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April 10, 2021
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カテゴリ:宗教と社会

先祖崇拝と政教分離

駒澤大名誉教授 洗建氏

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あらい・けん氏=1935年、ソウル市生まれ。早稲田大卒、東京大大学院博士課程満期退学。文化庁宗務課専門員、駒澤大教授を経て同大名誉教授。専攻は宗教学、法と宗教。著書・編著に『宗教と法制度』、『国家と宗教宗教から見る近現代日本』(共編)。

1 最高裁判決

儒教の開祖孔子を祀る孔子廟に那覇市が公有地を無償提供したことは政教分離違反、とする最高裁の判断が224日に示された。判決そのものについては報道以上の詳しい事実関係を調べたわけではないので、おおむね妥当な判決であろうという感想以上のことを申し述べることはできない。しかし、儒教に関する初めての政教分離判決であり、「宗教的活動」に関する司法判断に違和感を抱いた人もかなりいると思われる。この点について少し論じてみたい。

2 儒教と先祖崇拝

徳川時代には朱子学は幕府の官学とされ君臣の規律、為政上の規範とされてきた。また、中国生まれの思想らしく現世中心の教えなので、今でもこれを宗教とは認識しない人が少なくない。宗教学は儒教を宗教研究の対象としてきたが、東洋哲学者の中にも儒教は政治哲学以外の何物でも無いと言い切る人さえいる。

日本の伝統でも「神儒仏の三教」として、人間の生き方に関する教えを説き、神道や仏教と類似したものとする認識はあった。ただ、キリスト教やイスラームまで包括する類概念が日本語になかった。そのため、religionの訳語として「宗教」という言葉が新しく作られてからは、「宗教」といえば自分たちの生活になじんだ神仏とは別のものとする感覚が生まれたものと思われる。宗教の語でキリスト教や新宗教をイメージしても、神社の祭りや寺院の墓参りなどは、いわゆる宗教とは違うとする感覚は今なお残っているように思われる。そのような感覚を持つ人には儒教を宗教として政教分離の対象とすること自体、違和感を与えることになるかも知れない。しかし儒教は日本人の宗教生活の根幹にある「先祖崇拝」を中心とする宗教なのである(加地伸行『沈黙の宗教儒教』などを参照)。

3 日本人と祖先崇拝

日本人の宗教意識を調査すると「自分は無宗教だ」と答える人が最も多い。しかし、そのように答える人でも正月には初詣に行き、お盆には先祖供養を行い、春秋の彼岸に墓参りに行く人が多数派である。今では先祖供養の儀礼は主として仏式で行われているので、儒教は関係ないと思う人もいるだろう。しかし、寺院が葬儀に関わるようになったのは室町時代以降とされている。本来仏教は実体としての霊魂の存在は否定する宗教なのである。祖先崇拝は日本人が仏教以前から持っており、仏教はこれと習合することで、庶民の間に定着したというべきだろう。

日本人の先祖崇拝の起源は断定できない。日本固有の神道も「敬神崇祖」を掲げており、起源において中国の影響を受けているか否かは、何とも言えない。しかし、仮に先祖崇拝自体が日本固有の起源を持つとしても、様々な点で儒教の影響を受けたのは否定できない事実である。

皇室の代替わりの儀式手順、服喪規定などにも儒教の色濃い影響を見て取ることができる。一般人も先祖の祀りは仏壇に位牌をおいて拝礼するが、位牌に霊が降臨するという考え方も儒教に由来する。儒教では死者の霊には魂と魄があり、魂は死後天上に昇り、子孫が祀る時に位牌に降臨するのに対し、魄は死後も地上に止まり、子孫の行状を見守ると考えられている。「親が草葉の陰で泣いている」という諭しの言葉などは庶民の間にも広く伝わっている。

このように日本人は長い歴史を通して、君臣間の秩序を律する政治的思想や家庭内の道徳としての儒教ばかりではなく、先祖祭祀儀礼を中心に宗教としての儒教に深く関わってきた。むしろ、先祖崇拝は神儒仏渾然一体となり、日本人の生活に最も密着した中心的宗教になったといって良いだろう。

ただ、儒教には他の宗教のような教団組織ができなかったので、宗教であると認識できない人が多く、それが政教分離原則に違反するとした判決に違和感を抱く一因となっているのであろう。

 

 

4 政教分離

我が国の政教分離は信教の自由の制度的保障といわれる。もし、国家が特定の宗教と結びついていれば、憲法で信教の自由を無条件で保障すると宣言していても、その「国家と結びついた宗教」以外の宗教に対して国が不利益な扱いをする結果を招くことは人類史的に明らかである。だから国家の宗教的中立性、非宗教性を確保するために、憲法は国家が宗教と関わることを禁止し、国家と宗教を分離したのである。具体的には、憲法第20条第1項後段でいかなる宗教団体に対しても国が特権を与え、政治上の権力を行使させることを禁止し、同第3項では、国およびその機関が宗教教育その他のいかなる宗教的活動をもしてはならないことを定めている。また、第89条では公金その他の公の財産を宗教上の組織又は団体の使用、便益、維持のために支出し、利用に供することを禁止している。

しかし、宗教が社会的存在である以上、国家が宗教といかなる関わりをも完全に断つことは不可能で、不合理でもあるとして、現実の事案を判断する上での解釈基準として、我が国初の政教分離訴訟である津市地鎮祭事件で、最高裁は「目的・効果基準」を示した。それによると、国家の行う宗教と関わりのある行為のうち、「行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果において宗教に対する援助、助長、促進、または圧迫、干渉になるような行為が禁止される」。

この判決を受けて自民党は、憲法改正草案で、国の行為が「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものはこの限りではない」として、禁止の対象から外す意向を示している。本件のような場合、その宗教性は日本人の大部分が受け入れている先祖崇拝であり、社会習俗として継承されているのだから、これに国が関与しても、特に信教の自由の侵害にはならず、何も問題ないだろうと考える人も多いかも知れない。

しかし、よく考えて頂きたい。古い伝統を持ち、社会に定着している宗教で、習俗と結びついていないものはない。むしろ、一般庶民に受け入れられたから、習俗化したのであり、それだけにその部分こそ、根強く変えがたい宗教的慣習になっているのである。もちろん、宗教に起源を持ちながら宗教性を失い、完全に世俗的慣習になったものも無いわけではない。それは、当初から宗教以外の価値を併せ持っている場合であり、祝祭的性格のもの、行事自体に娯楽的要素がある場合は宗教性を失っても生き残り得る。しかし、宗教性を失っていない場合、いくら習俗化していても、本当に信教の自由に関係ないと言えるかどうか、慎重に検討しなければならない。

人生の節目に行われる冠婚葬祭などの通過儀礼は、伝統宗教のみではなく、キリスト教や新宗教などでも行われる。しかし、習俗化した宗教行事とは食い違う変更を伴うと、その信仰を受け入れることに躊躇いを示し、布教伝道の高い障壁になることがしばしばある。これらは本人のみならず家族、親族、地域住民も関係することが多いからである。

この障壁は新参の宗教には、自らの努力で乗り越えなければならない宿命のようなものである。しかし、習俗の範囲を超えないものだからという理由で、国家が関与し、財政的に優遇することが許されるなら、事態は一変する。それは単なる財政上の優遇を超え、国家に公認された権威ある慣習という印象を生み出し、新参の宗教の努力を無にし、これを妨害する効果を持つからである。

それでは習俗と密接に結びつき、そこに安定した存在基盤を得ている伝統宗教にとって、どのような意味を持つのだろうか。習俗となっていることを理由として、国家が財政的、その他の優遇措置を与えることは有り難い、ということになるのだろうか。短期的な視野ではその弊害は見えにくいかも知れない。しかし、歴史的に見て、政治権力は自らが優遇し、保護した相手が、自由権を主張し、好き勝手に権力にたてつくことを許容するほど、お人良しではない。

現政権もまた、日本学術会議への人事介入問題で、その本性をあらわにした。憲法に学問の自由が保障されているにも関わらず、学問的研究成果に照らして、政府の政策等を批判することは一切許さず、学問を権力に従属させようと試みている。そのために国会審議を経て確立していた総理の任命権に対する解釈を、国会にも知られぬように、密かに勝手な解釈変更をしてまで、学術会議を政権の支配下に置こうとしている。

政教分離の規定は権力のこのような性格に学んで、統治権力が立ち入ることのできない領域を制度として確立しようとしたものである。しかし、政教分離も、国家の非宗教性がしっかり維持されているかどうか、国民が常に見張っていなければならない。宗教にとっての命綱である「自由」が失われる危険は常にあるのである。






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Last updated  April 10, 2021 04:45:08 AM
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