4797018 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

浅きを去って深きに就く

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

October 2, 2022
XML

歴史の教訓から学び新たな社会の建設を


インタビュー
 

英オックスフォード大学 マーガレット・マクミラン名誉教授


現代人の思い込み

——今回のコロナ禍と、ペストやスペイン風邪など過去の感染症パンデミック(世界的大流行)の違いについて、どのように考えておられますか。

 

まず申し上げたいのは、現代の私たちは、過去の人類に比べてリスクに不慣れになっていたということです。薬品や治療法の飛躍的発達によって、がんやエイズなど、かつては治療不可能と考えられていた病気も克服できるようになりました。私たちは、どんな医療的困難が訪れたとしても、それを克服できると思い込んでいたのです。

これに対し、14世紀の欧州では、医療は未発達であり、病気で命を落とすことは日常の出来事でした。ペストに襲われた当時の人々にとって、「死」は決して特別なものではなかったのです。人々は、どんなに努力しても治療できないことを理解しており、突然の「死」に対して慣れていたわけです。

スペイン風邪が猛威を振るった20世紀前半でも、現在と比べれば「死」はもっと身近な存在でした。

腸チフスやコレラなどの疾病は一般的で、女性が出産で亡くなることも多くありました。若い人も老人と同じように突然亡くなりました。「死」は突然訪れるものであり、人間ができることは限られている——人々は、そう考えていたのだと思います。

また、スペイン風邪が流行したのは、850万人が戦死した第1次世界大戦の終わりの頃です。当時のパンデミックに関する証言や文学作品が少ないのは、戦争、革命、飢餓など、命に関わる他の動乱があまりにも大きかったからでしょう。パンデミックは、複合的な危機の一つしかなかったのです。

一方、医療が急速に発達した現代にあって、私たちは「死」を身近なものとして直視せず、リスクに対して不慣れになっていました。そうした中で新型コロナのパンデミックは、人間と社会の脆弱性を浮き彫りにしました。だからこそ、私たちは極めて大きな衝撃を受けたのだと思います。

 

 

——コロナ禍と過去のパンデミックとの類似点については、どうでしょうか。

 

時間差はありましたが、これら過去の感染症も、欧州だけでなく中央アジアや中東など広範囲な地域に広がりました。

また、人々の反応が多岐にわたったということも、大きな類似点であると思います。ペストに見舞われた中世欧州でも、病気の存在自体を否定する人からパニックを起こす人まで、さまざまでした。自分たちの身を守ることだけを考える人もいれば、ボランティアグループを結成して、互いに助け合う人々もいました。

今回のコロナ禍でも、その危険性を疑問視する人から、懸命に感染抑止に協力する人など、さまざまな反応が見受けられます。

陰謀論が流行した点も、当時と今で共通しています。中世欧州では、陰謀論者がユダヤ人などのマイノリティー(少数派)に責任を押し付けました。

今日も、事実に基づかない偽情報が蔓延し、パンデミックの原因を巡って、大国同士が互いに非難を繰り返しています。700年たっても、人間の本質というのは、たいして変わっていないのです。

 

 

自己満足と油断

——博士は論考「コロナ後の世界——歴史からの視点」の箇所で、第1次世界大戦など過去の危機とコロナ禍を比較し、三つの教訓を提示しています。➀現状に安心し油断する「自己満足」、②自分と違う意見を受け入れない「狭い視野」、③危機が過ぎるとすぐに以前の状態に戻ろうとする「経験から学ぼうとしない姿勢」です。

 

とりわけ警戒しなければならないのは、「自己満足」に陥って油断してしまうことです。その危険性は、第1次世界大戦が勃発する家庭が如実に表していて、コロナ禍に立ち向かう私たちも胆に銘じるべき点です。

1914年に世界大戦が始まるまでの数年間、ボスニア危機(08年)、イタリア・トルコ戦争(11年)、バルカン戦争(12年と13年)と、いくつかの危機が続きました。列強諸国は、それぞれの危機をどうにか切り抜けることができましたが、〝軍事力の威嚇だけでも効果はあるし、たとえ局所的な戦争に至ったとしても最後の話は話し合いで解決できる〟という「油断」を生みました。

1次世界大戦の引き金となったオーストリア皇位継承者暗殺事件が起きた後でも、一般市民も含めた多くの人々が、〝今回の危機も結局、以前の危機のように平和裏に終わるだろう〟と考えていました。

しかし武力をちらつかせた瀬戸際外交は、すでに脆弱だった欧州の国際秩序を突き崩し、自国の不利益を未然に防ぐための予防戦争へと駆り立てました。つまるところ、〝今回も以前のようにうまくいくだろう〟という「油断」が、かつてない規模の戦争へと人々を突き落とした要因の一つになりました。

翻って、私たちが直面するコロナ禍はどうでしょうか。感染拡大初期に、〝どうにかできるだろう〟という「油断」が、死者数の多い各国政府にあったことは否めません。

そしてワクチン接種が進んでいる今、私たちが懸念しなければならないのは、「結局のところ、すぐにワクチンが開発され、想像していたよりも犠牲者は少なかった。今回も何とかなった」と油断してしまうことです。

私は易学者ではありませんが、次のパンデミックはほぼ確実に起こると考えた方がいい。例えば5年後に、私たちが「あの時は大変だったね。でも、もう大丈夫」と振り返っているだけのような状況は避けなければなりません。

 

 

——博士は同論考で、戦争の歴史を振り返り、危機が社会の価値観を根本的に変革しうると論じています。コロナ禍にも、そうした可能性はあるのでしょうか。

 

パンデミックと戦争は別次元の話であり、安易に比較すべきではありませんが、ともに平時ではなく非常時であり、より大きな権力と独断的な措置が必要になる点は共通しています。そうした意味で、既成概念や社会の前提を変ええる要素をはらんでいるといえます。

例えば先の大戦では、特定の職種に女性は就くべきではないという既成概念が覆りました。はっきりとは言えませんが、今回のコロナ危機においても、私たちが自分自身をどう捉えるのか、政府についてどういう考えるのか、そして政府と市民がいかに協力していけるのか、そうした意識に根本的な変化が起こるのではないでしょうか。

ある特定の人種コミュニティーがより甚大な被害を受けていることが示すように、コロナ禍は、不平等、格差、分断といった問題を改めて浮き彫りにしました。加えて、私たちの目の前には、気候変動、各国で増幅する偏狭な国家主義など、人類の行方を左右する大きな課題が山積しています。

これらにうまく対応し、安定した国際社会を築くためには、社会の価値観と一人一人の行動の改革が求められるはずです。

 

 

——具体的に、どのような変革が望ましいと思われますか。

 

私たちはコロナ禍を通して、人間は「協力」なしで何もできないことを改めて知りました。政府がリーダーシップを発揮し、国民が「協力」できた社会は、死者数を少なく抑えられています。日本や韓国など東アジアの国々には、欧米諸国と比べ、強い共同体意識と社会的責任の感覚があります。政府の対応も効果的だったのでしょう。それが違いを生みだした。

一つ確かなのは、「個人主義」が危機をもたらすことを、欧米諸国が学んでいる点です。自分と家族のことだけを考える傾向が強い初回は、より大きなリスクにさらされる。私たちは、「協力」や「団結力」といった価値の重要性を、コロナ危機から学んでいます。

政府の役割がいかに重要であるかも、私たちは再確認しました。都市封鎖をはじめ、生活支援、経済刺激策、ワクチン接種など、政府による大規模な施策なくして、感染症とは戦えません。大きな政府は成長の生涯であり非効率的であるため、極力その役割を小さくすべきだという「新自由主義」の革命が、1980年代に始まりましたが、その潮流は終焉に向かいつつあります。危機に対応するには、「よい政府」が欠かせません。

 

 

問われる生き方

——今月、広島と長崎は原爆投下から76周年を迎えます。第2次世界大戦後、日本は平和を希求し、さまざまな形で国際社会の発展に貢献してきました。

 

日本は、国際社会で非常に重要な役割を果たしています。私の国カナダと同じように、国際機関、多国間主義を力強く支持し、国際秩序の構築と維持に多大な貢献をしています。これまでと同じように、共々に国際秩序を信じ、守っていってほしいと願います。

各国が「協力」できる世界を実現しなければ、人類の未来はありません。例えば、気候変動の問題一つとっても、全ての国が協力できなければ、人類全体が被害を受けることになります。気候変動はすでに紛争を生み、人々に苦渋を強い、多くの命を犠牲にしています。私たちが協力し、安定した世界を築く以外に、この問題を乗り越える道はないのです。

 

 

——気候変動などの地球的問題に対して、〝普通の市民〟ができることは限られている、と言う人もいます。

 

〝自分には、どうせ何もできないし、行動しても意味がない〟と投げ出してしまうのは簡単です。しかし、危機に強い社会を築くために、私たちにできることが必ずあるはずです。地域の行事に関わること、気候変動のような社会問題の解決のために活動すること、あるいは政治に積極的に参画することなど、さまざまな方法があります。

一人一人の市民が、それぞれの道で積極的にかかわっていかなければ、健全な社会は決して築けません。もちろん一人の力ですべての問題を解決できるわけではありません。だからといって、心のドアを閉めて、諦めてはいけないのです。

他者に対する一人一人の姿勢は、その社会の特質の情勢に寄与します。第1次世界大戦後の荒廃した欧州社会にあって、人々は心を閉ざし、他者を責め、独善的な国家主義が台頭しました。そして多国間の人的・経済的交流が衰退していき、やがて2度目の政界大戦へと突入していったのです。

1次世界大戦と第2次世界大戦の戦間期の教訓から学ぶべきは、〝自分たちさえ良ければいい〟という偏狭な国家主義にとらわれてしまえば、世界的な危機を解決できないどころか、危機が連鎖してしまうということです。

コロナ危機から「良き変革」を生み出すのだとの希望を失わず、失敗からは謙虚に学び、決して油断せず次の危機に備える。冷戦後の新たな世界秩序がいまだ存在しない社会だからこそ、危機を乗り越えるための、私たち一人一人の生き方が問われているのではないでしょうか。

 

Margaret MacMillan カナダ・トロント出身。英首相ロイド・ジョージの曽孫。トロント大学で修士号を取得後、オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで博士号を取得。同大学の国際史教授、同カレッジ学長等を歴任し、名誉教授に就任した。現在は、トロント大学教授。ウェスタンオンタリオ大学など多数の大学から名誉学術称号を受賞し、2018年には、英王室からコンパニオンズ・オブ・オナー勲章を授与された。第1次世界大戦後のパロ講和会議を描いた代表作『ピースメイカーズ』など多数の著書がある。©Canadian War Museum

 

 

 

【危機の時代を生きる】聖教新聞2021.8.5






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  October 2, 2022 05:51:38 AM
コメント(0) | コメントを書く


Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

ジュン@ Re:悲劇のはじまりは自分を軽蔑したこと(12/24) 偶然拝見しました。信心していますが、ま…
エキソエレクトロン@ Re:宝剣の如き人格(12/28) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
匿名希望@ Re:大聖人の誓願成就(01/24) 著作権において、許可なく掲載を行ってい…
匿名です@ Re:承久の乱と北條義時(05/17) お世話になります。いつもいろいろな投稿…
富樫正明@ Re:中興入道一族(08/23) 御書新版を日々拝読しております。 新規収…

Headline News


© Rakuten Group, Inc.