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カテゴリ:池田先生の指導
自分に克ちゆく唱題を 心、一念は、色や形もなく、有無の概念も超越した不可思議なものです。「一人一日の中に八億四千念あり」(471㌻)と、さまざまな延に触れ次々に起こっては消えていきます。 この変転してやまない一念を、善の方向へ、幸福の方向へと向上させていくのか。それとも、苦悩から苦悩へと向かい、地獄の境涯へ流転してしまうのか――。 大聖人は本抄で、「善悪に付いて起こり起こる処の念心の当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり」(384㌻)と仰せです。 実は、常に変化してとどまることのない、自身の一心が本来、妙法の当体であるのです。 そう聞いても、自分自身が妙法の当体であることを信じられない——これが、元品の無明です。一切の幸福の原因である、この無明を晴らせるのが、信心の利剣です。 すなわち「我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり」(383㌻)と仰せのように、妙法蓮華経への深く信の「一念」に、仏界の生命が顕現するのです。 「妙法」に「わが生命」を合致させゆくための唱題です。ゆえに祈りとは、自身の一念における、法性と無明との熾烈な闘争です。この戦いに勝ち、〝自分の生命が妙法の当体である〟と確信しきることが、「成仏の直道」であることの御断言なのです。 すなわち、無明に覆われて気づかなかった妙法と一体の本来の自己に目覚める戦いです。ですから、「苦楽ともに思い合せて」(1143㌻)、迷いの自分に克ちゆく唱題を重ねることが最も大切なのです。
【世界を照らす太陽の仏法】大白蓮華2021年12号 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 8, 2023 05:50:44 AM
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