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March 26, 2021
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カテゴリ:教学

29 池上兄弟・

広宣流布とは、魔との戦いです。日蓮大聖人が池上兄弟に〝競い起こる三障四魔を乗り越えなさい〟と呼びかけられたお手紙(「兄弟抄」)を、戸田先生と池田先生は、「信心の姿勢」を学ぶ重書とされました。三障四魔を乗り越え、一家の宿命転換を成し遂げた池上兄弟について、3回にわたって学びます。

 

池上家について

池上兄弟は、兄は宗仲といい、弟は宗長と伝えられています。池上とは、武蔵国・千束郷池上(現在の東京都大田区池上とその周辺)のことで、千束の大池(洗足池)の上手に当たることが地名の由来であるとする説や、池上家が住んでいたことから、池上という地名になったという説があります。日興上人が筆録した文書によれば、兄・宗仲は池上の地頭だったようです。

兄は()衛門(えもん)大夫(だいふの)(さかん)、弟は兵衛(ひょうえの)(さかん)という官職を持っており、日蓮大聖人はそれぞれの官職名で二人を呼ばれていました。「(さかん)」は、左右衛門府・左右兵衛府の第四等の官職です。「大夫」は、本来五位相当でない官職にある人が五位に昇ったことを示しています。

父親は康光と伝承されています(宗親とする説もあります)。大聖人が「さえもんの大夫」と呼ばれていることから、左衛門尉(六位相当)で五位に昇っていたことがわかります。官位が実質的なものではなくなっていたとはいえ、五位に叙されることは社会的に栄誉なことであり、池上親子は武士としては高い身分にあったといえるでしょう。

父・康光も兄・宗仲も、鎌倉幕府に仕え、殿舎の造営や修理などの建築、土木にたずさわる、大工(工匠)の棟梁に当たったと考えられています。

 

二人の入信

兄が日蓮大聖人に帰依した時期は定かではありませんが、大聖人が立宗宣言されてから3年後の建長8年(1256年)頃、四条金吾らと同時期といわれています。兄弟は、最も早く大聖人の弟子になっていた日昭の甥に当たるという説があり、その関係で入信したとも伝えられています。

 

兄・宗仲が勘当される

入信してから約20年後の建治2年(1276年)、兄弟に大きな難が降りかかりました。真言律宗の僧・極楽寺良観の熱心な信者だった父・康光が、兄弟に法華経の信仰を捨てるように迫り、兄・宗仲を勘当したのです。

当時、親から勘当された子は、家督相続権や遺産相続権を失いました。一族内で地位を失うことは、社会的な身分を剥奪されるということでもありました。つまり、兄・宗仲にとっての勘当は、経済的保証を奪われ、社会的に破滅することを意味したのです。

一方、弟・宗長にとっては、父の意向に従って妙法の信仰をやめれば、家督を継ぐことができるということを意味します。宗長にとっては、信仰を選ぶか、それとも家督を継いで親に孝行を尽くすか、悩ましい事態になりました。このように、兄・宗仲の勘当は、兄弟の信心を破ろうとするものであり、二人の仲を引き裂こうとする陰湿なものだったのです。

 

「兄弟抄」を送られる

この時、兄弟は、すぐさま身延におられた大聖人に事情を報告したようです。大聖人は兄弟に、長文のお手紙「兄弟抄」と認められ、渾身の激励をされています。

大聖人はその中で、兄弟が直面している難は、法華経を信仰したがゆえの、いわば必然的なものであるとされ、法華経に説かれるとおりに、仏道修行を妨げようとする魔性との戦うことが成仏への道であることを教えられています。

そのため、大聖人は、兄弟が信じている法華経がいかに勝れた教えであるかを強調されています。法華経を「一字一点でも捨てる心を起してはならない」(1080㌻、趣意)との仰せに、兄弟は、〝信心の正念場にある門下を、断じて退転させまい〟とする大聖人の強い思いを感じたことでしょう。

また、大聖人は真実の師匠に出会うことが、どれほど難しいかを教えられることと共に、第六点の魔王が智者の身に入って悪知識となり、法華経を信じる人を悪道に落そうとすることを示されています。

 

各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候(中略)此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護させ給うべきにて候らめ    (兄弟抄、1083㌻)

 

苦難は生命を鍛える

さらに、過去世において、正法を行ずる人を迫害した罪によって、未来に大地獄に堕ちるほどの報いがあるところを、今世において正法を行ずる功徳によって、現世で少苦として受けるのであり、いもの難は「転重軽受」の功徳であると励まされます。

鉄を十分に鍛え打てば内部の傷が表面に現れるように、兄弟が懸命に法華経を信じることで、過去世の重罪を責め出しているのであり、この度の難においてこそ、二人の本当の信心が現れて、法華経の行者を護ることを誓った十羅刹女が、必ず守護するに違いないことを示されます。そして、十羅刹女が親も身に入って、兄弟の信心を試しているのだから、何としても信心を貫いて、後悔するようなことがあってはいけないと励まされます。

池田先生は、苦難は「生命の鍛錬」の意義を持つとされ、「悩みや苦しみという〝業火〟に焼かれた時、人間の真価は発揮されます」「わが生命を鍛え抜き、強く磨け上げることが、仏法の大目的です」と講義されています(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)。苦難を不幸なことと受け身で捉えるのではなく、宿命を転換するために自ら責め出したものと捉える――環境や状況に負けない生命を鍛える仏法の力を知り、窮地に陥っていた兄弟は希望と勇気を得たに違いありません。

 

真の孝養のあり方

兄弟が親の意向に背いて法華経を信仰することについて、大聖人は、さまざまな故事をいくつも紹介して激励を重ねられます。それも、「あまりに・をぼつかなく候へば」(1084㌻)、「をぼすかなし・をぼつかなし」(1085㌻)とお世のように、まるで親が子を思うように、兄弟のことを心配されていたことが分かります。

ここで大聖人は、親への孝養に就いて、一般に親の異に全て従う事が孝養であると思われているけれども、仏になる道は、親がそれを妨げる時には従わず、仏道を成就するのが真実の孝養である、と教えられています。それは、自分地震が成仏する事によって、ひるがえって親を救っていくことができるからです。「信仰」と「孝養」は、どちらか一方を選び取るようなものではありません。むしろ、信仰を全うすることこそが、真の孝養となるのです。

 

弟・宗長を心配される

大聖人は、特に弟・宗長の信心を心配されていました。宗長について、「いくらなんでも兄の側には付かないだろう。そうなるとますます大夫志殿(兄・宗仲)に対する父上のご不審は深くなり、並大抵のことでは許されないだろう」と思っていた。しかし、使いの者から、兵衛志殿(弟・宗長)も兄と同じ心であると聞き、あまりに不思議なことであり、未来まで語り継がれるべき物語であると、驚きと称賛を述べられています(1086㌻)。お手紙の最後でも、「特に兵衛志殿に宛てたものです」(1089㌻、趣意)と、わざわざ仰せになっていることからも、勘当された宗仲より、信仰か家督かという選択を迫られた宗長を強く励まそうとされた大聖人のお心が伝わります。

 

兄弟・夫婦が一体で

天台大師の「摩訶止観」を通し、三障四魔に従ってはならないと戒められた大聖人は、〝兄弟の一人のうち、一人が欠けては仏道を成就することはできないでしょう〟と団結を呼びかけられます。さらに兄弟の夫人たちに対しても、もし仮に夫が信心をやめようとした時には夫人同士で結束して戒めていくよう指導されています。

「二人のご夫人方は、あなた方兄弟の大事な支えなのです。女性とは、ものに従ってものを従える身です」(1088㌻、趣意)と、その働きに期待を寄せられています。ここで仰せの「もの」とは人の意味で、ここでは夫である宗仲、宗長のことを言われています。妻は夫に従いながらも、主体性をもってリードしていく力を以ているものであると、当時の社会通念の上から述べられます。

また、「比翼という鳥は、体が一つで頭が二つあります。二つの口から入った食物が、一つの体を養います。比目という魚は、雌雄に一つずつ目があるために、一生の間、離れることはありません。夫と妻とはこのようなものです」(同㌻、趣意)などの譬えを用いられて、夫婦が一体となり、どこまでも力を合わせて難を乗り越えていくように励まされています。

さらに、もし夫が難に負けて退転してしまうようなことがあったとしても、夫人たちが力を併せて夫の信心を諌めるならば、女人成仏の範を示した竜女のあとをつぎ、末代悪世の女人成仏の手本となるでしょうと、夫人たちの強き信心を促されています。

こうした大聖人の厳しくも温かなは解ましをうけて、池上兄弟は夫婦ともども心を合わせて信心に励み、翌年までには、宗仲の感動が解かれたのです。

このことは、建治2年もしくは3年に、鎌倉の門下・四条金吾に送られたお手紙で、「池上右衛門大夫殿のことは日蓮の言った通りにされたので、祈りが叶ったようです」(1151㌻、通解)との仰せから、うかがうことができます。

しかし、三障四魔の嵐はこれで終わったわけではありませんでした。

 

池田先生の講義から

三障四魔と戦うことで信心が磨かれるのです。(中略)

法華経へのこの強盛な信心こそ、変毒為薬の妙用をもたらします。「災い」を変じて「幸い」へと変えるのです。(中略)

大聖人は、この「難即成仏」の軌道を示して、池上兄弟に最後まで戦う覚悟を促されていると拝されます。ありがたいことに、三障四魔と戦い、勝ち切っていく軌道は、師匠であられる御本仏・日蓮大聖人御自身が歩まれてきた道です。まさに「日蓮が身に当たる」(御書1087㌻)実践です。

そして、師に続いて同じ栄光の大道を歩めと、池上兄弟に呼び掛けられているのです。(中略)

また、池上兄弟が実践し、勝利した姿が、後に続く門下たちの未来永遠の手本となります。ゆえに「謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(同㌻)と仰せられているのです。

私たちもまた、牧口先生、戸田先生に教わった「魔と戦う信心」を、謹んで習い伝えて、創価学会万代の発展の因を今こそ築いていこうではありませんか。

(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第2巻)

 

(つづく)

※次回は、再び兄弟を襲った試練について見ていきます。

 

 

【日蓮門下の人間群像―師弟の絆、広布の旅路】大白蓮華20206月号






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Last updated  March 26, 2021 05:38:53 AM
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