本当の信仰とは・・・
岡島喬雄は、創価学会に入会した父から、信心をするように勧められてきた。 彼は、自分の幸せを願ってくれる親の心をくんで、高校二年生の春に入会した。 しかし、自ら進んで信心しようとは思わなかった。人生は自分の努力で開くものであり、信仰にすがるのは弱いからであると、彼は考えていたのである。 本当の信仰は努力の原動力となるものだ。如何なる人生の試練にも屈せぬ自身の力を引き出し、人間を強くするためのものだ。だが、岡島には、まだそれが実感できなかった。 哲学者昼ティは「信仰がなければ人生の幸福はあまりにも弱々しい土台しか持ちえない」としている。 高校を卒業した岡島は、地元の国立大学である愛媛大学に進んだ。 早速、学生部の先輩が尋ねてきて、一緒に学会活動に参加するように訴えたが、その気にはなれなかった。 彼は入学後、深い疲労を覚え、足がだるく、吐き気と下痢に悩まされるようになっていた。そして、その症状は、日を追って激しさをましていったのである。 病院に行くと、腎臓の機能障害と診断された。 やむなく五月初めに、彼は入院した。青空がまばゆい、希望の季節である。だが、彼の心には暗雲が垂れ込めていた。地の底に転落していくような思いにかられた。 日記をつけることを習慣としていた彼は、入院から六日後の日記に、こう記している。 「誰か健康を売ってくださる人はいませんか。 今まで精一杯努力して築いてきた僕の健康は、もろくも、また崩れてしまいました、ちょうど砂山が崩れるように。 欲張りは言いません。唯一つ、健康だけでいいのです」 岡島は、これまで自分の努力では、どうしようもない、運命の壁を感じた。 何度か聞かされてきた「宿業」という話が、現実味を帯びて胸に迫ってくるのであった。 そして、「宿命転換」「人間革命」という言葉が、希望の響きをもって蘇ってきた。 御聖訓には「病によりて道心はをこり候なり」(御書1480頁)と仰せである。【新・人間革命 前進15】(聖教新聞2006/03/02掲載)