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一九三九年 誰も望まなかった戦争 フレデリック・テイラー著、清水 雅大訳
破滅に至る平時の感覚を描く 京都大学教授 佐藤 卓己評 第二次世界大戦前後、すなわち一九三八年九月のスデーテン危機から翌年九月のドイツ軍ポーランド侵攻までの一年間、イギリスとドイツの「普通の人びと」が残した日記、手紙、回送など自己語り資料(エゴ・ドキュメント)を駆使して描いた社会史の傑作である。本書執筆の動機をイギリスのドイツ現代史家はこう述べている。 「最終的には破滅へと至る時代を〝普通の〟人として生き抜くことは、どのような感覚を伴っていたのだろうか?」 この問いは原著刊行の二〇一九年(第二次世界大戦勃発八〇周年)よりも二〇二二年現在の方が切実なはずだ。ドンバス地域でのロシア系住民保護を口実としてウクライナに侵攻したプーチン大統領に、ドイツ系住民保護を唱えてチェコスロヴァキアにスデーテン地方の割譲を迫ったヒトラーを重ねてイメージする人は多い。チェンバレン英首相が「平和のために」ヒトラーが譲歩した一九三八年九月のミュンヘン協定の記憶が呼び覚まされるからだ。この「平和」の一年間で、ドイツのユダヤ人は「水晶の夜」に虐殺され、チェコは保護国化され、ポーランドは国境の修正を求められた。ミュンヘン協定は第二次世界大戦へ突き進む回帰不能転(ポイント・オブ・ノーリターン)である。いま欧米諸国がロシアへの妥協を拒否してウクライナへ全面的な軍事支援を続けるのは、ミュンヘンの過ちを教訓としているためだろう。 それにしても、「誰も望まなかった戦争」という副題は誤解を招く可能性がありそうだ。著者も十分自覚しており、冒頭でこう説明している。「第二次世界大戦が始まったとき、人びとのあいだには、四半世紀前の第一次世界大戦が始まったときに見られたような、広範囲にわたる戦争熱の爆発は起こらなかった」 若きヒトラーも第一次世界大戦勃発時には、「戦争熱の爆発」に身を委ねて街頭に飛び出している。総統ヒトラーでさえ、イギリスとの全面戦争を望んでいたわけではない。それを裏付けるべく、伝統学が依拠する外交文書や政治指導者の発言には十分に目配りしている。 しかし、本書の読みどころは何といても「普通の人びと」の実感である。個人の日常生活のミクロな感覚を国際政治のマクロな動きにつなぐメディアとして、大衆新聞の三面記事、流行の娯楽映画、ニューメディアだったテレビ放送(ドイツで一九三五年、イギリスで翌三六年に開始)などのデーターがふんだんに使われている。 危機の時代の日常性に著者が固執するのは、陰田ビュースタ戦争経験世代が「戦争の記憶と比べて、平和な時期のことはほとんど覚えていない」からだろう。当事者にとって、戦争体験は忘れることの方が難しいはずだ。しかし、私たちが次の戦争を本気で回避しようと思うなら、「平和な時期のこと」を正しく記憶しその変質を吟味するべきである。そのためにも、破滅に至る平時の感覚を描く本書から学ぶことは決して少なくない。 ◇ フレデリック・テイラー 1947年、英バッキンガムシャー生まれ。ゲッペルスの日記を編集と英訳を手掛け、欧州とドイツ現代史の研究所を多数刊行している歴史家。
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Last updated
February 10, 2024 05:33:52 AM
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