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カテゴリ:友岡さんのセミナー
よく、ほんとの人助けって何か、という文脈で語られる例が、「魚を与えてはならない、魚を捕る方法を教えねばならない」という与太話です。
問題は、では、そう語る人が「魚を捕る方法」を丁寧に教えているのかな、ということです。
そう云う丁寧さの綯い、「魚を与えてはならない、魚を捕る方法を教えねばならない」という言葉は、単に「俺には関係ない」という心の中を、言い繕うだけの話なのでしょう。
「与える」とか「教える」とかいう言葉遣い自体が、「上から」なのです。
また、「お世話」の実践っていうのが、大前提としてあるわけです。
魚を捕る網をポーンとわたし、技術を一、二回教えて、「あとは自己責任」と突き放したら、あきませんよね。
それは、「無責任」です。突き放した人こそが、「自己責任」を果たしてません。
よく考えると、「水を汲みに行くだけで20キロ」という毎日の生活をしている人って、「助けるべき劣った人」なのか、という話です。
「劣って」はいませんよね。私たちよりがんばっている人ですよね。
でも、ちょっとその生活は大変だから、そこを私たちがなんとかしましょうか、ということです。
もちろん、「対人支援」については、長らくハンセン回復者と、ホームレス状態にあるかたがたの支援をしてきたので、 「オーナーシップ」の概念は、そこそこ体得していたわけです。
「その場での主人公」は、国難の渦中にある人であり、支援する人が、自分が主人公のように振る舞ってはならない。
困難の渦中にいるかたがたが、自分自身の足で立ち上がったと、実感できるようなお世話を。
というのが、「オーナーシップ」の考え方です。「当事者性」とか、「当事者中心」とかいう感じですがね。
例えばハンセン病患者さんの尊厳回復に長年尽くされてきた医師は、長らく海外で、医療支援(ハンセン病ではなく)に携わってこられました。
そして、ご自身でNGOを立ち上げられて、さらに人道的医療支援されています。
なぜ、そのかたが、ご自身でNGOを立ち上げられたのかということです。
過去に紛争地域であって、地雷で足を失った人たちがたくさんいらっしゃるところの医療支援やってはりました。アメリカがまいた地雷を踏んで足のない人がたくさんいらっしゃったんです。
最初、その医師は、日本政府機関の一員として、派遣されていました。
日本の某巨大財閥や日本政府の援助で、 日本製の最新軽量車イスがたくさん来たんですよ。
最初、みんな喜んだんですが、 あまりに、成功で、道が悪いから、すぐに故障する。 故障したら、修理部品がない!
それでその人は考えたんです。リクシャーありますよね。 壊れたリクシャーから車イスを作ろうと考えたんです。 現地の職人さんに頼んで。そしたら、出来てきたんです。 重くて大きいイスがね。
でも、自分たちの近所の人が作ってくれた! 自分たち町の人が作ってくれた! 而も、壊れたら自分たちで直せる! ――これが、よかったんです。
こういう、ほんとに困って人の生活や社会に則して、支援をすると こういうことは、「国家や」「官僚」みたいな、感じではできないな、と。
それで、その方は、日本に帰ってきて、民間NGOを作ったわけです。
その方は、ハンセン回復者支援と、ホームレス支援もされていて、僕はその方の考え方というのを、自分なりに実践してきたわけです。
まあ言えば、その「オーナーシップ」に基づいた支援活動を長年やってきた自分が、さらに、鍛えられたのが、東日本大震災と福島第一原発事故以降のこの8年だったわけです。
そういった歩みを、ちょっとたどっていきたいと思っています。
2019.4.25
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Last updated
November 21, 2019 03:44:00 AM
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