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カテゴリ:文化
工樂松右衛門 近世の海に挑んだ窮理実践の生涯 神戸学院大学 経済学部教授 松田 裕之
南北に長く、中央に峻厳な山脈が走る日本列島。陸上交通網が未発達な江戸期、物流の主役を担ったのは、海流と風を動力とする大型和船=廻船である。 船舶往来手形で各地の湊に出入り可能な廻船は、陸運を遥かに凌ぐ速度で、大量の物資を長躯輸送できた。その反面、時々刻々変化する天候・風浪・潮流の影響で、予定以上の航行日数を要することもあった。 円滑な海上輸送の実現には、自然をときに活用しときに克服する工夫が欠かせない。これに生涯を捧げたのが、工樂松右衛門(一七四三~一八一二)という人物である。 松右衛門は、播磨国加古郡高砂(現・兵庫県高砂市)に生まれた。やがて西国有数の海運拠点・兵庫津(現・兵庫県神戸市兵庫区)で、御影屋を名乗って物産取引に従事しながら、海事百般の際を存分に発揮していく。 まず、廻船の動力たる風を効率的に捕捉できる帆装を開発。柔軟性・速乾性・耐久性に優れた一枚檻の帆布は、「松右衛門帆」の名で廻船業者の人気を博する。松右衛門はこの帆布の製織法を秘匿せず、教えを請う者に惜しげもなく伝授。その普及をもって海上輸送の利便を高め、民益向上に資することを本意とした。 ついで、港湾普請用の船舶や工具を考案、これらを駆使して各地の港湾整備に尽力する。大量の物資を積んで広大な海域を航行する廻船には、日和・潮待ちの施設が必要不可欠となるからだ。松右衛門が普請に関わった港湾は、故郷の高砂湊、備後鞆津(現・広島県福山市鞆地区港湾域)、伊予宇和島奥浦(現・愛媛県宇和島市吉田町奥浦)から、遠くは蝦夷地と呼ばれた箱館(現・北海道函館市)やエトロフ(現・北方領土択捉島)にまで及ぶ。 「工樂」とは、蝦夷地築港を命じた公儀が「工夫を楽しむ」かのような仕事振りを称えて、松右衛門に与えた姓なのである。 拙著『近世海事の革新者 工樂松右衛門―公益に尽くした七〇年』は、既存の研究成果を精査すると同時に、松右衛門御子孫の工樂善通・隆造両氏の支援と協力のもと、工樂家伝来の秘蔵文書と未公開の図版史料をふんだんに活用して、松右衛門の生涯を等身大で描き出した。 商品経済が目覚ましい発展を遂げた江戸後期、窮理実践と公益増進に専心した松右衛門の人生=小文字の歴史(ライフヒストリー)と、自由競争の台頭による民衆の覚醒が伝統的な身分秩序や商慣行に動揺をもたらしつつあった国情=大文字の歴史(ナショナルヒストリー)が、帆布の革新や港湾整備といった海事市場の出来事を接点として重なり会っていく。 こうした個人と社会のあざなえる縄の如き相関を常に意識しながら執筆した点で、拙著は神格化・英雄化に走りがちな文学作品や、経済利益優先の地域振興(まちおこし)型顕彰とは明確な一線を画する内容となっている。 飽くなき理の追求が導く創意工夫、そして目先の利に囚われぬ無私な行動によって、内海海運の時代を先導した工樂松右衛門の七〇年の生涯に、私たちはいまこそ注目すべきではないだろうか。 (まつだ・ひろゆき)
【文化】公明新聞2022.5.29 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 7, 2023 06:19:07 AM
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