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February 19, 2024
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カテゴリ:心理学

相手に溺愛されたい欲求

心理療法家「まどか研究所」主宰  原田 広美

前回から、ロンドンから帰国後の漱石が作家になる前の、妻・鏡子との生活を題材にした『道草』を取り上げている。これは晩年の作品だった。

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』のユーモアから始まり、テンションの高い恋愛話を軸に、精神的な苦悩や死までを描いた漱石にとって、題名どおり道草的な作品だったのだろうか。

とは言え、自然主義の作家をも唸らせたのは、前に書いた通りである。

鏡子は、漱石の神経衰弱が下地にあった癇癪をはじめは「至らない人間が起こすもの」と見下していたが、やがて「心の病」だと理解した。

その時に鏡子は、当時の漱石の探偵妄想を含んだ突飛な行動や、そうでなくともオリジナリティーの際立つ考え方や、物言いに対しても、気持ちの整理をしたのではなかったか。

それに対して漱石は、鏡子の発作千紀な身体症状としてのヒステリーに、「大いなる不安」を感じつつも、不安の上に「より大いなる慈悲の雲がたなびく」ような気持ちをもって、看病をした。

『道草』では、漱石自身がモデルの健三に、「弱い哀れなものの前に頭を下げ、出来る限りの機嫌を取った。細君も嬉しそうに顔をした」と言わせている。

だが、もし細君の「憐れな弱さ」を日常でも感じたのであれば、「やさしい言葉」もかけられたのに、ともある。

つまり細君は日常的には気丈夫で、健三は「いつも見下されている」思いをしていたらしい。

鏡子自身は、実は夫からも父のように溺愛され、保護してもらいたかったようで、「泥棒だろうが、詐欺師だろうが、……ただ女房を大事にしてくれれば、たくさんなのよ」とも言う。

私は女性として、鏡子の気持ちが、よく分かるような気がする。

一方、漱石にも「溺愛されたい」気持ちがあった。それは、『道草』にも登場する擬父母から、幼年期に溺愛を受けた思いでは、コミュニケーションの土台にあったからだろう。

漱石には、「自分は妻子をあやせない」という自覚があったようだが、そこにも「まず自分が相手に溺愛されたいのだ」という、こだわりのトラウマが感じられるのだ。

 

 

【夏目漱石、夢、トラウマ―29―】公明新聞2022.10.14






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Last updated  February 19, 2024 03:31:00 AM
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