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February 19, 2024
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21植物に見る生命の形

摂南大学農学部長  久保康之さん

 

皆さんは「生命」と聞き、何を思い浮かべるでしょうか。

自分自身や家族、身近な人々……。それも生命ですし、動物園に行けば、ライオンやゾウ、キリンなど、多彩な生命の形に出会うこともできます。また昆虫も生命ですし、畑の土地を1㌘とれば、そこには20億もの微生物がいるとの報告があり、その一つ一つも生命です。

そう考えると、この地球は生命にあふれています。

私の専門は植物病理学ですが、植物も生命です。近年、生命科学の発展によって、植物がウイルスや細菌などの病原体に対し、どう立ち向かっているかのかが分子レベルで明らかになり、そうした研究を通し、私は植物が持つ生命の力を感じました。その一方、生命は知れば知るほど不可思議な存在であると感じずにはいられません。

今回は、私が研究対象とする植物を中心に、生命とは、どのようなものかについて迫ってみたいと思います。

 

 

五感に通じる機能

私たちが日々の生活で目にしないことはない植物。この植物には、さまざまな機能が備わっています。

例えば、植物の一番の特徴は、細胞内に葉緑体を持ち、光合成をしてエネルギーを得ることですが、その光合成に欠かせない光や水、二酸化炭素の濃度を感じるセンサーがあります。

それ以外にも、周囲の振動や圧力、磁場、化学物質なども感じ取っていることが分かってきました。光のセンサーを視覚、振動のセンサーを聴覚、また圧力を触覚、化学物質を味覚や嗅覚と考えれば、人間の五感にも通じる機能を備えているということです。

また植物は、感じ取った情報をもとに、さまざまな反応を起こします。

外注に食べられたときには化学物質を放出し、近くの仲間の天敵を呼び寄せたりして、自分や周囲を守ろうとします。

病原体からの攻撃に対しては、動物とは違い、植物は動けないことや、動物のような循環器系がないことから、細胞単位のいわば局地戦で立ち向かいます。この時、植物は病原体の表面を形作る構造、例えば、細菌だと鞭毛、ウイルスだと粒子を構成するタンパク質を認識し、人や動物で言う炎症のような反応を起こして病原体を撃退します。

じっとしていて優しそうな植物ですが、周囲の環境を認識して応戦する〝たくましい力〟は、人間と変わりません。

 

 

ウイルスなどの無生物も含めた

複雑な絡み合いで

成り立ってきた生物の進化

 

 

 

動物との曖昧な境

こうした多彩な機能を備える植物ですが、動物に比べるとその動きは微笑で、植物と動物が、とても同じ生物とは思えない方もいるでしょう。

しかし、この植物と動物の境界を突き詰めると、実はそこには、どちらともいえない〝曖昧な世界〟が広がっているのです。

そもそも、現在のような植物と動物に進化する以前、少なくとも6億年前までは、単細胞生物である共通の祖先が存在し、そこに境界はなかったと考えられています。

その後、植物の祖先は、後に葉緑体として機能するバクテリアを取り込み、光合成によってエネルギーを生み出せるようになりました。そのことで、〝活発に動いて〟食べなければエネルギーを得られない動物の祖先とは違って、〝動かない〟奉公に進化したと考えられています。

その〝名残〟は、今日でも見ることができます。

一例はユーグレナ(和名はミドリムシ)で、葉緑体を持ちながらも、鞭毛を使って動き回る単細胞生物として知られています。また、海に生息するウミウシにっしゅは、餌ともなる藻に含まれる葉緑体を自らの体に取り込み、光合成産物を利用しているということも分かっています。

さて、多くの生物学者が認める生物の定義は、次の三つの条件を満たすものです。

細胞を構成し、外界と「膜」で仕切られていること。

②生命活動に必要なエネルギーを生み出す「代謝」を行うこと。

③自ら分裂して自分の複製をつくること。つまり「増殖」することです。

この三つを満たす植物や動物、また細菌や糸状菌(カビ)なども生物になります。

一方、ウイルスは外界と仕切られているものの、感染する生物、つまり宿主がいなくては「代謝」「増殖」ができないので、生物ではありません。しかし、ウイルスは宿主の代謝能力などを使って自らの遺伝情報を複製し、ウイルス固有のタンパク質を合成して子孫を作ります。その意味では、〝極めて生物的な物質〟と言えるでしょう。

近年、ウイルスの中にも、この生物と無生物の中間のようなのが見つかりました。その一つがミミウイルスです。このウイルスの持つゲノム(全遺伝情報)は120万塩基対で、昆虫に共有するカルソネラという細菌の持つ16万塩基対より、はるかに多いことが分かっています。

また、このミミウイルスのゲノムには、生命活動に欠かせないタンパク質を合成する遺伝子が含まれています。つまり、他のウイルスにはできない「代謝」を行う可能性も有しているのです。

 

 

遺伝子の移動

さらに近年、ウイルスは、生物の進化そのものに影響を与えていることが明らかになってきました。これはゲノム解析から判明しましたが、さまざまな生物のゲノムに、ウイルスしか持たないはずの遺伝が移動していたことが分かってきたのです。

こうした遺伝子の移動は、1983年のノーベル生理学・医学賞を受賞した植物遺伝学者のバーバラ・マクリントック博士によって、1951年にトウモロコシの遺伝子の転移現象として、世界で初めて報告されています。

そして、こうした現象が同種の生物だけでなく、異種の生物間でも見られることが、今ではよく知られています。

実は、一部のウイルスには生物に感染した際、自らの遺伝子を生物遺伝子に組み込む働きがあります。それだけではありません。生物がもつ遺伝子の一部をコピーし、それを自らの遺伝子に組み込む働きも備えているのです。

そのウイルスが感染を繰り返せば、Aという生物の遺伝子をコピーし、Bという生物の遺伝子に埋め込むことも可能となります。

例えば、哺乳類の胎盤形成に重要な役割を果たすたんぱく質は、ウイルス由来の遺伝子を調べると、このウイルス由来の遺伝子由来の遺伝子とは別に、ウシやマウスといった動物の遺伝子も深く関与していることが分かっています。

こうして見ていくと、生物の進化は、生物種のここが独立して成し遂げてきたのではなく、生物間で複雑に絡み合う中で成り立ってきたことが分かるでしょう。とともに、ウイルスが単に物質的な存在ではなく、生物界で重要な働きをしている姿が、植物と動物の境界ばかりでなく、生物と無生物の境界も、実は〝曖昧な世界〟であると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

生命は関係性の中で存在

仏法の縁起思想の先見性

 

 

支え合いの世界

また生物と無生物は、臣下の観点でだけでなく、日頃から支え合いながら存在していることが分かっています。

例えば、私が研究会で訪れたことのあるアメリカのイエローストーン国立公園では、過酷な環境で生きるイネ科の植物が見つかりました。

この公演は、周期的に吹き上がる間欠泉が独特の景観をつくり出していますが、温泉が噴き出す周辺の地熱は、実に65度に達します。65度といえばタンパク質が編成し、温泉卵も作れる温度であり、本来なら植物は生きていけません。しかし、その植物に共生する糸状菌が耐熱性を与え、さらに驚くべきことに、その糸状菌を活性化させるウイルスが共生していることが分かったのです。

ここには、生物と無生物の支え合いの世界があります。

そもそも、支え合いがなければ、ほとんどの生物種は生きていくことができません。

例えば、植物の祖先は、海にいたプランクトンのような存在で、菌根菌という糸状菌と共生することで、約5億年前に陸上で生活できるようになったと考えられています。

この共生関係は、今も変わりません。植物が地中深く張る根には、菌根菌や細菌といった微生物が共生し、植物の成長に必要となる窒素やリンといった無機栄養分を渡し、逆に植物は光合成で得た栄養分を微生物に渡すことで、共生的に生きています。

人間も例外ではありません。それは人間の腸に存在する多様な腸内細菌の働きを考えれば明らかでしょう。

これまで見てきた通り、現代の科学によって、生物間の複雑な相互依存性が鮮やかに浮かび上がってきました。

仏教では、あらゆる生命が、互いに独立したものではなく、関係性の中で存在しているという「縁起」の思想を説いています。これからは、生物と無生物を対比的に捉える西洋的な考えではなく、こうした東洋の先見的な思想が、〝生命の実像〟を理解する上での土台になるのではないかと思っています。

 

 

「妙」との表現

生命は、実に不可思議な存在です。この「不可思議」ということを、仏法では「妙」と表現しますが、この「妙」の一字について、日蓮大聖人は次の三つの角度から教えられています。

「妙と申すは、開ということなり」(新536・全943

「妙とは具の義なり。具とは円満の義なり」(新537・全944

「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり」(新541・全947

これらは「妙の三義」と呼ばれます。

一つ目は「開の義」で、法華経こそが一切衆生の成仏の道を開くということ。二つ目は「具足・円満の義」で、妙法にはあらゆる功徳が円満に具わっているということ。三つ目は「蘇生の義」で、妙法には一切衆生を蘇生させる力があるということです。

私は、この「妙」の一字こそ、〝生命の実像〟を表現していると思わずにはいられません。というのも、生命の営みをつぶさに観察するほど、「妙の三義」に通じるものを感じるからです。

生命には、周囲と共生し、互いの生き抜く道を開いていく働き、つまり「開の義」に通じる要素があります。

あらゆる環境に順応していく知恵が備わり、「具足・円満の義」に通じる要素があります。そして、実にしなやかに変化しながら新たな生の力を発揮したり、次の世界へと種を存続させようとしたりする力、つまり「蘇生の義」に通じる要素もあります。

このような生命の本源的な力を、一人一人の生きる力として強めていくのが、私たちの信仰であると確信します。

あらゆる人に開かれた対話や励ましの連帯。一人一人に無限の可能性がそなわっていることを教える哲学。生き抜く力を呼び覚ます祈り――ここには、「妙の三義」を包含する実践があります。

池田先生は「生命を語る」の結びとして、「(仏法の)雄大な生命観をすべての人々の胸中に息づかせていくことこそが、やめる現代文明を蘇生させ、来るべき二十一世紀を、生命の躍動、生命勝利の世紀としていくカギになると確信し、今後もその至高なる作業をつらぬいてくことを誓い合っておきたい」と語られました。

世間を見渡せば、生命軽視の流れが強まっていることを感じます。そうした時代だからこそ、生命尊厳の思想を語り抜くとともに、生命の根本原理を説き明かした仏法の偉大さを証明しゆく研究者でありたいと決意しています。

 

くぼ・やすゆき 1956年生まれ。農学博士。専門は植物病理学。創価高校5期。京都大学農学部卒業。京都府立大学教授などを経て、摂南大学農学部教授・農学部長。京都府立大学名誉教授。中国・雲南農業大学名誉教授。2018年から1年間、日本植物病理学会会長を務めた。編著に『農学概論』(朝倉書店)、共著に『植物病理学 第2版』(文永堂出版)、『植物たちの戦争』(講談社)などがある。創価学会関西総合学術部長。副県長。

 

 

【危機の時代を生きる■創価学会学術部編■】聖教新聞2022.10.15






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Last updated  February 19, 2024 04:59:54 PM
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