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カテゴリ:暮らしのアンテナ
幼い子が虐待により命を落とす―そんな悲しい事件が後を絶ちません。では、かろうじて虐待から生き延びた場合、子どもたちはすぐに安穏な生活を送れるのでしょうか?今回は『誕生日を知らない女の子 虐待―その後の子どもたち』(集英社)で2013年の第11回開高健ノンフィクション賞を受賞し、現在も取材を続けている黒川祥子さんに話を聞きました。
ノンフィクションライター 黒川祥子さん 心の傷は深く 虐待を受けた子は、怒りや恐怖などの感情にふたをして耐え忍ぶ。保護され、やがて警戒が緩むとふたが開き、さまざまな問題行動を起こしてしまう。虐待の後遺症だ。 「共通しているのは、愛着障害です。乳児院で育ったある女の子は人との距離がわからず、例えば病院の待合室で隣に座った女性にベタベタして、バッグを開けてしまう。甘えたいけど、相手の感情を読むことはできません。急に暴力的になったり、現われ方はそれぞれです。 虐待の取材を始めて強く思ったのは、人間は生まれながらにして人間なのではないということ。赤ちゃんが心地いいものを欲したり、不安になった時、受け止めてくれる人がいることで安心感を得ます。それを繰り返す中で、人を信じたり自分の世界広げることができる。 喜怒哀楽の感情も『お母さんが喜んでくれて、うれしい』と愛着から学びます。その、本当に人間として大切な基盤をもらえるか、もらえないかで人生が変わってしまう。ある里親さんは愛着形成について『3歳まで何もないのと、途中の3年が抜けるのとでは全然違う』と言われています」 保護された子どもは、乳児院、児童養護施設、情緒障害児短期治療施設など、年齢や状況で行き先が決まる。できることなら、一対一で愛着を結ぶ関係を作る「育てなおし」は、施設より里親(養子縁組しない「養育里親」が主流)やファミリーホームなど「家庭養護」が望まれるところ。ファミリーホームとは「要保護児童」を養育者の住居で5人から6人育てる事業で、一定の要件を満たした養育者と補助者の3人以上で養育にあたるため、密室になりがちな里親制度とは異なる。黒川さんは多くのファミリーホームを取材してきた。 いつでも帰れる居場所 「どうせ俺はバカだから仕事できないし、死んだほうがいい。大人になって、つらいことだろう」―2歳から養護施設で育った拓海くん(仮名)が、小学4年生までファミリーホームの高橋家に来た時の言葉だ。黒川さんは寝泊りをしながら取材を重ねた。 「拓海くんは家庭内虐待の被害者でもあるんです。多くの施設は子どもたちのために努力を続けていますが、彼の場合は施設擁護の負の部分も体験してしまった。体や頭の洗い方さえ知らず、不潔な施設で、上下関係が支配する。毎日が戦場だったんです」 ホームでは皆「高橋さんの子ども」として学校へ通う。拓海くんは、包丁のトントンという音や、自分が食べたいものをリクエストしたり自由におかわりができるなど、初めて経験する「家庭」に戸惑い、挙動不審に。 「虐待は第4の発達障害」と提唱する医師もいる。高橋家の子どもたちも、拓海くんを含め全員が児童精神科の薬を服用。虐待の後遺症の現実だ。拓海くんも暴力でねじ伏せようとしたり、熱いココアを飲めず『無理だ!』と泣きだしたり。何か困難にぶつかった時、愛着の基盤がないため自分をなだめられず、すべてを一気にゼロにしてしまうのだ。 学力も小学1年生レベルしかなく、知的障害があると療育手帳が交付されていた。だが、里親の朋子さんが主治医に尋ねると「単なる経験不足」と。なぜ施設では知的障害児とされてしまったのか。「俺はバカだから……」という拓海くんに、朋子さんはお母さんとして惜しみない愛情を注ぎ続けたという。 「高橋家という居場所と家族を得て6年。今、拓海くんは中学3年生。ちゃんと受け止めて愛してくれる存在と出あえて、自分の意思で進学した養護学校で生徒会副会長ですよ! 自分を尊重してもらえる体験がどれほど自信を与え、前向きに変えるか。彼は18歳以降の人生を見据えて、正社員として就職できる道が開かれている高校を受験するそうです。朋子さんが切望していた『俺の人生も、なかなかだなぁ』と思える人生に向かって進んでいます。里親さんたちは皆、大変なこともひょうひょうと『自分の根っこを、この家に張らせてあげたい。そして送り出したい』と明るく取り組まれて、頭が下がります」 生きる意味を持つこと 虐待を受けた子が大人になり、親となった時、わが子に暴力をふるってしまうことは少なくない。 「虐待がなじみの環境でそれしか知らないと、暴力が当たり前の世界になってしまうんです。例えば、アルコールの問題がある父親から暴力を受けて育った娘が『絶対お父さんみたいな人と一緒にならない』と思っても、同じような人と一緒になるのは、それが彼女の知っている唯一の世界だから。マイナスのゆがんだ愛着が形成され、それ以外のものを獲得できなかったのです。 施設の職員でも里親でもいい。信頼できるだれかと出会えるかどうかは、とても大きいですね。愛着がないと自分のことも肯定できません。 前に進むポイントは、被害者としての人生から脱却できるかどうか。親のことをずっと恨んでいたら、恨み続ける人生になってしまいます」 彼らには心の傷の修復だけではなく、将来についての困難さも降りかかる。大学進学率も低い。先月、児童虐待防止法の改正が決定し、一時保護中の施設入所措置が20歳未満まで可能になった。 「やっとですよ。今では高校卒業と同時に社会に放り出されていた。18歳で自立なんて、できるわけがないんです。自己責任じゃなくて、もっとこの子どもたちを受け入れられる寛容な社会でありたいですね。 先日、大学1年生の里子が、里親の養育体験会で語った言葉が忘れられません。彼は3歳で育児放棄され、弁当を求めて近所のコンビニ行き保護されました。『俺は何でこんな生い立ちなのか。すごく腹が立つ。悔しい。でもあなたはあなたでいいんだと言ってもらえた。僕が今こうしているのは、里親制度のおかげです』と。実母についてどう思うか聞くと『母子家庭への支援があれば、違っていたと思う』って言うんです。彼はもう被害者としての人生ではなく、自分で決めた福祉の道を歩いていました。 今度は、大人になった彼らのことを伝えたいですね。人生がうまくいっていない子らもいます。でも、生きていてくれたのだから、生きていてよかった思える意味を持ってほしい。それは大人の責任です。また、彼らと里親が、家族になっていく過程は、血縁だけで成り立っている家庭を、逆に照らしてくれる―そんな気がしています」 * くろかわ・しょうこ 弁護士秘書、業界紙記者などを経てフリーライターに。家族の問題を中心に執筆活動を行う。著書に『熟年婚 60歳からの本当の愛と幸せをつかむ方法』『誕生日を知らない女の子 虐待―その後の子どもたち』『子宮剄がんワクチン、副反応と闘う少女とその母親たち』など。 【ライフスタイル】聖教新聞2016.4.22 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 3, 2016 05:38:44 AM
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