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カテゴリ:歴史
歴史学者 藤野 豊
私は、小学6年生の時、近所の短大生のお姉さんから、これを読んでごらんと1冊の本をもらった。それが安本末子の『にあんちゃん 十歳の少女の日記』(光文社、1958年)であった。しかし、その時はあまり興味を覚えず、読んだのか、読まなかったのかさえ記憶が定かではない。しかし、半世紀を経てその本と向き合うことになった。 『にあんちゃん』は、10歳の少女、安本末子の1953年1月22日~54年9月3日の日記をまとめたもので、佐賀県東松浦郡入野村(現・唐津市)にある杵島炭鉱が経営する大鶴鉱業所の炭労住宅に生まれ育った在日コリアンの4人のきょうだい、すなわち、喜一(20歳)、良子(16歳)、高一(12歳)、末子の生活の記録である。 「にあんちゃん」とは末子にとって2番目の兄、高一のことである。4人はすでに母を失い、父も失う。『にあんちゃん』は父の死の記述から始まる。 少女の日記とはいえ、そこには両親を失った子どもたちの苦労、炭鉱の臨時雇いとして働く喜一の解雇ときょうだいの離散、在日コリアンへの民族差別といった厳しい現実が淡々と記されていた。この本は半年間で36万部が発行されるベストセラーになり、NHKラジオでもドラマ化され、韓国でも翻訳出版された。 なぜ、この本が売れたのか。安本には、炭労合理化政策を批判することが、在日コリアンへの差別を告発するとかいう意図はなかった。そこに込められたのは、逆境の中でも、きょうだい4人の絆を信じて幸せに生きたいという願いのみであった。 教育委員会は逆境に負けず生きる子どもたちの記録として評価し、日教組は別に資本主義への批判の書として評価し、校長も組合の教師もこの本を児童、生徒に勧めた。 そして、59年、気鋭の監督、今村昌平が、『にあんちゃん』を映画化する。喜一は長門裕之が演じたが、ほかの3人の子役は一般公募した。良子を演じた松代嘉代は、これを機にプロの女優の道を歩む。 映画では、石炭鉱業合理化臨時措置法の下で閉山に追い込まれる炭鉱の子どもたちに焦点が当てられ、炭鉱合理化への痛烈な批判、そして在日コリアンへの差別の怒りが込められていた。そのため文部省の教育映画選定には漏れてしまった。 しかし、映画化された『にあんちゃん』は炭鉱合理化政策への社会の関心を高める結果をもたらした。映画化された炭鉱合理化の犠牲となる子どもたちの姿は、原作を超えていた。
【炭鉱のまちを歩く[14]】聖教新聞2017.8.3 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 1, 2017 03:38:22 AM
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