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カテゴリ:心理学
負けられぬアトムの苦悩と、父親考 最上 悠 もがみ・ゆう=精神科医
事故で失った愛息の代わりとして天馬博士に作り出された鉄腕アトムは、思い通りに育たぬと愛想を尽かされ見捨てられる。幸いにも育ての親に救われた彼は、正義の為に戦い続け、人々の称賛を得ていく。そんなアトムの姿が私には心を患う方と重複して見える。 心の病の根源には、「負けられない」という価値観が大きく関わる。次こそは勝てると引き際を見失うギャンブル依存、一度ついた「女の序列」を裏技で逆転をすがる買い物依存や美容整形・ダイエット依存。弱者攻撃で己の弱さを取り繕うDVやハラスメント。わずかな失敗すら恐れ、身動きのとれぬ不安症候群やひきこもり。大切な存在を失った時、〝泣けば本当の別れが来る〟と抗うことも、刹那の安堵と引き換えに大きな不適応を生む。 人が自己嫌悪・羞恥心・劣等感・虚無感など犬猫の動物には感じられない苦悩を生む人工感情を生じるのは、本音感情があまりに苦痛な時に無意識に蓋をするためだと考えられている。どんなに苦痛な本音感情でも一度感じ切れば消え、役割を失った人工感情と共に消退する。「深い悲嘆が、心の愁いを洗い流す」というのは行動科学の知見であり、古くは釈迦の教えにも蘇る古今東西の癒しの黄金律である。本音感情のひとつである敗北感の否認も、無限に苦悩の人工感情を量産していく。負けず嫌いは、悔し涙の後に立ち上がる時こそ意味があり、弱さの否認は成長の邪魔しかない。振り返れば、「一億玉砕」も「負けられません」の反動であった。現代社会は男性は勿論、一見多く涙する女性でも心底悲嘆ができない者は少なくない。柳田国男は『涕泣史談』で、古代万葉の世から涙してきた日本人は、いつしか文明化と共に泣けなくなったと記す。 医学的に人は一人で感情を深く感じ切れず、他者の共感を要する。その力を育むのが、弛まぬ親からの共感だ。なのに親の顔色ばかり窺い、本音を押し殺し「いい子」を演じ育ったアトムのような子は、遅かれ早かれ行き場を失った衝動が内に向けば心の病、外に向けば問題行動として爆発する。 近年、治療困難な精神疾患患者ほど、ありのままの感情を重要な他者、特に親が丁寧に傾聴・共感を重ねることで根治すら可能という驚異のエビデンスが示されている。勝ちを称える他人は多くとも、いくら負けても見捨てぬ親以上の存在などない。負けても見捨てられぬと安心できた子には、自然と未来に視界が開け、失敗を恐れず挑戦する強さが培われる。 今、子の生き詰まりに悩む親御さんには、この年齢など関係なく傾聴・共感の有り様を変えることが大きな改善の一歩となることを知ってほしい。中には八十代の親が変わり、五十代のひきこもりが立ち直ったケースすらある。 アトムは、「いい子」として人々のために玉砕する悲惨な最期を迎える。愛息の死別に抗うが如くアトムを生み一時の安堵を得ても、ありのままの我が子を愛せずに捨てた身勝手な父親と、「強さ」と「いい子」を追い求めた負けられぬアトムの苦悩を、母親に子育てを押しつけ、行き詰った我が子の心の治療の場に顔すらも出さずに逃げ回ることが多い身勝手な父親の多い日本の臨床現場と重ねた時、心を痛めずにはいられない。
【ずいひつ波音】May2022潮 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 13, 2023 06:16:55 AM
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