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かりゆき日記

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2011.05.22
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カテゴリ:カテゴリなし
GW中の卓球の高校の練習会には
東北の被災地の学校の選手たちも何校か来ていて
閉会式のとき、そのうちの1校の先生に挨拶を頂いたのだけど
「我々は、毎日、24時間、微量の被爆をし続けながら生きています...」と
泣きたいような、そして、ぶつける事の出来ない怒りを押し殺すかのような声で
参加者に訴えかけたその言葉は
どんなテレビや新聞の報道よりも、「現実」を伝えた。
重い言葉だった。

何年か前に業界団体の視察旅行で浜岡原発を見学したことがあって
5号機の原子炉の上部が見学できるところまで行ったことがあるんだけど
確かに、その建物の窓からは、広い遠州灘がとてもよく見えていて
そして、非常時の発電機を稼動させるための燃料タンクもすぐ近くにあって
「ここに奥尻島の地震の時並みの津波が来たら、たぶん原子炉は制御不能になるな」と
なんとなあく、思ってたりもしてたのは、確かに事実。

その一方で、
日本のエネルギー事情とか、エネルギー資源に対する世界のお金の流れ方とか
そんなものを見るにつけ
現状の技術、現実的な電力需要、特に年々暑くなる日本の気象のことなんか考えると
原子力発電は欠かせないものだという認識も、けっこう強く持っていて
たとえば、事故を起こした福島第一原発の1号機の46万KWの発電量を
太陽光でカバーしようと思ったら、
最近よく設置されている施設向けの20KWの太陽光設備なら2万ヶ所以上、
浜岡5号機の138万KWとの比較なら7万ヶ所近くの設備が必要になる。
あくまでも、原発1基との比較だから、現在止まっている原発分をまかなおうと思うと
それこそ、何十万ヶ所に太陽光発電設備を設置しなくてはならず
しかもそれは1日の半分も発電してくれない。

ちなみに水力発電の多くは1基1万~10万KW程度、
しかも少なくない発電所が、夜間原子力等の余剰電力を「消費」しないと使えない
揚水式の水力発電所だったりもするし
そもそも今更あたらしい大規模な水利権を得るのは、今の日本では至難の業。

最近話題に上るようになってきた地熱発電所なんかも
出力は数千KWから最大でも10万KW。
しかも温泉が重要な各地域の観光資源である日本で
新規に地熱発電所を作るというのは、これもずいぶんと難儀な話らしい。

日本という国が安定して成長を続け、繁栄していくためのエネルギー確保の方策として
LNGという解があるのも事実だが
その輸入比率は96%、現状でも世界創需要の3割を超える量を輸入しており
日本近海のLNGやメタンハイドレートの発掘についても
なぜだかいつの間やら中国との共同開発を約束させられたり
LNGがありそうだという日本の領海そのものが近隣諸国に脅かされているのも
事実だったりする。

もちろん、今更、原発を積極的に推進せよ、なんて言うつもりはない。
原発は無いに越したことはない。
言われ続けていたコスト面においても、一度事故が起きてしまえば
算出不能なんじゃないかと思うほどの損害を
日本という国そのものに与えてしまうということを
今回の事故ははっきりと示した。

けど、短期間でそれに替わりうる有効なエネルギー確保という課題に
明確な解を示せないのが現状。

資源も、肥沃で広大な土地も、圧倒的な軍事力も、世界を揺るがす経済力ですら
今はもたない日本という国に生きている自分たちが、それでも、
過去から今日まで築いてきた繁栄の恩恵の中で生きていこうと思うとき
最低限、確保しなくてはならないエネルギーを、どう確保していくのか
そして、ついに起こしてしまった最悪の事故の被害者に、どう償い、
汚してしまった山河と、次の世代の日本人に、どう贖罪していくのか。

まったく結論の見えない重い重い課題は
もう誰にも相手にされていない菅政権、というよりはむしろ
我々、今を生きる日本人ひとりひとりに突きつけられているのではないか...

今回の震災で、日本人の(特に東北の人たちの)我慢強さ、人間性については
世界から賛辞の声が寄せられたことは、素直にうれしく思うけど
「独立国家」というものさしで、この国を見た場合
迷走し、狼狽するだけの菅政権は、もしかしたら、ある意味、
今の日本人の「象徴」なのかもしれない。
(民主党政権は国民の選挙で選ばれてるから、実際そういう言い方も間違いではない)

一身独立して、一国独立す。

原発の事故は、もしかしたら、自分ではない、誰かのせいかもしれない。
けれど
これから、どうしてくのかは
日本人である自分自身の明日の、来年の、10年後の
そして、次の世代の子供たちの
歩んでいく道、そのものとなる。

ミンシュガー、カンガー、とか、トウデンガー、ではなくて、
日本人が背負ったこの現実に
日本人として、ひとりひとりがどれだけ向き合っていくのか。

周囲の各国が、いろんな思惑を持って、そろそろ見張り始めている。





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最終更新日  2011.06.03 11:58:34
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