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カテゴリ:友岡さんのセミナー
「難」って「何」やねん?/椎地四郎殿御書
「椎地四郎御書」には、次のように記されています(p1488)。 末法には法華経の行者必ず出来すべし。但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや。大海へ衆流入る。されども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ。 一人の人間の人生において、およそ「難」は二つの形で、「出来」してきます。 一つは、個人の人生の「老病死」や、経済的に立ち行かなくなること、他者との衝突など。 もう一つは、「社会」とのあつれきです。 例えば、独裁国家において、「報道の自由」を求めれば弾圧されます。 そして、それは「独裁国家」だけではありません。普通の社会でも、その社会から偏見・差別をもって見られる人たちは、普通の人生を送ろうとするだけでも、さまざまなあつれきがあります。 例えば、私の身近でいうと。 友人に精神的な障碍があり、30歳過ぎから、家から出られず、仕事もやめねばならなかった男性がいます。 当然、障がい年金をもらって暮らしているのですが、テレビ番組で「生活保護」についてのバッシングが出るたびに、具合がとても悪くなり、「死にたい」と電話がかかってきます。 実際、いままで、広間うろうろしててて、「あんた仕事してへんのか」、とか言われた経験があったり、喫茶店に入ってもジロジロと見られたり、また「仕事せんで、お金もらって気楽なもんや」と、噂されたこともあり、 そのことで、また、自身を責めて暮らしてきたのです。 だから、「生活保護バッシング」などの、いわゆる「弱者叩き」の風潮には、極端に敏感で、昨今の風潮の中で、どんどん病態は悪くなり、おびえながら暮らしています。 1990年代には、デイサービスみたいなところに行けた! とか、明るい電話が多かったのですが、この数年、ひどくなりました。 それは、社会がそれだけひどくなったということでしょう。 さて、長くなりましたが、これは「社会側」に原因があり、それが圧力=難となって、人生に覆いかぶさってきているといえるでしょう。 よく考えれば、一つ目の個人的な難についても、周辺のサポートとか、「老いること」「病気になること」について、周囲に成熟し、思慮深く、共感してくれる社会が広がっているならば、もう少し楽に暮らせるかもしれません。 そういう意味では、一つ目と二つ目は重なり合っています。 で。 そういう、成熟し、共感性が高い社会へと変えていこうと、積極的に行動したら、まだ、未熟で、無関心が広がる社会は、その行動を止めようとしてきます。 だから、「難に難が重なりあってくる」わけです。 ものすごく、個人的な感触なのですが、「法華経の行者」と「難」の関係というのは、そういう、新しい社会を積極的に作ろうとする者と、それを阻もうとする者との間のあつれきのような感じがしてならないのです。 大聖人は、「法華経の行者」と「難」の関係について、「火」と「薪」、「大海」と「衆流」に例えられていることが注目されます。 加部とかの幾手を阻み、妨害するものとしてではなく、むしろ、それによって、より勢いがましてくる、また水の供給源。 つまり「難」は、乗り越えるべき障害ではなく、もっと積極的な意義を持つ、「存在や活動を支える源泉」といえるもの。 もちろん、法華経勧持品や不軽品に出てくるような妨害するものが現われ、その迫害を身で受けることにより、『法華経』を「身読」できて、法華経の行者であることが証明されるということもあるわけです。 もっと積極的に、そのような(固陋な社会とあつれきが生まれるような)人生を歩んでいけ、それによって、人の価値はさらに高まる、と言われているように思えるのです。 忖度や同調圧力とかに負けない人生が、勧められているように思えるのです。 ちなみに「行者」と言う言葉ですが、大聖人当時、大きく二つの宗教集団に用いられていた言葉です。 一つは、貴族などに近づいた巨大寺社を離れ、山岳で苦行に勤しむ山伏たち。 もう一つは、同じく貴族などに近づいた巨大寺社を捨て、町や村の中に向かった一遍らの「捨聖」「市の聖」と呼ばれた宗教者たち。 いずれにしろ、「行者」は、時の世俗権力と結んだ寺社勢力からは、異端と憎まれた存在でした。 【友岡雅弥さんの講義から】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 26, 2023 06:18:08 AM
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