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November 21, 2016
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カテゴリ:体験談

宿命を使命に変える

体内被曝、夫の急死、病魔との闘い

 

中学1年で紫斑病の診断

本年527日、オバマ米大統領が現職として初めて被爆地の広島を訪問し、「核兵器なき世界」への歴史的な第一歩が刻まれた。この出来事を誰よりも喜んでいたのが、篠原美保子さん(70=広島創価総県副婦人部長=である。

1945年(昭和20年)86日午前815分、爆心地から2キロの楠木町で、母・竹内鈴子さん(故人)の胎内にいた篠原さんは被爆した。

2ヵ月後の102日に篠原さんは誕生。その後、中学1年生の時に突然の病魔が襲う。歯茎に血の(かたまり)ができ、手足に赤い斑点が出て、入院を余儀なくされている。「紫斑病(しはんびょう)」との診断を受け、記憶にない原爆の爪痕を突き付けられた。

1ヵ月後に退院したが、4年後の62年、高校2年生で再発。ショックで入院を拒み、家に閉じこもった。

「なぜ、自分だけがこんな目に……」

毎日のように泣き叫んだ。

そんな篠原さんに信仰を勧めたのは、先に創価学会に入会していた祖母だった。共に唱題する中で、次第に舌に出ていた斑点が減っていき、1週間後に消えた。

「信心のすごさと感動を胸に、学会活動に全力で励みました。体内被曝の不安は決して消えませんでしたが、『あなたにしかない使命がある』との同志の励ましに、どれほど支えられてきたかしれません」(篠原さん)

 

 

「消せない現実」を背負う

原爆症による体調の変化はなかったが、時の経過とともに体内被曝の苦しみは篠原さんに重くのしかかっていった。就職で差別を受け、結婚を考えた男性は「元気な子どもを産めるのか?」と言って去った。

86日が来るたび、体内被曝という現実を突き付けられるようで、悔しくて、つらくて、テレビを見るのが嫌でした。ましてや平和記念公園などに行くことなんて考えられませんでした。そんな思いが変わったのは夫(健一郎さん)と結婚し、子どもを授かってからです」夫は「君に責任はない。一緒に頑張っていこう」と声を掛けてくれた。出産に際しては、体内被曝の影響が子どもに出ないか、不安でならなかった。だが、篠原さんは唱題に徹し抜く中で、いつしか「必ず元気な子を産む」との決意に変わったという。

21女の母となり、子どもたちに物心ついたころ、篠原さんは広島平和記念資料館へ連れて行った。

「現実を直視するのは本当につらいことですが、子どもたちに平和の心を育んでほしいと思ったのです。同時に、私が体内被曝という現実を背負って、平和原点の地・広島に生まれた意味をあらためて考えました。そして思ったのです。“これは私自身の願兼於業だ。この宿命を必ず自分の使命に変えていこう”と」

法華経に説かれる「願兼於業(がんけんおごう)(ねがい)、業を()ぬ)」の法理とは、過去世の修行の功徳によって、安住の境涯に生まれることができるのにもかかわらず、苦悩に沈む衆生を救済するために、自ら願って悪世に生まれ、仏法を弘通していくことである。

自分が苦難を勝ち越えることで、同じように悩む人々に幸福の道を指し示すことができる。「願兼於業」とは、いわば自分の悩みや苦しみを、人々を救うための「使命」へと変えていくことである。

 

 

苦難に負けない自分を築く

縁する一人一人に“平和の種”をまく思いで、篠原さんは学会活動に奔走した。

一方で宿命の嵐は容赦なく、篠原さんを襲い続けた。90年には、最愛の夫を脳内出血で亡くす。享年42歳だった。3人の子どもを抱えての生活闘争は激烈だった。

還暦を過ぎてからは、甲状腺の手術、髄膜炎、ぼうこうがんなどの病魔に襲われた。だが、そのたびに「このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」(御書1480頁)の一節を胸に、境涯を開くチャンスと捉えて、試練に挑み続けた。

昨年も慢性硬膜下血腫で手術を受け、術後2日目には突然、口がけいれんし、話すことが不自由になった。

「ショックでしたが“口こそ、わが命だ”と勤行・唱題で訓練し、スムーズに話せるようになりました。今では以前より元気になり、友人との対話に歩いています」と、篠原さんは笑顔で振り返る。

日蓮大聖人は「深く信心を発して日夜朝暮に(また)(おこた)らず磨くべし何用にしてか磨くべき只南妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(同384頁)と仰せである。

自身の一念が変われば世界が変わる。そのための方途を、大聖人は「南妙法蓮華経の唱題行」として確立し、示された。

一念の変革といっても簡単ではない。だが、「一念」が変われば「祈り」が変わり、「行動」が変わる。そして、あらゆる苦難に挑み抜いていける。この繰り返しの中で、揺るぎない幸福の基盤が固まっていく。

取材中、篠原さんは力強く語っていた。

20代のころは、信心していても現実は変わらないと絶望し、宿命と向き合えませんでした。しかし、苦難のたびに題目を唱えていく中で、いつしか病になっても全く動揺しなくなりました。『必ず乗り越えられる』との確信を持てる自分に変わっていったのです。どんな試練にも負けない自分自身を築けたことが、信心の最大の功徳です。その功徳を味わうために、宿命との戦いがあるのだと思います」

 

【生老病死を見つめて】聖教新聞2016.9.17






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Last updated  November 21, 2016 04:30:37 AM
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