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カテゴリ:御書講義
そもそも、仏の「慈悲」とは何か。
「大智度論」では、一切衆生に楽を与えること(=与楽)が「慈」であり、一切衆生の苦を抜くこと(=抜苦)が「悲」であるとされています。万人の「与楽」の道を開くことこそが仏の慈悲なのです。 “同苦”とは、“同情”ではありません。苦しみを乗り越えるには、その人自身が生命の底力を湧き起こして、自ら強く立ち上がる以外ない。 戸田先生は語っておられました。 「かわいそうだ、だけでは、人は救えませんぞ。信心の指導、励ましのできるリーダーになりなさい。言うべきことはきちっと指導し、御本尊に共に祈っていくことです」 仏法で説く真の慈悲は、感傷や安同情とは無縁です。それは結局、人生の勝利に価値を生まない。根本の「同一苦」を破れず、抜苦与楽になりません。 先生は「慈悲があるということは、即智慧につながっていく。その人のためにどうしてあげたらいいか。その慈悲から、一つ一つ具体的な智慧が生まれる」とも教えてくださった。 仏法は勝負です。人生も社会も勝負である。大聖人は、門下が仏の力を奮い起こして、断じて幸福を勝ち取るよう、厳愛をもって励まされたのです。 仏の慈悲とは、人々の魂を揺さぶり、“絶対勝利の生命”を涌現させずにはおかない、燃え上がる大感情と言ってよい。 【「御書と師弟」】聖教新聞09・4・2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 8, 2015 06:25:30 AM
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