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April 24, 2020
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緊急事態宣言と心のケア

日本精神衛生学会元理事長  高塚 雄介

自粛だけでは限界が

耳慣れない「緊急事態宣言」が国から出されたことに戸惑いを感じた人も多い。テレビが映し出す他国の様子から、軍や警察が動員されており、あたかも戒厳令が行使されているようにも見え、同じことが日本でも行われるのではないかと思った人もいるだろう。

戒厳令はもとより、ロックダウン(都市封鎖)を行うものではないと安部総理は否定したが、それではなぜ「緊急事態宣言」が出されたのだろうか。

実は緊急事態宣言に類するものはこれまでにもある。日本では地震や津波、火山の噴火などの自然災害が突然起る。そのことにより生命が脅かされると思われた場合、「避難勧告」「避難指示」が出される。

国によっては、避難を強制する命令が出されることもあるが、日本では「避難命令」という制度はない。

「日安指示」は命令に近いのだが、それに従わない個人に対して強制はできない。

「避難勧告」になると、避難するしかしないかは本人の判断に委ねられている。勧告に従わず、危機に遭遇したとしても、それは自己責任とみなされた。

今回の「緊急事態宣言」は家にとどまることで危険を回避するよう求めたわけだが、「自粛」という言葉は実は「避難勧告」に当たる。最終的な責任は当事者に委ねられている。しかし、今回のような感染症から身を守るのに、それでいいのだろうかという批判が多く出された。自粛と重なる在宅ワークに応じるように求められたが、それに応じることができた企業は限られており、日本で企業の従業者数の7割を占める中小企業にはあまり浸透しない。

つまり、個人の判断を重んじる自粛という形で対応するのには限界があり、ある程度、強制力が働く、いわば「避難指示」的な要請を出しやすくしたのが、今回の「緊急事態宣言」になったと考えられる。

 

家という閉ざされた空間

感染症もまた、地震などの自然災害と同じに考えてみると、それは生命の危険と関わっているものであることが分かる。しかし差し迫った生命の危険に関わるものでありながら、それを実感できないところが怖い。切迫感がなかなか生まれてこない。

となると「避難勧告」のように自己決定=自己責任の問題として処置する問題ではないということに目を向けなければならなくなる。危機管理というものは最悪の事態を想定して講じるものでる。日本には「何とかなるさ」とか「様子を見よう」といった考え方をしやすいところがあるが、それでは手遅れになりやすい。

今回の感染症に罹患することを防ぐには三密を避けるということが早い段階から打ち出された。密閉・密集・密接の重なるところに感染が起きやすいということであり、外出自粛にせよ、環境閉鎖にせよ、三密になる場所から遠ざかるということが重視されている。

それはよく分かるが、実はそれに抵触するのが日本の家屋である。地方の大きな家屋は別として、都市社会のアパートや団地の場合には三密を避けろといわれても難しい。小さなトイレを共有し、小さなテーブルを囲んで食事をし、数人で寝室を共有する生活をしている以上、そこで緊密になるなといわれても無理である。日本では家庭が一番感染源になりやすいということもあり得る。感染が分かれば、まず家庭から離れることを考えるべきだろう。

これまで家庭や家族というのは人が最後に頼れる場であるとされてきた。しかし、家族もまた一人一人が異なる価値観を有する人の集まりである以上、そこにはトラブルも生まれやすいことに目を向けておくことが必要である。とりわけ逃げ場がない社会というのは心をゆがめやすい。そこに、DV(家庭内暴力)や虐待といった病理現象も生まれやすい。その背景としては閉ざされた空間というものがもたらすストレスが大きい。

 

不安 不満 孤独 などがストレスに

 

周囲の人たちの心配り

心の健康(精神衛生)の課題というのは、その人の生きざまとその背後にある文化を抜きにしては考えられないのだが、現に置かれている状況というのも大きい。家族間に起る病理行動というものそこから生じていることに目を向ける必要がある。

夫婦や親子と言えどもある程度は距離を持って生きてきた人間同士が、突然密着した生活を余儀なくされることにより生まれる緊張感と、それに伴う精神的ストレスが増していくことを知っておく必要がある。

人間の心にゆがみがもたらされるきっかけは大きく言って四つある。

一つ目に不安が募った時である。これからどうなっていくのか分からないというの、一番不安を募らせる。正確な情報と対策が、できる限り早く提供されなければならない。しかし、医療崩壊であるとか、経済的破綻といったネガティブな情報は、それをどう解決しようとしているのかといった情報と一緒に専門家やマスコミが流すべきだろう。

次に不満を持てあますことである。先にも指摘したストレスからもたらさやすい。狭い空間でも可能な身体を動かす工夫をまず行うことである。できれば部分的なストレッチではなく、全身的なものが良い。また普段は有料でしか見られない映画などが無料でテレビやスマホなどに提供されるだけでも気分転換になる。

三つ目として孤独感・孤立感に陥った時である。特に1人暮らしの人は注意が必要である。高齢者向けの訪問電話のようなものを地域社会で拡充しておくことが大切である。外出の自粛勧告により、電話相談機関も多く活動を停止している。これはむしろ稼働させた方が良い。

最後に挙げておきたいのは自尊心が保てなくなった時である。人間は唯一自尊心に支配される動物であるとされる。

老若男女を問わず、過去の経験や培った価値観にこだわりやすい。しかし、非常事態にはそうした経験や価値観というものは周りから尊重されなくなりやすい。むしろ、邪魔者扱いさえされる。高齢者ほどそれは悲しい。その人たちの過去の体験や価値意識というものをどのようにして生かしていくかを周りは考えていくべきだろう。

何らかの非常事態に遭遇した時は、多くの人の心には、この四つは繰り返し起きる。それが放置され、長期化すると次第に心の歪みをもたらし、うつ的状況や神経症的症状にもつながっていく。

物理的な距離を保つことはできても、そのことで心の距離まで広がることは避けなければならない。心の健康が阻害されることを防ぐには周囲の人たちの心配りが求められる。

 

たかつか・ゆうすけ 1945年、中国・旧満州生まれ。明星大学名誉教授。臨床心理士。明星大学教授、同大学院人文科学研究科長などを歴任。公益財団法人・日本精神衛生会理事。

 

 

聖教新聞2020.4.23






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Last updated  April 24, 2020 06:29:30 AM
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