。

七日修の講義の内容を既に聞いている学生は、二十一修に参加した。修練会が進むにつれて、十日修を終えた学生は、二十一修にも参加した。二十一修の目標は、原理のさらに深い理解と神との個人的関係を啓発し、さらに実践訓練の約束を取ることである。

二十一修卒業者は、四十修の実践訓練に入った。そこでは、「原理の生活化」の講義を受けたり、講義演習、万物復帰を行った。また祈祷生活も体験し、公的、個人的祈祷を「真の父母のみ名」によってなした。この期間、学生たちは統一教会の生活を直接体験し、また祝福についても学び、喜んで「公式路程」に従うことができた。

学生の修練会に加えて、親と教授のために特別修練会も行われた。各市ごとに親の会合が開かれ、統一運動の紹介、質疑応答、ソ連での五日修の紹介を受けた。さらに教授は、中級、上級の十日修に招た二十一修を既に終了している学生の中で、真の父母様を最も親しく信じている者は、アメリカの教会員に交じって、アメリカでの夏季伝道に参加することが決定していた。候補者は極めて難しい原理試験と面接で選抜された。この夏季修練会の始まらないうちに、既に五十名のソ連人学生がアメリカヘ出発し、実践訓練に参加していた。

スタッフの犠牲的奉

 

この修練会を運営するためには、150名のグループリーダーとアシスタントを確保しなければならなかった。お父様は、私たちの状況を既にこのように語っておられた。

「私たちには一握りの人たちしかいないが、私たちは共産主義者の解放について話し合っているのです」(1977223日)。

 

 

アメリカの統一教会員がソ連で再び四十日伝道に参加できるというのは、お父様からの恵みであった。在米の韓国人教域長たちは、この計画を全面的に支持し、州リーダーや教会員たちに命懸けでソ連の修練会に参加するように呼びかけた。

アメリカ統一教会教会長をはじめ、家庭部、カープ、統一神学校など、統一グループのあらゆる部門の協力がなされた。アメリカの統一教会員は、正に敵国からやって来て、ソ連人を実際に愛し、奉仕したのである。彼らは天使長の摂理的使命を果たすために、アメリカを代表して活動しているのだと深く感じていた。

アメリカの享受しているすべての祝福は、すべての国の人たちに注がれるべきなのである。そして、今アメリカのメンバーは、カイン側の天使長国家に奉仕すべき機会を得たのであった。このような心情を携えて、彼らは一人ひとりソ連の修練会に献身的に参加していった。また彼らは、数週間の間、個人的事情を調整し、費用を自分で調達してソ連に向かった。この夏(1991年)は、ソ連の人々が新生し、神と真の父母を見いだす最大の機会であった。修練会スタッフは、ソ連で神のみ旨を成す基盤を築いてくれる開拓メンバーをソ連人学生の中から見つけ出すのに、大きな期待を抱いていた。お父様がこのセミナーに大きな希望をかけておられるのを彼らは感じていた。それゆえに、スタッフ全員、、具体的勝利の結果をもたらしたいと願っていた。

 

神様の闘士を育成

アメリカ原研会長のドクター・ソクは、修練会に対するお父様の心情と期待をオリエンテーションでスタッフたちに伝えた。お父様は「このソ連プロジェクトはソ連自体を救うばかりでなく、全世界を救済するものである」と語られている。多くのソ連人学生を効果的に教育するこの摂理的機会を私たちが活用することに、お父様が相当の関心を持たれていると、ドクター・ソクは説明した。さらに、二世のリーダーである孝進様の心情も伝えた。「私たちは、共産主義者の二世を神のために闘う闘士となるように教育しているのだから、すべての勝利は真の父母様の基台の上にあることを心に留めておかなければならない」。

最後にドクター・ソクは、ソ連人学生が新生するためには、まずスタッフ一人ひとりの心の中から新生が始まらなければならないと語った。

こうして修練会の火ぶたが切られ、各修練会場はソ連人学生で埋め尽くされた。彼らは皆、飛行機代など費用の一切を自分で負担した。

一年以上ソ連国内で活動してきたメンバーの最大の悩みは、学生一人ひとりに対して、個人的指導を施す時間も人材もないことであった。学生に対するフォローアップは、50名ほどの講義形式しかなかった。講義の後、また再び彼らを堕落世界に戻すことは、大きな葛藤であった。それゆえ、今回アメリカからスタッフがやって来て、学生一人ひとりに個人的働きかけができるというのは大きな希望であった。

六人の学生につき、一人のグループリーダーがついた。どんなに素晴らしい講義を受けても、すべては、グループリーダーの能力にかかっている。グループリーダーの祈祷、涙、奉仕、そして誠意あるディスカッションを進めたり、親しく共に過ごしたりすることによって、学生たちは生かされるのである。学生たちは信じるものを持ちたいと切実に願っていた。彼らは信じられる物や人、本物の理想を渇望していたのである。

しかし、指導者の裏切り、官僚の汚職、人間性を喪失するような日々の体験、経済体制の悪化など、あまりにも多くの要因が重なって信じるということができなくなっていた。

アメリカで統一教会に入教した者にとっては、統一原理が私たちの第一の信仰であり、真の父母様が第一の愛であり、統一運動が私たちの信ずる第一原因である。ところが自分たちの理想、希望、夢すべてが虚偽であったことを知り、また自分たちの偶像、英雄たちが崩れ去ったことにごく最近気付いたロシアの人々に、私たちは信じることをさせようとしているのである。

創造原理の理想像は、共産主義の理想に近似している。平均的学生は統一運動に出会うと、共産主義の歴史を思い出させる言い回し、事件、感情に遭遇する。

共産主義との最大の違いは神がイデオロギーの中心であることである。スタッフたちは、真の父母様の代わりに、至誠を尽くして真の愛を示し、共産主義との違いを証さなければならなかった。

スタッフたちは、学生たちが新しい生命を得るための確かな基台をつくるために、絶えず蕩減条件を立てた。二十一修では数名のスタッフが毎晩徹夜祈祷を続け、一人が一時間は祈った。また毎朝、宣誓する者もいた。多くのスタッフたちは、修練所を天国のような雰囲気にしようと、太陽がすっかり顔を現すまで祈祷したり聖歌を歌った。ほとんどのスタッフが断食をした。ある年配の祝福婦人は8日間断食を行った。このようにスタッフたちは、ソ連人学生の新生のために、あらゆる力を尽くしたのである。

 

新生する学生たち

 

 

このような豊かな霊的雰囲気の中で、ソ連人学生は、強力な霊的体験をするようになっていった。イエス路程の講義の前に、黙想のための音楽を流していると、ある姉妹がイエス様と霊的に出会ったのである。彼女の霊感が開かれ、イエス様が現れると彼女を抱き締めたのである。イエス様はパラダイスを見せ、「私は常にあなたと共にいます」と言われた。

 

また別の姉妹は、自分が本当に天の娘であると実感した。彼女は散歩に出掛けると、鳥たちが正に彼女のために歌い、空や木、花すべてのものが、神の愛について彼女に語りかけてくるのを感じた。このように、神は一人ひとりの心に手を差し伸べていたのである。

「祈祷をしたこともない、ましてや神を信じたこともない学生に、祈祷を教えることは、驚くべき体験である」とモンタナ州から来たあるグループリーダーは語った。七十年間、神の存在を否定してきた国が、神を信じ、真の愛を感じたいと願う青年たちを生み出したのである。

スタッフたちは、学生たちを個人の祈りができるように導いていった。あるグループリーダーは、夜一時間、一人の学生と共に祈り、彼女の前で涙を流しながら心情的祈祷を捧げた。するとその学生は霊的に高まり、神霊に満たされて、その夜は眠ることもできなくなり、毎晩一緒に祈祷したいと言った。十日修に参加したある熱狂的マルクス主義者は、グループリーダーと共に深い祈祷の時を過ごすと、ひどく怒って言った。「どうして私はあなたのように、神を感じることができないのか。私のどこが悪いのか」。彼は祈祷を教えてほしいと強く要求した。

講師は原理のみ言を与えたが、一般のスタッフたちは原理を実体で証していった。スタッフたちが語っているいわゆる真の愛を彼らが本当に信じているかどうかを学生たちは絶えず見ていた。スタッフたちは修練会の一日一日ごとに、自分の限界を越えていった。修練会は休む間もなく、次から次と直行した。

修練会が進むにつれて、学生たちはグループリーダーをとても慕っていった。

毎日、毎食、講義の度ごと、毎晩、グループリーダーは最善を尽くして、愛し、奉仕し、学生たちに耳を傾け、共に過ごした。修練会が終わり、別れの時が来ると、スタッフや学生たちはバスに群らがり、お互いに泣き叫びながら、別れの挨拶を交わした。皆 一つの家族のように親わしく感じていた。苦労の路程を通過して初めて、他人であった者たちが、一つの家族のような素晴らしい感情を持つことができるのだということを知って、スタッフたちは真の父母様にとても感謝した。

新しく発見した家族の下を離れられず、家に向かうバスから飛び降りて、「私はここから離れられない」と叫び、上級の修練会に参加する学生も数多くいた。

あるグループリーダーは、幾晩も夜遅くまで学生たちに祈禱を一つひとつ指導した。彼は自分の神体験を語り、どのように祈り、またどのように神の心情を感じるかを手ほどいてあげた。彼のグループ全員は、二十一修に参加することを決意した。彼らは皆、グループリーダーに深く感謝し、一つの家族としてとても近しく思い、共に二十一修に行きたいと申し出てきた。修練会の責任者は、学生たちの誠意に動かされ、そのグループリーダーを二十一修のスタッフに送った。

二十一日修練会。

既にソ連で活動していた教会員たちは、今回の修練会のためにアメリカからやって来たメンバーたちに深く感謝していた。彼らはこのソ連での摂理を協助するために、相対者や子女を本国に残してきている。彼らもまた、ソ連で今まで苦労してきたメンバーたちを尊敬している。皆、共にひとつの家族となり、真の愛を実践し、真の父母の心情を学生と共に分かち合える基台作りに専念した。

学生たちは、自分の生命の中に起こる内的変革をはっきりと経験していた。

徐々に彼らは祈り始め、神と交わる努力をしていった。また講義やディスカッションに敏感に反応した。さらに聖歌を歌ったりキャンプファイヤーなど家族的体験を深く重ねていった。彼らは熱心に原理の実践をした。数日間、二十一修修練生全員は、近くのリトアニア集団農場に出掛け、草刈りなどを手伝った。こんなにも多くのロシア人学生が、謙虚な態度で手伝いをしているのを見ることは、近隣の人々にとって驚嘆すべきことだった。農民たちはびっくりしていた。政治的、民族的に緊張しているこの時に、モスクワ、セントピーターズバーグ、ウクライナ、タシケント、バルチックなどから学生がやって来て、自発的に奉仕し、働きながら歌を歌っているのである。

共産主義の全歴史は一種の虚偽の戦線、欺躁仮面であった。しかしスタッフの誠意と献身的奉仕のほうが、共産主義の欺脳よりもはるかに長く継続するのである。二十一修に参加した学生はほとんど神の実在と霊界、真の愛の理想を受け入れた。そして、文鮮明師がメシヤ、真の父母であるという思想に直面し始るのであった。

カリスマ的リーダーというだけでも、彼らは恐れた。しかし、彼らの心を既につかんでいるスタッフたちによって、彼らは新しい世界に導かれつつあった。スタッフたちは、真の父母の代表として責任のあることを鋭く感じていた。何よりも彼らを通して、学生たちは文師のイメージを見ようとしていたからである。学生たちは文師の人格、人柄を高く評価し始めた。ある学生は「私は文師をあなた方を通じて尊敬します。あなた方の信仰の象徴として尊敬します。私はあなた方を信じているからです」と語った。

また、原理が新しいイデオロギーだとしても、私たちのイデオロギーよりも優れているに違いない。それは共産主義がかつて生み出した以上の善良で情愛の深い人々を造り上げているからだと述べる者もいた。

二十一修の終わり近くなると、学生たちはお父様の生涯に深く感動した。お父様が北朝鮮から拷問を受け、興南刑務所に向かう所では、多くの学生が涙を流した。彼らは、お父様の苦難を原理を土台にして理解し始めた。中には、お父様がいかなる方かを悟ってむせび泣く者もいた。

ある学生は二十一修を通して、とても深い体験をした。彼はお父様の路程を聞いて心から感動し、そのことが頭から離れなかった。その晩、彼は夕食をもらうために列に並びながら、お盆の上に乗った食べ物を見てこう祈った。「天のお父様、どうして私は食べることができるでしょうか。お父様の通過された苦難を思うと、私にはこの夕食を食べる価値があるでしょうか」。とその瞬間、彼のお盆がポンと飛び上がり、お皿が床に落ちたのである。後に彼は、神様が自分の質問に答えてくれたのだと証した。

TODAY'S WORLD」1991年十一月号から翻訳、転載、文責編集部。






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最終更新日  2023.02.23 13:59:44
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