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カテゴリ:体験談
心に刻む御聖訓 苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南妙法蓮華経うちとなへゐさせ給へ (四条金吾殿御返事、1143頁)
日蓮大聖人は、苦境の渦中にあった弟子の四条金吾に語られている。 「賢人は、八風といって、八風の風に侵されない人を賢人というのである。(八風とは)利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。おおよその意味をいえば、利益があっても喜ばず、損をしても嘆かない等のことである。この八風に侵されない人を、必ず諸天善神は守られるのである」(御書1151頁、通解) 信仰とは、何ものにも揺るがない、堂々たる自分を創り上げる力である。大聖人は、さまざまな面から人の心を迷わせ、紛動させる「八風」に侵されることなく、信心を貫く人こそ「賢人」となり、人生を勝利できると述べている。だが、迫りくる「死」や「病」といった障魔にも揺るがない生き方を貫くのは、決して容易ではない。
突然の余命宣告に動揺 山田栄子さん(55)=東京・港太陽区総合婦人部長=の夫・茂さんが亡くなったのは、2014年(平成26年)7月30日のこと。享年55歳。末期のすい臓がんとの宣告から、2年後のことだった。 茂さんの病が判明した時、腫瘍はすでに5~6センチあり、腹膜にも転移して手術は困難だった。茂さんから、その事実を伝えられた時、山田さんは頭の中が真っ白になり、涙があふれた。 担当医からは、「もっても良くて1年、まれに2年」と告げられた。動揺する山田さんや3人の子どもを前に、茂さんは毅然と語った。「大丈夫だよ。御本尊様は絶対だから。必ず治すよ」——それは、いつもと変わらない茂さんの言葉だった。
常に変わらない夫の姿 山田さんは郷里の愛媛で茂さんと知り合い、23歳で結婚。長男が1歳で、くも膜下出血を発症するなどの試練を乗り越えて、信心の確信を深めた。 1988年(昭和63年)には茂さんの転勤で東京・港区に転居し、その後、夫妻は広布の最前線で戦い抜いてきた。余命宣告を受けた時、茂さんは副区長。茂さんはその後、抗がん剤治療を開始するが、それは亡くなるまで50回を超えた。 山田さんは語る。 「がんによる痛みがなかったのは幸いでした。医者は『絶対に痛みがあるはずだ』というのですが、本人はいたって変わらないのです。がんが分かってからも通院で治療し、普段は仕事へ行き、学会活動にも一歩も引かずに挑戦していました」 茂さんは闘病中、「同志の励ましがあるからこそ病気と闘える。ありがたいね」と語っていた。 山田さんも夫と共に戦い抜こうと決意し、池田先生の指導を何度も読み返し、唱題に励んだ。だが、抗がん剤治療は必ずしも良い結果を示さず、落ち込むこともあったという。 そんな山田さんを励ますように、茂さんは語った。「この病は僕の宿命なんだよ。おかげで、本気の題目があがるよ」 “夫は決して諦めない。病魔に負けるものか!”——茂さんの言葉を聞いて山田さんも気持ちを新たにした。 「苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南妙法蓮華経と唱え切っていきなさい」(同1143頁、通解)との御聖訓を心に刻み、時間をこじ開けて御本尊に向かい続けた。 茂さんは医師の予想を覆し、強い生命力で病魔と戦い続けた。だが、2014年4月に入ると、次第に腹水がたまるようになり、茂さんは休職を余儀なくされる。 同年5月からは自宅療養となり、山田さんは在宅介護で献身的に支えた。この間、茂さんは亡くなる前日まで、力をふり絞るように自力でトイレに歩いていき、普段と変わらない生活を送り続けた。
悲しみに負けず前進 山田さんには忘れられない光景がある。 「亡くなる数日前、夫がかつて折伏した人からお見舞いの手紙が届きました。その時、夫はかなり体力も落ち、食事も十分に採れない状況でした。夫は手紙を何度も読み返しては唱題し、必死に食事を取って体力を回復させようとしていました。その姿に、夫の“い生きるんだ!”という強い意志を感じました」 茂さんの振る舞いは、最後まで変わらなかったという。亡くなる直前、茂さんは山田さんを呼んで「背中をさすってほしい」と頼んだ。山田さんが唱題しながらゴシゴシさすると、「もうちょっと優しくして」と茂さんが笑いながら言った。 そして「ありがとう」と語ると、ゆっくり目を閉じた。これが夫婦で交わした最後の会話になった。茂さんは山田さんにはみとられ、苦しむことなく霊山に旅立っていった。 「夫の葬儀を終えてホッとすると、強い悲しみに襲われました。通りすがりの夫婦を見るだけで涙がこぼれ、“私は二度とこんなことはできないんだな”と思って悲しくなりましたそんな私の支えとなったのは池田先生をはじめ同志の真心の励ましでした」 茂さんが亡くなってしばらくしたころ、地元の麻布文化会館で法寿会の同志とばったり会った。 自身も幾多の苦難を乗り越えてきた法寿会の婦人は、山田さんに駆け寄ると何も言わず抱きしめてくれた。そのぬくもりに学会の温かさを感じた。 夫の死から2年半——。この間、残された山田さん家族は、互いを思いやりながら、悲しみに負けず進んできた。山田さんは仏壇のそばにある遺影に日々の出来事を語りかけながら、学会活動に歩いている。 「とうびょうちゅうの2年間は、夫婦や家族の絆が最も強くなった時でもありました。夫が、どんな時も常に変わらない姿で家族に接して、病と闘いぬく姿を見せてくれたから、私たちも信心を疑うことなく進んでくることができました。『宿命を使命に変えよう』と、必死で戦い続けたこの2年間があったればこそ、今、病で苦しむ友に心から同苦し、励ましを送っていくことができるのだと思います」
「戦う魂」を持った人が最後は勝つ!
【生老病死を見つめて】聖教新聞2017.1.21 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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