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2008年08月30日
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カテゴリ:戦争映画
ビデオ2005 ドイツ 監督:ハインリッヒ・ブレロアー
出演者:セバスチャン・コッホ、トビアス・モレッティ、ミヒャエル・グビスデク ほか
3部作270分、ドキュメンタリー90分 カラー SPEER UND ER  SPEER AND HITLER: THE DEVIL'S ARCHITECT


[DVDソフト] ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア DVD-BOX
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 ドイツのテレビ企画で製作されたドキュメンタリードラマ。第二次世界大戦時、ドイツの軍需大臣だったアルベルト・シュペーアをテーマに、ドラマ仕立ての中に関係者のインタビューを交えて、3部及びドキュメンタリーで構成されている。
第一部:戦争の記憶 ~ヒトラーの片腕から、ニュルンベルク裁判の被告へ~
第二部:ニュルンベルグ裁判 ~戦犯として唯一責任を認めた男~
第三部:牢獄のシュペーア ~20年の禁固刑、ベストセラー作家となる~
ドキュメンタリー:アルベルト・シュペーア

 アルベルト・シュペーアは生粋の建築家であったが、宣伝省改築やナチス党大会の演出などの仕事を手がけていくうち、芸術や建築に興味の強いヒトラーに気に入られ、建築総監、そしてヒトラーの腹心とでもいうべき軍需大臣に抜擢されていく。ヒトラーに近しい数少ない人物ではあったが、他のゲッペルスやゲーリング、ヘスといった重臣と異なるのは、政治家でも軍人でもなかった点であり、純粋に芸術家としてヒトラーと接し、意見を言えたとも言われる。
 しかし、ドイツが戦争に破れると、ユダヤ人虐殺、外国人強制移住・強制労働の罪で戦犯容疑者となり、その事実や計画を知っていたかどうかが大きな焦点となる。ニュルンベルグ裁判の結果、結局懲役20年の刑に服し、釈放後には回顧録も出版したシュペーアだったが、シュペーアが大きな権力をも持ちながらも、本当にユダヤ人虐殺、捕虜等強制労働に加担していなかったかどうかは、未だ大きな謎のままである。

 本作は、シュペーアがヒトラーに出会う過程、建築家としてベルリン再開発計画にのめりこんでいく様子、軍需相として戦争に関わっていく様子、戦犯としてヒトラーとの決別、服役中の姿を時系列に追っていく。シュペーアがどのように、ヒトラーを思い、感じ、共感して行ったか。いつ、ヒトラーの狂気に気付き、自身の道を改めていったのか。そうしたシュペーアの波乱の人生がありありと描かれている。
 また、随所随所にシュペーアの実子であるアルベルト・シュペーアJr(長男)、ヒルデ・シュラム(長女)、アルノルト・シュペーア(次男)本人のインタビューが入る。シュペーアに最も近い人物の告白により、より生に近いシュペーア像を窺い知る事ができる。
 その息子や娘たちだが、父親が服役によりちょうど思春期に離れて暮らしているせいもあるのだろうが、インタビューの中では実に他人行儀なのが気になる。戦犯の父を持った後ろめたさもあったのだろう、尊敬したくてもできない彼らの苦しみのようなものさえ感じる。忘れてしまいたい、話したくないという気持ちもあるのだろう。シュペーアの物語は、時の権力に翻弄された一家の苦難の物語でもあるのだ。
 
 しかし、本作はとにかく長い・・・・。ドキュメンタリー大作であることは認めるが、さすがに270分は長い。丁寧に作りこんではいるのだろうが、裁判と回想録が混じったり、子供達のインタビューが入っている分、ダラダラ感がある。やはり、ドキュメンタリーとドラマを一緒くたにして作ることは良くないのではないかと感じた。ドラマ部分とドキュメンタリー部分は切り離しておいたほうが、ずっと引き込まれるし理解できたと思う。そうすれば、ドラマ、ドキュメンタリー単品として、コンパクトな作品に仕上がったんじゃないかな。全般に内容がしっかりしているだけに、ちょっともったいない。

 映像的には、かなり大がかりで多様なセットを用意しており、、見ごたえはある。また、ドキュメンタリー部分にしても、要所にモノクロの記録フィルムを取り入れ、効果的に用いている。歴史ものとしては、かなりわかりやすい作りにはなっているのではないだろうか。
 シュペーア役は「ブラックブック」でも活躍したセバスチャン・コッホ。本物のシュペーアより格好良いし、オーラがあるけど(笑)、いい味出している。

 奇しくもちょうど、邦画「明日への遺言(2008)」を視聴した所なのだが、本作と比較してみると面白い。「明日への遺言」はB級戦犯として横浜で裁かれた岡田中将がモデルだが、両者とも敗戦国の戦犯として、戦犯容疑を認めるという点で共通する。しかし、同じ責任を認めると言っても、片や岡田中将は部下の責任を軽減し、自ら死を選んでいくのに対し、シュペーアはあくまで抗弁に努め、自己の非だけを認めていくという違いがある。そこには個人的な差異なのか、民族的差異なのか、大きな違いがあることがわかる。非常に興味深い部分である。

 蛇足だが、本作で面白いのは、シュペーアが収監されたシュバンダウ刑務所は、連合軍とはいえ、ソヴィエト軍が主として管理していたようで、ソヴィエト軍の処遇のひどさがよく描かれている。劇中でも、ソヴィエト軍管理の時は体重が十キロも減るが、英米軍管理の時に元に戻るというようなことを言っている。

 ドキュメンタリードラマとしては大作であるが、本作を見る気ならば心してかかるべし。どんなにつらくても、決して早送りをしてはいけない(笑)。

興奮度★★
沈痛度★★★
爽快度★
感涙度★★


!(以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい)

  1945年10月、ドイツのニュルンベルグで国際裁判が行われていた。ドイツ軍需相だったアルベルト・シュペーアは、平和に対する犯罪、人道に対する犯罪、その実行のための共同謀議による参戦などの罪に問われていた。つまり、ユダヤ人虐殺、外国人及び捕虜の強制労働の罪であった。

 1930年12月のベルリン。ヒトラーの演説に聴き入るシュペーアがいた。シュペーアは建築家であり、理想主義に燃えていた。ナチス党に入党し、宣伝省改築の仕事を受ける。1933年2月、ヨゼフ・ゲッペルスが宣伝相となり、彼に引き立てられたシュペーアは1933年7月のミュンヘン党大会の演出をまかされることとなる。その際、計画等の承認のため、シュペーアはヒトラーと面会することとなり、もともと建築に興味のあったヒトラーは、シュペーアを気に入っていく。そして、シュペーアは建築総監の要職を得る。
 1934年、シュペーアはベルリンの首相官邸の設計を始め、1936年ルイスポルト競技場完成。1939年には新首相官邸が完成する。これらは壮大なベルリン都市計画の端緒であった。ヒトラーはシュペーアの設計構想に天才だと感嘆する。1940年パリ入城を果たし、いよいよヒトラーとシュペーアのベルリン再開発計画は果てしない夢想へと広がっていく。
 1942年になり、戦線が拡大し始めると、産業のみならずバクー油田、ドネツの鉄鉱石など軍需物資確保が急務となってくる。時の軍需大臣はトットであったが更迭され、シュペーアがその後任に任命される。シュペーアは門外漢でありながらも、ヒトラーと親密な関係にあり、絶対的な信頼を得ていた。
 シュペーアは軍需相として、建築のみならず、軍需生産にも深く携わるようになり、労働者確保のために外国人・捕虜・ユダヤ人労働者に移動、労働を命じるようになる。194年の10月には100万人のロシア人を労働力として確保する。この頃より、シュペーアの心にも変化が見え始め、弟が東部戦線のスターリングラードで行方不明になった際にも、家族に英雄が欲しかったと言ったとされる。

 1945年11月、23人の戦犯が起訴される。シュペーアは全責任を取ると言うが、弁護人ハンス・フレクスナーは、「あなたは建築家で芸術家だ」と諭し、シュペーアの弁護資料をシュペーアの秘書だったアンネ・マリに頼む。
 シュペーアの容疑の焦点はまず、1943年10月6日のポーゼンでの党員会議におけるユダヤ人抹殺計画を知っていたかどうかであった。ゲットー地区にユダヤ人を強制移住させたことからも、シュペーアがユダヤ人の行く末を知らなかったはずがないとの意見もある。裁判では、ユダヤ人虐殺の映像が流され、シュペーアは愕然とする。
 弁護人フレクスナー博士は秘書アンネ・マリにヒトラーに反対意見を出した書簡を探し出させる。つまり、シュペーアはヒトラーの言いなりではなく、反対していたのだという証拠だ。実際、ヒトラーへの意見を何度か進言している。しかし、シュペーア自身、ノルトハウゼン北方のV1ロケット地下工場であったドーラ収容所で見た捕虜の姿、さらにはアウシュビッツ収容所のバラック建設に許可を出したことなど、自分の責任であることにも気づいていた。
 シュペーアは労働者の確保を承認したという自身の罪を認めつつも、地下官邸でヒトラー暗殺を計画したこと、ゲッペルスの批判、労働者への優遇を命じたこと、ユダヤ人や労働者への虐待は副官ザウケルが行ったこと、との供述を始める。それを聞き、ゲーリングやザウケルは、シュペーアを裏切り者と罵る。

  シュペーアは、1944年中頃から、ドイツの勝利はないと思い、ヒトラーの出した重要建築物破壊命令に抵抗していた。1945年3月29日、ヒトラーに呼ばれ休職を命じられる。だが、本音を言うのが私の任務と言い、ヒトラーを全面支持すると言いながらも、結局施設の保護を続けていく。
1945年4月23日、シュペーアはヒトラーと面会する。すでにヒトラーは心神衰弱の状態で、ベルリンがもしもの時は存在の苦痛から自由になれるとまで言い放つ。シュペーアはその姿を見て、忠誠心は失っていない、望むなら最後まで共にいると言う。
 5月1日、ヒトラーは自決して果てる。

 シュペーアの証言から、罪状は「軍備のための強制労働」だけとなる。シュペーアの弁舌に説得力があったのだ。その結果、ゲーリング、カイテル、ローゼンベルグ、リッペントロープ、ザウケル、ハンス・フランクは絞首刑となるが、シュペーアは禁固20年の刑に軽減される。ゲーリングは1946年10月16 日、収監先で服毒自殺する。


(文字数の関係で以下略)





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最終更新日  2008年08月30日 18時23分25秒
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