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カテゴリ:祈り
誰もが生きていくなかで、仕事のこと、家族のこと、健康のことなど、さまざまな悩みに遭遇し、色々な願望を持ちます。その悩みを解決したい、願望を叶えたいと思うのは人間として当然の姿といえるでしょう。 その「思い」が具体的な形になったのが「祈り」です。ですから、さまざまな課題の解決を祈るのは人間の自然の行為なのです。 ◇
一般社会でも、近年、「心の力」の大きさが注目されてきています。例えばスポーツの世界では「イメージトレーニング」という言葉があります。自分が理想とするプレーを思い描いて練習するもので、新しい技術の習得などに効果がと言われています。 また、女優さんは、一般の人に比べて、実際の年齢よりもはるかに若く見える人が多い。これは、人々の視線を浴びるという女優という仕事上、「若くあらねばならない」という心が強く働いているからだといわれています。 「自分は、こういう人間になるんだ」と強く念じ、具体的な努力を続けていくならば、本当に自分が目指したような人生になることが多いものです。 ◇
池田名誉会長は次のように述べています。 「大宇宙は、瞬時も止まることなく、妙なる音律を奏でながら運行している。その究極の力、法則こそ南無妙法蓮華経なのである。題目をあげ、妙法に生き抜くならば、この大宇宙のリズムに自身の生命が合致していく。宇宙の最極の力と智慧をわが身に顕現することができる。 戸田先生は語っておられた。『この大宗教(日蓮大聖人の仏法)を信ずることによって、生命のリズムは宇宙のリズムに調和して、生きている幸福をしみじみと感ずるのである。生命の歓喜こそ、幸福の源泉力である』『幸福を感じ、幸福な人生を営む源泉は、われわれの生命力である』 ◇
「信力」ということから言えば、題目を唱えていても「叶うかな」などと疑いながらであっては結果は顕れません。大聖人が「あひかまえて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(御書P1124)と仰せのように、弱い心が起きた時にはそれを自ら打ち消して、「願いが叶わないわけがない」という信力を奮い起こしていくことが肝要です。 さらに祈りを成就するためには「行力」が必要です。真剣な唱題の実践もせずに結果だけ求めても無意味です。すぐに結果が出ないということもあるかもしれません。しかし、目先のことに一喜一憂するのではなく、粘り強く唱題に励んでいくところに祈りも成就していくのです。
【教学】聖教新聞09・6・23 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 29, 2014 07:02:19 AM
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