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May 1, 2023
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歴史の岐路に立つ人類。高原の見晴らしを切り開く

インタビュー 社会学者 見田 宗介さん

 

 

現代社会はどこに向かうのか

――「現代社会はどこに向かうのか」。見田さんは、この問いに長年向き合い、同タイトルの近著(岩波新書)でも未来への展望をつづられています。

 

わたしたちが生きている子の社会が、基本的にどういう方向に向かっているのかということは、以前は当たり前の児として決まっていました。

たとえば、明治・大正・昭和期までの日本人にとって、社会は基本的に、無限に「近代化」してゆくものであり、世の中は物質的にどんどん豊かになっていくということが、安心して前提されていました。

しかし、20世紀の終わりくらいから、この前提は根本から揺らぎ始めて、安心して依存することのできないものとなった。現代社会が「どこに向かうのか」というといが、せつじつな「もんだいとして問われるようになりました。

このことは、日本だけでなく、地球上の人間の全体を見ても言えることです。

人間が地球上に出現したのは何十万年か前ですが、1年前になってやっと、人口は500万人くらいになります。紀元前1000年には5000万人。紀元1年には2億人から3億人くらいと、この頃になって人間は爆発的な増殖を開始して、地球全体を覆います。

ところがこの加速度的な人口増加は、20世紀の終わり近くなって、突然反転現象を開始します。         正確に言うと1970年前後ですが、世界の人口はそれ自体はまだしばらくは増加し続けますが、増加率は減少に反転するのです。

これは、何十年もの人間の歴史の中で初めてのことであり、20世紀末の展開が、人間の歴史の中でどんな大きい曲がり角であったかが分かります。

この突然の反転がなぜ起こったのか。この点には明快な理論的な説明があります。生物学でいう「ロジスティック曲線」というものです。

ある環境によく適合した生物種、たとえばある森の環境条件によく適応した昆虫種は、森の環境条件が許す限り、どんどん増殖します。しかし、いつかは環境条件の限界に到達するので、この限界を無視して「征服」というモードに固執して増殖し続ける昆虫は、当然滅亡します。

しかしここで、幽玄な環境条件との「共存」というモードへの切り替えに成功した昆虫類は、永続する生存の軌道に乗ることができます。ロジスティック曲線でいう、第Ⅲ局面への移行です。(略)

つまり、環境上演に最も適応した生物種は、最初の穏やかな環境という第Ⅰ局面から加速的な(時に爆発的な)増殖という第Ⅱ局面を経て、環境との「共存」という、永続する幸福な高原である第Ⅲ局面に入ります。

紀元前1000年以後の爆発的な増殖と繁栄によって、地球という環境条件の限界にまで到達した人間は、「ロジスティック」の法則に従って加速度的な増殖を停止しました。

人間は今、地球という環境条件に対する「征服」と「搾取」という敵対的なモードを誇示し続けて、破滅して個々のいくつかの生物種の道をたどるか、あるいは、「共存」のモードに切り替えて永続的な生存の地平に入るか、という岐路に立っています。

 

地球環境の有限性に向き合い

「征服」から「共存」へ転換を

 

軸の時代Ⅰ/軸の時代Ⅱ

カール・ヤスパースが人間の「歴史の起源」として着目する〈軸の時代〉とは、世界の大思想、大宗教が相次いで出現した次代で、彼らはこれを紀元前800年から200年までとしていますが、ぼくの考えでは、〈軸の時代〉はヤスパースが考えるより200年新しく、紀元前600年から0年くらいまでです。

この期間に、仏教、儒教、キリスト教という世界の大宗教と、古代ギリシャのアテネとエーゲ海をはさむその植民地ミレトス等を中心としての、世界に初めての「哲学」のさまざまの思想が一斉に出現します。

紀元前600年ごろに出現し、急速に普及した貨幣経済システムが成熟し、それ以前の村々などの小さい共同体のうちに安住していた人々の人生は、この突然開かれた世界の「無限」という真実の前に戦慄し、「無限」という真実を理解して生きる思想を求めました。

貨幣経済を機動力として、人々はこの「無限」と思われた世界を征服し搾取し続け、この宇宙の中で唯一であるかもしれない繁栄を謳歌しました。見てきたように、20世紀後半になってこの惑星の限界が明らかとなり、300年前にこの世界の「無限」という真実の前に恐怖し戦慄した人間は、今、この同じ世界の「有限」という真実の真に恐怖し戦慄しています。

〈軸の時代Ⅱ〉というべき、21世紀の思想の根本課題は、世界の「有限」という真実への対応であるといえます。

これが人間という生命種にとって、世界に対する征服と搾取のモードから、世界との「共存」と云への切り替えによる、ロジスティック曲線の第Ⅲ局面への移行という課題と同じものであるということは、いうまでもありません。

 

 

現代資本主義の輝きと矛盾

――際限なく利潤を求める資本主義は近年、行き詰まりを見せています。見田さんは、資本主義の「光」と「病み」の両方を捉え、双方を「みはるかす」統合の視点をもって思考を紡いでこられました。

 

先ほど述べた、人間の歴史上得初めてとなる大きい転換の具体的な構造については、現代資本主義の輝きと矛盾ということで、きちんと押さえておこうと思います。

20世紀の終わり近くまでの世界は、知られているとおり、「資本主義対社会主義」という東西に大陣営の「冷戦」の時代といわれています。この時代までの「古い資本主義」は、生産力の限りない発展に需要の方が追い付かず、ほぼ10年ごとの「恐慌」を繰り返し、この恐慌を割けようとすれば、「戦争」という非人道的な仕方で、大きい需要を作り出すほかはなかった。資本主義は「死の商人」として、社会主義の側面から非難されていました。

しかし、20世紀後半の資本主義は、情報化と消費化の力によってこの「古い資本主義」の矛盾を乗り越えて、長く続く繁栄の時代を実現しました。

「車は見かけで売れる」ことを信じたGMの、フォードに対する勝利は典型的なエピソードですが、デザインと広告とクレジットという「情報化」と「消費化」の連動する力によって人々の欲望を無限に開発することを通して、限りない需要を資本主義が自ら作り出し、恐慌を避け永続する繁栄のいく十年かを20世紀後半には実現し、社会主義との競合にも勝利して、幾十年もの資本主義的な繁栄の時代を実現しました。

この「情報化」と「消費化」の連動による、欲望の繁栄という「資本主義のユートピア」は、無限であるように見えたのですが、実は矛盾がありました。このユートピアは、人間の欲望の無限の開発とこれに対応する生産の無限ということがその内容ですが、実はその起点における障害の無限ということは、現実には地球という惑星の資源という有限性の限界に到達してしまい、その消費の終点においても、地球環境の汚染と破壊を通してこの惑星の有限性に到達してしまった。

3000年前、貨幣経済の力によって世界の「無限」の中に人生を投げ出され恐怖した人間は、この「無限」という現実に対応する思想と貨幣経済の力によって、惑星環境を征服し搾取し尽くした結果、最終的かつ現実的に、この惑星環境の「有限」性に到達し、この世界の「有限」性という現実を直視し、乗り越える思想とシステムの確立という、切実な課題の前に立たされている。

欲望を押し進めて世界を征服し搾取するのではなく、欲望の方を世界に合わせるという「仏教的」な行き方に対しては、ぼくも子どものころは反発していたのですが(笑)、よく考えてみれば、世界の「有限」が明らかとなった第Ⅲ局面においては、この方がはるかに合理的なのです。学生運動をやっていた頃、「きみと世界との戦いでは、世界に支援せよ」(注)という言葉があって、かっこいいと思っていましたが(笑)。

 

 

〈幸福感受性〉というキーワード

――コロナ禍や気候変動と言って地球規模の難局に直面する現代社会の先に広がる世界を、「高原の見晴らし」と表現されています。子の見晴らしを切り開くために、私たちが持つべき思想や心構えについて教えてください。

 

「史上空前の」「未だ経験されたこともない」という災害や異常気象の報道が、毎年のように見られるようになりました。つまり、人間という生命が幾十万年も前、安心して、その上で生を続けてきた安定した循環の軌道が壊れて、未知の不可逆的な解体の軌道へ、落ち込み始めているということです。

人類がこれまで安心して前提し、依存してきた地球という惑星の、安定した循環という前提が解体しょうとしているということが、ロジスティック曲線の第Ⅱ局面の終わりに立っているということでした。

人間の歴史のこの大きい岐路に、実際にこれからの歴史を担う世界の若い世代は、どのような価値観をもち、どのような生を選ぼうとしているのでしょうか。

1980年代以来行われてきた大規模な「世界価値観調査」は、驚くべき結果を示しています。80年代に世界で最も早く経済成長課題を完了して、脱高度成長社会として成熟してきた西・北ヨーロッパ(フランス、イギリス、ドイツの旧西独地域、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)の地域では、若い世代の間で「非常に幸福」と感じている人々が、着実に一貫して増え続けてきたのです。

この世代が、具体的にどのようなことに「非常に幸福」を感じているのか、2010年にフランスで行われた、若い世代の「非常に幸福」の内容を追求して問う調査は、さらに考えさせられる内容でした。その「非常に幸福」の具体的な内容は、カフェでの友人たちとの会話、波に飛び込む身体の感覚、背中に触れる恋人の指の感覚、樹々を渡る風の感触、夕食後の家族の会話、等。特に新しく「現代的」な幸福のかたちがあるのではなく、身近な人間との交流や、自然と身体の感覚など、人間の歴史の中で以前からよく知られている、〈幸福の原層〉ともいうべきものばかりでした。

同時にそれらは、大規模な世界環境の搾取を必要とすることもなく、大規模な環境の汚染解体を帰結することもないものばかりでした。

世界に対する限り内「征服」と「搾取」という第Ⅱ局面から、世界とその「共存」という第3鏡面への移行は、欲望の方を世界に合わせるというものですが、それは決して「禁欲的」「抑圧的」なものではなく、他者や世界との交流と交感のうちに敏感に克服を感じ取る、〈幸福感受性〉の獲得というべきものでした。

この〈幸福感受性〉の解放と、〈単純な至福〉の実現ということが、世界との「共存」の局面への移行にとっての実践的なキーワードであると、ぼくは考えているのです。

 

注 チェコ出身の作家カフカ(18831924年)の言葉

 

みた・むねすけ 日本を代表する社会学者。1937年、東京生まれ。東京大学名誉教授。専門は現代社会論、比較社会学、文化の社会学。東京大学大学院博士課程単位取得退学。東京大学大学院総合文化研究科教授、共立女子大学教授を歴任。主な著書に、『現代社会はどこに向かうか』『現代社会の理論』『宮沢賢治』『まなざしの地獄』ほか。真木悠介名義の著作に、『気流の鳴る音』『時間の比較社会学』『自我の起源』ほか。著作集として、『定本 見田宗介著作集』(全10巻)、『定本 真木悠介著作集』(全4巻)がある。

 

 

 

【危機の時代を生きる】聖教新聞2022.1.7






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Last updated  May 1, 2023 07:27:47 AM
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