4781160 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

浅きを去って深きに就く

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

September 10, 2019
XML

各各師子王の心を取り出して、いかに人をどすとも、をづる事なかれ。師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干のほうるなり、日蓮が一門は師子の吼るなり。(御書p .1190

 

とてもとても有名な御文です。まず、本文に入る前に、些細なことですが、ちょっと書いておきます。
些細なことに、どうしても気になってしまう性分なんですよねーぇ。

「野干」です。

この「野干」、昔はキツネやヤマイヌと訳されていましたが、今は、ジャッカルとする例が多くなってきました。
ジャッカルなんです。ジャッカルは、しばしばハイエナと混同されて、かなり「鈍重」で「死肉」や「ライオンなどの食べ残し」を食らうイメージが投影されちゃってますが、
ハイエナと比べると、足も長く、むしろオオカミっぽい俊敏な動物です。
実は、ハイエナも俊敏なのですが。
なんか、テレビの影響で、「おこぼれにあずかる鈍重なイヌ科の動物」みたいなイメージが定着しすぎましたね。

さてさて、たまたま、大学で、「サンスクリット文法」を習っていたとき、最初に「おとぎ話」の一節を習ったんです。

最初の最初は、あの「世界で最も広く伝わった民話」、「バラモンの妻とマングース」でした。

バラモンの妻が外出しているときに、コブラが家に入ってきて寝ている赤ちゃんを狙おうとしている。そこで、飼っていたマングースが、赤ちゃんを守ろうとコブラとたたかい、コブラを倒す。
そこにバラモンの妻が帰ってきて、マングースの血だらけの口を見て、マングースが赤ちゃんをかみ殺したと思い、マングースを殺してしまう。
そして、「外見で物を判断してはならない」という話になるわけです。
インドのおとぎ話は、とても種類が多くて、これがヨーロッパにも入っていって、イソップ童話になったりします。

マングースは、サンスクリットで、नकुल, nakula といいます。

その最初のころの授業習ったいくつかのおとぎ話のなかに、マングース以上に出てきたのが、शृगाल śṛgālaजम्षुक jambuka ジャッカル、でした。
担当の教授がとても古風なかたで、日常の会話も、「漢文体」かと思うようなひとだったので、「jambuka 、ああ、これはジャッカルね」とかではなくて、
jambuka 、仏典におきましては、これはいわゆる『野干』と言われるものでございまして」と、まるで、砂川捨丸先生みたいな調子で続けられるわけです。

まあ、ともかく、そのとき、「jambuka は、『野干』」と記憶され、さらに、予習していったので、’V.S.Apte Sanskrit-English Dicrionary’ ‘Oxford Monier-Williams Sanskrit-English Dicrionary’に載っていた、jackalも、すでに記憶されていたのでした。
それで、「野干=jackal」というつながりも記憶されたのでした。
後に、南方熊楠の未公表書簡のなかに、次のような一節があるのを発見して、「熊楠すごなぁ」と改めて舌を巻いたのです。

『大和本草』などでいうように野干は狐と別物で、英語でジャッカル、梵名スリガーラ(すなわち悉伽羅)またジャムブカ、アラビア名シャガール、ヘブライ名シュアル、これらより射干また野干と転訳したのであろう。『博物新編』にはなどでは豪狗と作り、モレンドルフ説では漢名豺(さい)はこの獣を指すという。このものはたいそう悪賢いとの話がインドやアラビアなどの書に多く見え、聖書に狐が奸智の深いことを言われるのも、じつは野干を指すのであろうという。したがって支那日本で行われる狐の諸譚のなかに野干の伝説を混入したことが多い

すごいですよね。熊楠。

さてさて、問題の「野干=jackal」ですが、インドの説話において、どちらかというと、「トリック・スター」的な役割で出てきます。「トリック・スター」っていうのは、民俗学、民族学、文化人類学の概念で、秩序を破り、そして混乱をもたらし、時には、新しい時代を開くような役割を演じる存在です。もちろん、混乱のなかで、失敗する例もあります。

たとえば、あるジャッカルがふらりふらりと散歩をして、町のなかをうろついているうちに、染め物屋さんの、染料の瓶に落ちてしまい、青色に染まってしまう。
青いジャッカルの姿を見て、仲間のジャッカルが畏怖し、王としてあがめる。やがては、トラやライオンまでが、彼の家来になる。
トラやライオンまでが家来となり、得意になった件のジャッカルは、仲間のジャッカルたちをばかにして、遠ざけてしまう。
ジャッカルの本性がばれないように、用心して声を出していた彼が、かつての仲間のジャッカルが吠えているのを聴いて、思わず自分も「ジャッカルの声」で吠えてしまい、素性がばれて、トラやライオンたちに殺されてしまう。
――自分の仲間をすてさって、他の力あるものたちにつくものは、染料の瓶に落ちたジャッカルのように、その力あるものたちによって、滅ぼされる。

 

こういう話が、古代インドの教訓説話集「ヒトバーデーシャ」の第三章に出てきます。

この「ヒトバーデーシャ」などの説話集は、「説話」というものの性格もあるのでしょうが、どちらかというと、こっけいな姿のジャッカルが描かれます。

しかし、たとえば、仏教でも、後期の、イスラムのインド侵攻後に成立してきた仏教、すなわち「密教」などでは、ヒンズー教の影響で、人を呪い殺すようなおどろおどろしい、呪法が現れます。その時、「死体を食べる神」、茶枳尼天の眷族として、野干が扱われるようになったりします。
これが、日本では、茶枳尼天と稲荷のお遣わし(眷族)のキツネ、という関係になり、茶枳尼天には、キツネが付き物になり、「野干=キツネ」説に姿を変えるわけです。

大聖人の御書中の「野干」は、そのようなおどろおどろしい雰囲気はまだありません。
茶枳尼天みたいな存在が、広まって、パワー・スポット化してしまうのは、神仏習合と、密教が、人々の意識のそこまで浸透して行ってから以降。
特に、江戸時代になり、檀家制度の影響で、教義を学んだり、法論をしたりすることが、「御禁制」となり、超自然的な、呪術的なパワーを、人々が広く求めていくようになってからです。

例えば、この時に、本来は、芸術の技を研くために信仰する「弁才天」が、金もうけを祈る「弁財天」になって行ってしまったりもしました。

なんか、とても紆余曲折話になってしまいましたが、「野干」というのは、ジャッカルで、インドではおとぎ話によく出てくる、わりと身近な存在。後世の、日本の茶枳尼天信仰みたいなところでは、キツネ(日本には、ジャッカルはいないので)として、わりとおどろおどろしいイメージで語られることになりますが、

大聖人のころは、まだそうではありません。

あくまで、師子(=獅子、ライオン)との対比で語られる存在なのです。

では、その対比とは。

その2を請うご期待。といっても、また紆余曲折話かも。

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  September 10, 2019 03:22:57 AM
コメント(0) | コメントを書く
[友岡さんのセミナー] カテゴリの最新記事


Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

ジュン@ Re:悲劇のはじまりは自分を軽蔑したこと(12/24) 偶然拝見しました。信心していますが、ま…
エキソエレクトロン@ Re:宝剣の如き人格(12/28) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
匿名希望@ Re:大聖人の誓願成就(01/24) 著作権において、許可なく掲載を行ってい…
匿名です@ Re:承久の乱と北條義時(05/17) お世話になります。いつもいろいろな投稿…
富樫正明@ Re:中興入道一族(08/23) 御書新版を日々拝読しております。 新規収…

Headline News


© Rakuten Group, Inc.