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July 26, 2022
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少数者に優しい社会とは 誰もが暮らしやすい社会

生きる上で誰もが無関係ではない「経済」。そのあり方は、長期化するコロナ禍で大きな変化を強いられている。この時代に持つべき視点などを、経済学者の松井彰彦・東京大学大学院教授に聞いた。(聞き手=萩本秀樹、村上進)

 

インタビュー 東京大学大学院  松井 彰彦教授

 

——コロナ禍の今、これまでの〝当たり前〟から抜け出し、新たな日常を築くことが求められています。経済を考える上で、大切な点はなんでしょうか。

 

 

「経済学の祖」といわれるアダム・スミスは、同じスコットランド出身の先輩に当たる哲学者のデビッド・ヒュームと親交を結びました。そのヒュームは、物質世界を理解するための「物質科学」に対して、「人間の科学」を提唱し、スミスの経済思想にも大きな影響を与えています。

経済学の授業では競争の原理や分配の法則なども教えますが。元をたどれば、経済学とは人間について探求し、苦しみや喜びといった感情や主観を分析する学問であるといえるのです。

そうした視点で社会に目を向けると、コロナ禍では生活基盤が安定していない人たちが、特に大きな打撃を受けていることに気付きます。経済政策などで救われる一方で、そうした政策の網からさえも漏れてしまうような人たちがいるのも現実です。

実際、ホームレスの人たちの多くは公的な本人確認書類が取得できないといった理由から、昨年の一律10万円の特別給付金をもらうことができませんでした。

近年、性的少数者をはじめ、さまざまな立場や境遇の人に光が当たる社会になってきていることは、大きな進歩といえます。もともと社会に存在していた問題が、コロナ禍でさらに表面化しているといえます。

 

 

 

障害と経済

——そうした弱い立場の人たちへの視点を経済学に取り入れ、「障害と経済」をテーマに研究を続けてこられました。

 

「障害」と「経済」は異質にも見える組み合わせですが、その始まりは、十数年前、障害学を研究する2人の先生との交流でした。

 当時、東京大学で障害者雇用を推進するためのワーキンググループが立ち上がりました。そこで、2人の先生方と議論するうちに、障害者と経済学の相性のよさに気付いたのです。

 個人が何を考え、どう行動するかをベースにしながら、社会について考えるのが経済学です。その第1原則は、個人はそれぞれの行動原理に従う——つまり、「自分のことは自分で決める」ということです。

 一方、障害学は、〝障碍者をいかに社会に適合させるか〟と考える医学やリハビリテーションに対立する理論として、発展した側面があります。〝社会が障碍者に適合すべき〟であり、障害者を対象ではなく、自ら考え、行動する「主体」と捉えるべきであるというのが、障害学の立場です。

こうして見ると、二つの学問は、個人はそれぞれが自立した存在であるという点で結び付きます。

「自立」の対極にあたるのは「依存」であり、自立とは誰にも依存しないことだと思われがちです。しかし経済市場を考えてみると、決してそうではないことが分かります。

例えば、ある客がA店を気に入らなければ、B店に移れる。また、ある店がC客に嫌われても、D客に商品を買ってもらえる……こうした市場の特質は、客にとっても店にとっても、多くの選択肢があるということです。

切られたら終わりの一本の命綱ではなく、さまざまな〝ゆるいつながり〟依存し、支えられている。自立するためには依存先を増やすことが大切で、その依存先を提供してくれるのが市場なのです。

障害者にとっても、特定の誰かに支えられる生活はとても脆弱です。その誰かがいなくなれば、生きていけないからです。障害者多くの依存先を持ち、特定の誰かではなく、さまざまな人に頼れる状況こそが、「自立」といえます。

 

 

——費用対効果を重視して来た経済学は、「ゲーム理論」の発展で大きく変容したと述べていらっしゃいます。どのような理論でしょうか。

 

従来の市場原理では、「市場対個人」をベースとして、顔の見えない取引関係が想定されています。それに対してゲーム理論では、「個人対個人」の顔の見える取引関係をベースにしています。

いわば、ゲーム理論は「人間関係を科学する学問」であるといえます。有名なたとえに「囚人のジレンマ」(注1)などがありますが、私たちの実生活でも、さまざまな場面で応用されています。

例えば、友人同士が渋谷駅で待ち合わせをする場面を想定します。駅で会うとだけ決めていたところ、片方が携帯電話を忘れてしまいました。どうするか。

渋谷といえば、相手は「ハチ公前」を思い浮かべるではないか——。そう互いに考えるので、とりあえずハチ公前に向かえば、会える可能性は高いですね。

しかし、これが新宿駅をなると、話は別です。待ち合わせ場所といっても無数に存在し、どこに相手を探しに向かえばいいのか、途方に暮れてしまいまいます。

でもここで、2人の関係が非常に深く、〝新宿のあの店が好きと言っていたな〟などと思い出せば、ひと先ずはその店に向かうというのは、一つの選択肢になるわけです。

こうしたゲーム理論が教えることの一つは、相手の考えを「読む」ことの大切さです。渋谷であれ、新宿であれ、〝相手はどこに向かうだろうか〟と考えることで、初めて2人は出会えるわけです。

その意味で、ゲーム理論は、「自分のことは自分で決める」という経済学の第1原則に、「相手のことを考える」という要素を加えたといえます。

ここでABが互いに相手のことを考えているとき、同時に自分自身のことも考えているというのが、ゲーム理論の難しくて、面白い部分でもあります。また、2人の間では納得し合えても、それが大人数を、ひいては社会全体になれば、ゲームはより複雑になります。

このように、経済学は、人の考えや行動を分析する上での、「ものの見方」を提供する学問であるともいえます。

 

 

当事者の強弱

——「ものの見方」に関連して、〝ふつう〟を問い直す重要性を訴えてこられました。

 

経済モデルでは、どうしても、〝普通の人がどう考え、行動するか〟という点に目線が置かれます。

動揺にあらゆる社会のきまりも、〝平均的な人〟に向けてつくられたものばかりであり、その決まりに適応できない人が「障害者」等と認識される。今の障碍者制度の基本的な考え方もそうだといえます。

そこでは、たとえば人間の能力をIQ(知能指数)で測り、ある数値を下回れば障害者であるというような、明確な線引きがなされるわけですが、私は、この「障害者/非障害者」といった二分法に、注意が必要だと考えています。

その制度のはざまにいる人たちが、見落とされてしまうからです。実際、障碍者手帳が交付された人には障害者雇用の機会がある一方で、同じように社会で生きづらさを感じていても、手帳を持っていなければ、雇用されないといった現実もあります。

そう考えると、「障害者/非障害者」といった分類では太刀打ちできない問題が多くあることに気付きます。

人間は本来、大なり小なり、誰もが平均から外れている以上、「当事者/非当事者」という二分法ではなく、障害という当事者性の「強弱」という視点に立つと、社会の問題が見えやすくなります。いわば色の濃淡を表すグラデーションのように、障害という問題を捉えるのです。

特に日本では、障害者制度にしても、はっきりとした二分法をとっている数少ない先進国です。もちろん、制度のうえでは、特定の基準で線引きをしなくてはならない場面も多くあります。しかし大切なのは、私たちの見方や考え方までもが、「白か黒か」の二分法にならないことだと思います。

「支援すべき人/しなくてもいい人」というように人々を分類するのではなく、たとえ同じであっても、〝この場面では問題ないけれども、別の場面ではサポートが必要だな〟といように、柔軟に捕らえていく視点が大切ではないでしょうか。

 

 

プラトンと仏陀

 ——その意味では、障害者という属性は固定的なものではなく、社会の中で生み出されたものであるといえます。

 

 その通りです。〝ふつう〟から外れた人に烙印が押される——それはまさに社会的産物です。そして、そうした社会の認識や慣習をつくるのは人間です。

 ここの経験から一般的、普遍的な法則を見いだそうとする行為を、「帰納」と呼びますが、個人が経験できることは限られている以上、そこから生み出される法則は、不完全である可能性を常にはらんでいます。

 そこに思いをはせるということは、自分が考える〝ふつう〟という基準は、絶対ではないとの認識に立つこともあります。

 このことを古くから表現したのが、西洋では古代ギリシャの哲学者プラトン、東洋では仏陀(釈迦)です。

 プラトンは「洞窟の比喩」(注2)を通して、私たちが見ているものは、洞窟に映る影のように、真実ではないと言いました。

 あるいは仏陀は、人間が水と見るものも、餓鬼は膿血の河、魚は住処、天上人は宝石の大地と見ると教えました。境遇や視点によって、ものの捉え方が異なるということです(注3)。

 プラトンも仏陀も、自分のかぎられた政権によって導き出された〝ふつう〟から抜け出して、太陽に照らされた広い世界を見る努力の重要性を、示唆しているように思います。

 

 

拡大鏡のように

――〝ふつう〟から外れているといわれるような、少数者の人たちを助けることは、社会全体を利することにつながると述べていらっしゃいます。

 

私は、いわゆる〝平均的な人〟などいないのではないかと思います。誰もが生きづらさを抱えており、多かれ少なかれ、〝ふつう〟から外れているのではないでしょうか。

そう考えると、生活保護を受けている人や障害者らについて考えることは、ある意味で、誰もが抱えているかもしれない問題を、拡大鏡のように大きく見せてくれていると捉えることもできます。その意味で、少数者に尽くすことは、多数者の人たちを犠牲にする者ではないのです。

実際、東京大学では2010年度に在宅就労制度を導入し、私の研究室では現在、3人の障害者が自宅で働いています。在宅就労の道が開かれたことで、今後は障害者に限らず、さまざまな境遇の人たちに就労の機会が広がる可能性は大いにあります。

あるいは駅のエレベーターも、初めは、車椅子の障害者のために設置されたりします。しかし、いざ設置されれば、高齢者やベビーカーを押すお母さん、重い荷物を持った人なども使うようになり、どんどん満足の度合いが上がります。

障害者を社会の中に包摂しようという努力は、結果として他の多くの人にとってもプラスになるのです。

弱い立場の人たちが暮らしやすい社会は、全ての人が安心して暮らせる社会でもあります。そうした社会のあり方を、私たちは目指すべきです。

障害者やホームレスをはじめ、声をあげられないような状況で生きる人たちが、多くいます。その人たちに寄り添うのが政治の役目ですが、現実には、そうした高潔な政治の理念は行き届かないときもあります。

だからこそ、政治を監視し、正していくのは一般の人たちであり、創価学会の皆さんに期待するのもその点です。政治が見落としてしてしまいそうな人々にも手を差し伸べ、庶民の声を代弁していただきたい。

人々を区別し、分類してしまう、社会の〝ふつう〟を問い直す。そして、障害者に対して抱くような愛情や優しさを、全ての人にそそいでいく。そうして生き方が多くの人の〝ふつう〟になれば、どれほど素晴らしい社会になるでしょうか。

最初に行動するのは一人であっても、それが10人、100人と広がれば、社会の認識や習慣に変わります。希望あふれる未来をつくるのは、人間自身の行動と連帯なのです。

 

(注1)           囚人のジレンマ 共犯者である2人の囚人が、別々に取り調べを受けている状況を想定したゲーム。互いに黙秘すれば証拠不十分で釈放されるが、互いに自白すると一定の刑に服する。このままだと互いに黙秘する方がよさそうだが、刑事が「お前が自白して向うが黙秘すれば、あいつを首謀者にしてお前は釈放してやる」と持ち掛けると、自分が黙秘しても相手は自白するのではないかと疑心暗鬼になり、2人とも自白してしまう。

(注2)           洞窟の比喩 古代ギリシャの哲学者プラトンが『国家』の中で述べた。生まれながら洞窟に鎖でつながれていた囚人たちが、壁に映じる人や動物の影を実在と思い込んで育つ。解放され、外の世界へと出た囚人の一人は、少しずつ、物事の真実(=実在の世界)に目を慣らしていく。人々が固定観念や偏見によって、真実をありのままに認識できないことの比喩。

(注3)           御書には「餓鬼は恒河を火と見る人は水とみる天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり」(1025㌻)等とある。

 

 

 まつい・あきひこ 1962年生まれ。東京大学卒業。米ノースウエスタン大学MEDSで博士号取得。ペンシルベニア大学経済学部助教授、筑波大学社会工学系助教授を経て現在、東京大学大学院経済学研究科教授。「ゲーム理論の観点から社会現象全体を解釈しようとする研究」により、学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。エコノメトリック・ソサイティ終身特別会員。著書に『高校生からのゲーム理論』『市場って何だろう』『慣習と軌範の経済学』『障害を問い直す』(共著)など多数。

 

 

 

【危機の時代を生きる】聖教新聞2021.6.18






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Last updated  July 26, 2022 05:29:35 AM
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