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カテゴリ:心理学
『行人』の一郎が見いった「蟹」の姿 心理療法家 「まどか研究所」主宰 原田 広美 家族の中で苦悩した『行人』の一郎は、小説の最後に旅に出た。前回も書いたが、母から受容も評価も受けずに育った一郎は、母と似て、直接的に物を言わず、一郎に冷淡な妻の直をうまくあやせない、そんな自分を責めた。 一郎の胸中には、生育歴の中で親子関係からえたトラウマがあった。おそらく、一郎が生まれた時、母は父に対して「勝ち組〈技巧派〉」のポジションを保持するためにも、一郎をでき愛した。 だが二郎が生まれると、母は父に似た一郎の気質に気づいて遠ざけ、自分と似た気質の二郎を優遇したのではなかったか。そのため一郎は、母の溺愛の対象から、一気に「気難し屋」扱いの子供に降格し、以後、愛情に飢えて孤独を抱えた可能性がある。 人は、自分の傷を抱えたままで、人を癒すのは難しい。それが、一郎が直の絶望や「死への欲求」を見抜けず、あやせなかった理由である。また「負け組(真正直派)」気質の三沢が、病気に倒れた芸者や、出戻りの精神病の娘と心を通わせつつも、力を貸せなかった原因でもあるだろう。 また一郎が、直を直接に問い詰められないのは、家族でいちばんの「負け組」気質であるための、自己肯定力の不足からだ。直の率直な告白に、もし自分が打ちのめされてしまったらと、恐れたのだ。この一郎の冒険心の欠如は、朝日新聞に辞表を出しきる冒険には至らなかった漱石の、「負け組」気質の影にも見える。 一郎は、Hさんととびに出る。旅先から二郎に、一郎の様子を書き送ったのはHさんだった。一郎は、何かに見入ることで「不安」や「恐れ」から逃れようとしたようだ。それは、何かに見入った瞬間の「今」に生きる、ということだっただろう。 同時に一郎は、松の優雅な気品と力強さ、百合の純白さや高価なエロス、山や谷の雄大さや崇高さに見入りながら、それらの性質を自分の中に生み出そうとしたようでもある。 最後に一郎が見入って所有しようとしたのは、身を守る甲羅とハサミを持った一人歩きの「蟹」だった。それは、横歩きながらも、精神的な独立を果たした一郎の姿を彷彿とさせる。
【夏目漱石 夢、トラウマ―18―】公明新聞2021.10.15 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 15, 2023 04:47:45 AM
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