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片桐早希 おむすびころりん

福寿草

浜口虎二郎

孫の芳彦が妻となった菜穂子と共に、大勢の人に見送られて新婚旅行に旅立った夜、虎二郎は

自分が住む離れの家にある仏壇の前に座り、五年前に亡くなった妻に語りかけた。

「和代、芳彦は菜穂子さんと一緒に新婚旅行に出かけたぞ。たくさんの人に祝ってもらって本当に幸せ者じゃ・・・。お前も見守っていてくれたことだろう・・。」

 虎二郎を見つめる写真の中の妻は、優しく微笑んでいた。

「芳彦は嬉しさのあまり、顔がゆるみっぱなしだったが、まあそれもいいだろう・・・。これからは、菜穂子さんと二人で幸せに暮らしていくことだろう。和代、ワシは本当に嬉しいよ・・・。」

 虎二郎には七人の孫がいた。どの孫も可愛さには変わりはなかったが、芳彦は虎二郎にとって特別に可愛い孫だった。可愛い芳彦の嫁となった菜穂子に、虎二郎は渡したいものがあった。

芳彦のこと

芳彦は、虎二郎の長男の三番目の男の子として生まれた。浜口家にとって男ば

かりの兄弟の三人目だったので、周りの者にあまり注目されないという星の下

に芳彦は生まれた。離れに住んでいた虎二郎が母屋に行ってみると、居間にご

ろんとねっころがされた赤ん坊の芳彦がいた。その周りを二人の兄がどたばた

と走り回り、虎二郎は思わず芳彦を抱き上げたものだ。あのような環境で、よ

く怪我もせずに育ったものだと虎二郎は思う。アルバムの中の芳彦の写真は、

上の二人と違いとても少なく、生まれた時の写真の次に、一歳の誕生日のもの

があった。ローソクが一本立ったケーキを前にして、ほっぺたにクリームをつ

けた芳彦は嬉しそうに笑っていたが、着ている服は兄のお下がりだった。虎二

郎は、孫たちのことをあれこれと心配しないようにと、自分に言い聞かせてい

た。心配なことは山のようにある。しかし、彼らには親がいる。自分の役目

は、孫たちの健康と安全を願うことだった。これは、今は亡き妻、和代も同じ

考えであった。しかし、虎二郎にとって芳彦は自分の信念がゆらいでしまう孫

だった。

あまりに不憫じゃ・・・・・。

虎二郎は、芳彦を見るたびにそう思った。そして、いつの間にか虎二郎は芳彦

のお守り役となっていた。虎二郎にお守りをされながら、芳彦は育っていっ

た。おっとりした気立ての優しい子であった。着ている服は相変わらず兄のお

下がりだったし、学校に通うようになってから使う学用品も兄のお下がりだっ

たが、芳彦はそのことに何の不満を言うことがなかった。幼い頃から芳彦が興

味を持ったのは、生き物を飼ったり植物を育てたりすることだった。母親が料

理をする時に傍にいて、かぼちゃやスイカの種をもらい、それを庭の隅の小さ

な畑に植え自分で世話をしていた。芳彦は、虎二郎の一番の話し相手、遊び相

手だった。虎二郎は、芳彦がすることは何でも応援してきた。芳彦の喜ぶ顔を

見ることが虎二郎の何よりの喜びだった。

芳彦は、高校、大学の進学先は自分で決め、大学で農業についてもっと勉強し

たいと、虎二郎に言った。虎二郎は、芳彦に一番合った道だと思い、その決意

を喜んだ。

 大学を卒業した芳彦は、自宅から通える所に就職した。仕事が休みの日は、

虎二郎と和代をドライブに誘ったり温泉旅行に連れて行ったりした。虎二郎と

和代は、芳彦の思いやりに感謝し、芳彦がもうすぐお嫁さんになる人を連れて

きて自分たちに会わせてくれるだろうと、その日を楽しみに待っていた。しか

し、二人の期待はなかなか、かなわなかった。30才を過ぎても芳彦にはその

ような話はなく、周囲の心配をよそに、芳彦は相変わらずマイペースで暮らし

ていた。

 そんなある日・・・・

 虎二郎が暮らす離れに、芳彦がやってきた。いつもの芳彦とは別人の様にし

ょんぼりとしていた。

「・・・芳彦、どうしたんじゃ・・・。」

「じいちゃん・・・。」

 芳彦はそう言うと、畳の上に座り込んだ。

「芳彦、どうした? 何があった?」

虎二郎はそう言うと、思わず芳彦の前に座った。

こんなにうなだれ、元気のない芳彦を見るのは、虎二郎にとって初めてのこと

だった。芳彦は今まで問題にぶつかると、弱音を吐くことなく粘り強く自分の

力で解決していた。何があったのかは全く分からなかったが、芳彦のためなら

自分に出来ることは何でもしてやりたいという気持ちが、虎二郎の胸にこみ上

げてきた。しょげかえっている芳彦にわけを尋ねると、父親の職場である研修

所で会った女性にもう一度会いたいのだが、名前も住所も分からないので、会

えるすべがないのだと、芳彦はぼそぼそと話し始めた。父親に頼めばいいでは

ないか、と虎二郎が言うと、そういうことは今はできないのだと小さな声で言

った。一体どんな大変なことが起こったのかと思っていた虎二郎にとっては、

正直拍子抜けした思いがあったが、芳彦にもやっと心を揺さぶられる女性が現

れたのだと思うといじらしくもあった。

 飼っている虫が卵を産んだと駆け込んできた幼い芳彦、自分が植えた種が芽

を出したといって虎二郎をその場所まで引っぱっていった芳彦、その時の芳彦

の輝く瞳や小さく柔らかい手の感触が思い出され、虎二郎は切なくなった。

 何とかしてやりたが・・・・・、しかし、当の本人がこんなに力を落として

どうするんじゃ・・しょげかえっている芳彦を見ながら、虎二郎はだんだん憤

慨してきた。えーい、じれったい奴じゃ、三十過ぎた男が何をぐちゃぐちゃ悩

んでおるのじゃ。しゃきっとせんかい。

「芳彦、今はプライバシー何とかいうものがあって、その人の住所や名前を聞

けないのかもしれんが、それでもお前がどうしてももう一度会いたいと思うな

ら、そんなにぐじぐじしてどうする。しっかりせい。お前はこれまでどんな難

しいことがあっても、自分の力で乗り切ってきたではないか。」
その言葉に、芳彦は目を丸くして虎二郎を見た。
しばらくの間芳彦は黙っていたが、
「じいちゃん、分かったよ。」
と小さい声で言った。それから二人は顔を寄せ合い、小声で話し合い、芳彦が会いたいという人と一緒にいた年配の女性にまず連絡してみようということになった。
「じいちゃん、ありがとう。とにかくやってみるよ。」
「芳彦、もしその年配の人が、勝手に電話番号を聞きだしたことやなんかで腹を立てたら、その時はじいちゃんがいっしょに謝ってやるからな。・・・いいか、元気をだせ。」
 三十過ぎた男に、一緒に謝ってやるなどと何とも情けないことを言ったものだと虎二郎は思いつつ、それでも出来ることは何でもしてやりたかった。
 芳彦は立ち上がり部屋を出て行こうとした。その背中にむかって虎二郎は声をかけた。
「芳彦・・・、お前が会いたがっているその人に、もしも、もう決まっている人がいたり、家庭をもっている人だったりしたら、その時はすっぱり思いを断ち切るんじゃぞ。いいな。その人はお前がずっとさがしていた人かもしれんが、そうだとしても、あきらめなければならない時はきっぱりあきらめるんじゃぞ。お前の想いを押し付けてその人が不幸になるようなことはしてはならん。」
 芳彦は、虎二郎の言葉を立ったまま聴いていたが、小さくうなづくと振り向くことなく部屋を出て行った。
 明日は源一のところに行かなければならんな・・・・。
 物音一つしない部屋で、虎二郎は思った。

松田園芸店

「おっ、虎、どうした? 久しぶりじゃな。」
「邪魔するぞ。源、相変わらず元気そうじゃのう。」
「ああ、もうこの通りピンピンしとるわい。」
 源こと松田源一は、虎二郎の幼馴染で若い頃から園芸店を経営していた。今は長男に店を任せているが、園芸の仕事は自分の天職だという信念があるので、今も毎日のように店に出て樹木や花の世話をしていた。
 日頃は頑固な職人で通っている源一も、虎二郎といる時は幼い頃の無邪気な頃に戻るのだった。
「今日はどうした? 研修所の花がまたいるのか?」
 虎二郎は自分が研修所に勤めている時、源一の店に花の注文をしていて、今は息子が引き継いでいた。
「福寿草がないかなと思ってな・・・・。」
「おっ、福寿草か? それでは何かめでたいことがあったな? 虎が福寿草を買う時は、おまえ
んちにめでたいことがあった時だからのう。」
「いやあ、それがなあ・・・・。」
 虎二郎は源一に勧められた日当たりの良い椅子に座ると、芳彦のことを話し始めた。源一は、植物に興味を持っていた芳彦にとって、幼い頃からの「師匠」であった。
「そうかあ・・・、芳彦がやっとその気になったか・・・。」
「そうなんじゃが、相手がどこの誰だか分からないんではどうしようもなくてのう・・・。」
「うまくいけばいいのう・・・。ああ、それで福寿草か・・・。虎にとって福寿草は、幸せの花だからのう・・・。」
 源一はそう言うと、煙草をくわえ火をつけると、美味しそうに煙を吐き出した。
「まあ、虎よ、あんまり心配するな。これも人の縁じゃ。芳彦も、一番良い人にちゃあんと会えるようになっておるって。」
源一はそう言うと店に入って行き、しばらくして虎二郎のところにもどってきた。
「ほれ、これを持って帰れ。ワシが選んだ最高の福寿草じゃ。」

虎二郎の想い

虎二郎は源一が選んでくれた福寿草を、離れの日当たりの良い縁側に置いた。
 ふっくらとした黄色い花を咲かせた福寿草の周りは、柔らかな光に満ちているように、虎二郎には思えた。福寿草は、虎二郎の母が好きな花だった。食べることがやっとの苦しい生活の中、母はたくさんの子どもを苦労して育ててくれた。貧しい暮らしではあったが、母は正月になると毎年福寿草を鉢植えにして家に飾った。そんな母を見て育った虎二郎は、自分の力で生活するようになってからも、福寿草を見るたびに心があたたかくなごんでくるのだった。苦労続きの母の生涯の中で、福寿草は母のわずかではあるが幸せなひとときを表す花だった。そのせいか、虎二郎は自分が家庭をもってからも、福寿草を、正月には母がそうしたように家に飾ったり、おめでたいことがあれば贈り物にしてきたりした。和代、芳彦を見守ってやってくれ・・・。
 福寿草を見ながら、虎二郎は今は亡き妻に語りかけた。

芳彦のこと
 虎二郎の想いが天に通じたのか、芳彦の願いは意外なほどすんなりとかなえられた。芳彦が必死の思いでかけた電話の相手、高階紀子は、芳彦とその女性が自然な形でまた会えるように、場所と時間を決めたのだった。レストランでその女性と再会できた芳彦は、急ぎ足で虎二郎のところにやってきた。
「じいちゃん、あの人と会えることができたよ。よかった・・・・。」
 そう言うと、芳彦はケーキが入った箱をテーブルの上に置き、
「今日、あの人・・・・、菜穂子さんっていうんだけれど・・・菜穂子さんと会ったレストランのケーキだよ。とっても美味しいから一緒に食べよう。あっ、そうだ、ばあちゃんにも食べてもらわなくちゃ。」
と言って、仏壇にケーキを供えた。そして、手を合わせなにやらぶつぶつと言っていた。それから二人でケーキを食べながら、菜穂子さんの電話番号を教えてもらったから、もう僕から電話できる、と芳彦は嬉しそうにいった。
「じいちゃん、そのレストランに今度連れて行ってあげるよ。じいちゃんが好きなドリアもピザもあるからね。」
 うん、それはなかなかよい、と虎二郎は思った。虎二郎は、ドリアやピザには目がないのだ。ピザと一緒に飲むアメリカンコーヒーが格別に好きだった。その次に芳彦は菜穂子さんと会った事を、虎二郎に話した。二人で公園に行って、白鳥や鯉に餌をやったこと、観覧車に乗ったことなどを目を輝かして話す芳彦を見ながら、まるで小学生が遠足に行ったことを話しているようじゃな、と虎二郎は思うのだった。
 ところが、芳彦が観覧車のことを話しているとき、虎二郎の胸の中にぽっと灯がともったような想いにとらわれた。
 観覧車か・・・・・。
「じいちゃん、どうした? 聞いてる?」
「おお、もちろん聞いとるぞ。」
「じいちゃんもきっと菜穂子さんが気に入るよ。それは素敵な人なんだ・・・・。」
芳彦はうっとりした眼をした。
 何というデレデレした顔じゃ・・・。こんなことでは、相手に嫌われてしまうぞ。芳彦、しゃきっとせんかい、しゃきっと。虎二郎が芳彦を一喝しようと思ったその時、
「じいちゃんの言う通りにして本当によかった・・・。じいちゃん、ありがとう・・・・。」
と、芳彦は虎二郎をまっすぐ見つめて言った。

雨の日の出来事

その日、お昼過ぎから雨が降り始めた。晴天が続いていたので、庭の樹木が一息ついているように虎二郎は感じた。源一のところに行くことを取りやめた虎二郎は、福寿草の傍で本を読みながらのんびりしていた。すると、雨のぬれた芳彦が、
「じいちゃん・・・・・。」
と言って、部屋に入ってきた。
「芳彦、どうした・・・・。」
「じいちゃん、菜穂子さんが・・・・。」
「菜穂子さんがどうした?・・・やっぱり、お前、ふられたか?・・芳彦、気をしっかり持て。」
「菜穂子さんが、僕と結婚するって言ってくれたよ・・・。」
「えええっ、そりゃホントか?」
 虎二郎は腰が抜けるかと思うほど驚いた。結婚を承諾してもらったということは・・・・、プロポーズをしたのか・・・この芳彦が・・。やっと菜穂子と付き合い始めたが、マイペースでのんびりした芳彦のことだから、結婚を申し込むのはずっと先のことだと思っていたのだった。いやあ、それは何と嬉しいことだ。
「芳彦。よかったのう・・・・、よかった、よかった。」
「うん・・・・・。」
 虎二郎と二人で仏壇に向かい手を合わせた後、芳彦は今日の出来事を虎二郎に話し始めた。
芳彦は菜穂子を誘って、剣道の試合の観戦に行った。
 剣道は、芳彦も菜穂子も高校生のときから部活でやっていたので、二人で熱心に応援した。試合が終わって外に出てみると、雨が降っていた。二人とも傘を持っていなかったので、近くのコンビ二に寄って傘を一本買った。その傘をさして、駐車場まで歩いている時のことだった。買い求めた傘が小さめだったので、芳彦は思わず菜穂子の肩に手を回して菜穂子が雨にぬれないようにした。すると、菜穂子は頬をぽっと赤く染め、うつむいた。そんな菜穂子を見た芳彦の胸に、熱いものがこみ上げてきた。そして、菜穂子に会った日から言いたかったことを、それこそ清水の舞台から飛び降りる思いで言ったのだ。
「菜穂子さん、僕と結婚してください。」
 菜穂子は芳彦のその言葉に、芳彦の腕の中で体を一瞬固くしたが、すぐに、
「はい。」
と小さいがはっきりした声で答えると、ますます頬を赤くした。
 芳彦は、体中に喜びが溢れてくるのを感じた。
 これから、この人と一緒に生きていくのだ・・・・・。
目の前の葉が舞い落ちる木々が、柔らかな光に包まれていくように、芳彦には思われた。芳彦は、何も話すことができなかった。菜穂子の肩を力を込めて自分の方に引き寄せると、芳彦はそのまま雨の中を黙って歩いた。
「いやあ、芳彦、それはめでたい、めでたい。まあ、祝杯といこう。」
 虎二郎はそう言うと、いそいそとビールを持ってきた。二人で乾杯をすると、
「いいか、芳彦、これからはもうお前一人ではないのだから、心して暮らすんじゃぞ。」
と、虎二郎の芳彦への教訓が続いた。そして、話は虎二郎が和代と知り合った頃のこととなっていた。芳彦は、ビールを飲みながら、
「うん、うん、じいちゃん、分かったよ。」
とうなづいていたが、頭の中は、結婚を承諾してくれた菜穂子のことで一杯で、虎二郎の話は全く聞いていなかった。

大掃除

「お父さん、大変ですよ、大変。」
 日曜日の早朝、虎二郎の長男の妻、夏子が大慌てで、虎二郎のいる離れにやって来た。
「どうしたんじゃ、騒々しい・・・。」
「お父さん、のんびりしている場合ではありませんよ。芳彦が今日のお昼に、お嫁さんになる人を家に連れてくるって言うんですよ。もう、びっくり。朝ご飯食べながら言うんですから、
本当にあの子ったら・・・。あら、お父さん、驚かれないんですね。」
「あっ、いやあ、起きたばかりなのでな・・・。ハハハ・・。まあ、めでたいことじゃないか。」「もう、お父さんたらのんびりして・・・。芳彦のお嫁さんになる人が来るんですよ。分かっていらっしゃいますか。」
「おお、ちゃんとわかっとるぞ。」
「家を掃除しなくちゃいけないんです。芳彦も早く言ってくれればいいのに・・・。
お父さんも掃除、手伝ってくださいね。すぐ来てください。すぐですよ。ああ、忙しい。買い物もしなくちゃならないし。」
夏子は早口でそう言うと、慌ただしく母屋にもどっていった。
そうか、芳彦は今日菜穂子さんを連れてくるのか・・・。それは楽しみなことだ。浜口家は来客が日頃から多いのだが、皆、親しい人ばかりなので、来客といっても特別なことはしないのだ。しかし、今日ばかりはそうはいかない。だが、慌ただしさの中にも、皆の表情はやわらいでいた。あの芳彦がやっと・・・、という安堵感が皆の心を満たしていた。数時間後、きれいになった居間を眺めながら、虎二郎は福寿草をここに持ってこようかと思ったが、しばらく考えた後それはやめにした。三人が落ち着かないまま待っていると、玄関の戸が開く音がして、
「ただいま。」
という、芳彦の弾むような声がした。三人は、同時に玄関にむかっていた。そこには、芳彦の傍らに緊張して立っている菜穂子の姿があった。

 松田園芸店

 店先の日当たりの良い席に、二人の老人が座っていた。
「そうかあ、芳彦が嫁さんを連れてきたか・・・・。」
「ああ、家中びっくりじゃわい。」
「あの芳彦がのう・・・・。うん、なかなかあっぱれじゃ。ようやった。」
「ああ、みんなそう思っとる。」
「それで、芳彦の嫁さんになる人はどんな人じゃ。」
「しっかりした娘さんのようじゃ。農家の娘さんだ。」
「おお、それは素晴らしい。農家の娘さんならわしと話が合うじゃろう。虎、その娘さんを早くここに連れて来い。」
 虎二郎は昨日初めて会った菜穂子のことを思い浮かべていた。まっすぐ伸びた黒い髪、日焼けして化粧気のない顔、がっしりした体格、きりっとした口元、そして、緊張しているけれど、あたたかな人柄を思わせる眼差し・・・。よく芳彦に出会ってくださった。芳彦の申し込みを受けてくれて、本当にありがとう。虎二郎は、玄関に立つ菜穂子を見ながら、心の中で語りかけていた。
「なあ、虎よ。」
「何じゃ。」
「お前、芳彦の嫁が決まったからといって、安心して呆けるなよ。」
「わかっとるわい。心配するな。」
「和代さんが亡くなってからも、お前は頑張ってやってきたんじゃからのう。」
五年前、妻の和代が先立った時、周囲の者は虎二郎が落胆のあまり呆けてしまうのではないかと心配したものだ。しかし、虎二郎は妻の亡き後も、離れでこれまでと変わらない生活を続けた。食事は時々母屋で食べたり夏子が運んできたりしたが、炊事や掃除はできるだけ自分でやった。大正時代に生まれ貧しさの中、一生懸命生きてきたという自負が虎二郎にはあった。戦争の辛さも体験し数多くの苦労はあったが、妻、子どもに恵まれ家族と共に平凡ではあるが、穏やかな暮らしを送ることができた。もちろん妻を亡くした悲しみ、淋しさはあったが、虎二郎は自分の寿命を全うすることが何よりも大切なことだという信念をもっていた。
「虎、これからも二人で今まで通り好きなことをどんどんやっていこうぞ。呆けとる暇はない。そうじゃ、今度老人クラブでカラオケに行くので、お前も来い。二人でまた青い山脈を歌おうぞ。あれは本当にいい曲じゃ。」
源一はそう言うと突然立ち上がり、張りのある若々しい声で、青い山脈を歌い始めた。そして、歌い終わると、
「上手いのう、わしは・・・・。」
と胸を張って誇らしげに言うのだった。
虎二郎が帰ろうとすると、源一は、
「虎、今日は福寿草はいいのか? 芳彦たちにやるのなら、もう一鉢持って帰るか?」
と聞いた。
「いや、いいよ。」
虎二郎はそう答えると、園芸店を後にした。離れに置いてある、あの福寿草。あの福寿草を菜穂子に渡したいと、虎二郎は昨日から考えていた。

虎二郎の計画

それからの日々は、本当に目まぐるしいものだった。
 一日も早く結婚式を挙げたいという芳彦の願いもあり、様々なことがあっという間に進んでいき、芳彦と菜穂子は大勢の人に祝福されて、新しい生活をスタートさせた。結婚式から数週間がたったある日の夜。
「もしもし、じいちゃん、元気にしてる?」
「おお、芳彦、じいちゃんは元気ぞ。お前こそ元気か? 菜穂子さんは達者か?」
「うん、元気にしているよ。」
「二人でご飯でも食べに来い。みんな、待っとるぞ。」
「そうなんだよ。僕も菜穂子も明日そうしようと話していたんだけれど、僕が明日から出張に
なってしまって、がっくりしているんだ。土、日の出張だなんて最悪だよ。」
「そうか・・・、そりゃあ残念じゃが・・・、それなら菜穂子さんは明日から一人になるのか。」
「うん、まあ、沢井の家でゆっくりしてきたらいいと思うけれど・・・、でも、じいちゃん、本当にがっくりだよ。」
「芳彦、仕事じゃ。弱音を吐くな。しっかりやれ。」
 芳彦に言い聞かせながら、虎二郎の頭の中である考えがひらめいた。菜穂子、福寿草、芳彦の不在、公園、観覧車・・・、よし、明日決行じゃ・・・・。
「芳彦、気をつけて行って来い。しっかり働けよ、菜穂子さんのためじゃ。土産も忘れるなよ。」
虎二郎は、受話器のむこうにいる芳彦に力強く言った。
翌日はよく晴れた暖かな日だった。ワシの願いが叶いそうじゃ・・・・。青空を見上げながら虎二郎は思った。虎二郎は改めて決心すると、受話器を取った。
「はい、浜口です。」
「菜穂子さん、朝の忙しい時に電話をしてすまんのう。」
「まあ、おじい様、どうされました?」
 菜穂子におじい様と呼ばれる度に、虎二郎は照れくさい気持ちで一杯になるのだが、自分が突然上品になったようで、嬉しさは隠せない。それに、電話の相手が虎二郎と分かって、菜穂子の声が明るく弾むように聞こえることも、喜びであった。
「実は、菜穂子さんに渡したいものがあるんじゃが、今日うちに来てもらえるじゃろうか。急にこんなことを言って、申し訳ないが・・・。」
「大丈夫です。今日はお休みの日ですから。」
「そうか、それは有難い。それで頼みついでに、今日連れて行ってほしい所があるのじゃ。頼みを聞いてもらえるかな。」
「もちろんです。では今からそちらに伺います。」
 よっしゃ、まずは順調、順調・・・。
 虎二郎は一人、にっこりと笑うのであった。

 観覧車

虎二郎が菜穂子に連れて行ってもらいたかった場所は、結婚前に芳彦が菜穂子と一緒に行った公園だった。芳彦から観覧車のことを聞いた虎二郎は、若き日に和代と一緒に観覧車に乗ったことを思い出した。二人が結婚する前のはるか昔のことだった。おとなしいと思っていた和代が、観覧車が動き始めると、子どものように目を輝かせ歓声をあげて喜んだことを、虎二郎はなつかしく思い出した。
 もう一度乗ってみたいものじゃ・・・。駐車場からしばらく歩いていくと、大きな池が目の前に広がった。その池の中で、白鳥や黒鳥がゆったりと泳いでいた。
「おお、これは広々として美しいですな。こんな公園があるなんて知らなかった。」
 池の向こうに観覧車が見えた。
「菜穂子さん、ワシは実はあの観覧車に乗ってみたいのです。」
「そうなんですか。私も芳彦さんと一緒に乗りました。是非乗りましょう。」
 菜穂子が笑顔で答えた。
 観覧車・・・・・、なつかしいのう・・・・。
 虎二郎の胸は、和代との思い出で一杯になった。
虎二郎と菜穂子が待っている場所に、観覧車が近づいてきた。
 若い係員が、
「どうぞ。」
と言いながら、ドアを開けてくれた。菜穂子に支えられて、虎二郎は観覧車に乗った。遊具センターは、家族連れで賑わっていた。観覧車は、大きく揺れることなく静かに上がっていく。虎二郎は思わず体を乗り出して、外の景色を見た。たくさんの遊具、駐車場の車、池で泳ぐ白鳥建物などが、どんどん小さくなっていった。
「菜穂子さん、本当にありがとう。おかげでこうしてまた観覧車に乗ることができて、ワシは本当に嬉しいよ。」
虎二郎の言葉に、菜穂子は嬉しそうに笑った。
「和代が今も生きていて、菜穂子さんに会うことができたら、本当に喜んだことでしょう。」
 虎二郎はそう言うと、空を静かに見つめた。初春の青空に、白い雲がふんわり浮かんでいた。
「和代は口数が少なく何事もひかえめでしたが、しっかり者で私をよく支えてくれました。辛いことがあっても弱音を吐くことなく、子どもたちを育ててくれました。」
「そんな和代がこらえきれずに涙を見せることがありました。和代が十二歳の時にいつもお守りをしていた妹が病気で亡くなってしまったのです。妹は三歳になったばかりの可愛い盛りでした。」
「昔のことです。充分な治療を受けられずに亡くなってしまう子どもはたくさんいました。しかし和代は可愛がっていた妹が、目の前で亡くなってしまった事に、自分が何もしてやれなかったという罪の意識が強くのこってしまったのでしょう。妹のことを思い出すたびに泣いていました。」
 虎二郎は、和代への想いがつのり、いつの間にか夢中で話していた。菜穂子は虎二郎の真向かいの席に座り、両手を膝の上に置いて下を向いたまま話を聞いていた。
「私は慰めるだけで何もしてやれませんでしたが、和代は自分の子どもが手がかからなくなった頃、自分で妹の供養をするようになりました。そのせいもあったのでしょうか、それからは悲しみも少しずつ癒えてきたようでした。いつだったでしょうか、夢の中で、妹がにこにこ笑っていたと嬉しそうに話してくれたことがあります。」
「私ももう年です。いつお迎えがくるかも分かりません。そうなったら、和代に菜穂子さんのことをたくさん話してやろうと思います。和代の喜ぶ顔が見えるようです。」

「菜穂子さん、あなたが芳彦と結婚してくれて、芳彦の幸せな顔を見るたびに、ワシはもう本当にこの世に思い残すことはないと思っとります。芳彦は、末っ子であの通り少々頼りないところもありますが、気立ての優しいこです。菜穂子さん、芳彦のことをよろしくお願いします。」
 そう言って菜穂子に頭を下げた虎二郎は、菜穂子の両膝に大粒の涙がぽとぽとと落ちていることにきずいた。
「菜、菜穂子さん、どうしたんじゃ。」
菜穂子は顔を上げた。そして、虎二郎を見つめると、
「せっかくこうしてお会いできて、私のおじい様になってもらったのに・・・、そんな悲しいことはおっしゃらないでください。」
と言うと、また下を向き、涙をこぼした。
「すみません、取り乱してしまって・・・・。」
「いやいや、ワシの方こそすまんことでした。和代のことを話し始めたらいろいろな想いがこみ上げてしまって・・・・。菜穂子さんを悲しませるつもりはなかったのです。許してくだされ。」
「いいえ、私の方こそ・・・・。」
 二人は、白鳥や鯉が泳いでいる池のほとりのベンチに座っていた。周りでは親に連れられた小さな子どもたちが、楽しそうに白鳥や鯉にえさをやっていた。
「私、泣くと顔がはれあがってしまうので、びっくりされたでしょう? みっともない顔がますますみっともなくなってしまって、ほんと恥ずかしいです。」
「何を言うんですか。菜穂子さん、あなたは少しもみっともなくないですよ。そんなことを言ってはダメだ。芳彦は、あなたに出会えるのをずうっと待っておったんです。だから、もう自分のことをみっともないなんて言ったらダメですよ。」
 菜穂子はハンカチで目頭を押さえると、虎二郎を見て恥ずかしそうに笑った。こんなつもりではなかった。菜穂子さんをこのまま帰すわけにはいかんなあ・・・。虎二郎は思案した。気分を変えねばならん・・・。
「おっ、おなかがすいてきたと思ったらもうお昼ですな。何か食べに行きましょう。」
「私、お弁当を作ってきたんです。今日は暖かいので、よかったらここで食べませんか。」
「それは嬉しいですな。ごちそうになります。」
 バッグの中から菜穂子が取り出したお弁当の中には、おむすびと卵焼きが入っていた。
「急いで作ったので、こんなものしかないのですが・・・・。」
「おお、おむすびですか。芳彦が菜穂子さんのおむすびは美味しい、美味しいとワシに何度も言っておりました。いやあ、ありがとう。それではいただきますよ。」
 菜穂子の手作りのお弁当と、目の前をゆったり泳ぐ白鳥や黒鳥の姿が、二人の心を和らげていくようだった。
菜穂子が手渡してくれた温かいお茶を飲みながら、虎二郎は自分を思って大粒の涙をこぼした菜穂子の気持ちを考えていた。ありがとう・・・。ワシのことをそんな風に思ってくれて・・・・。ほんとにそううじゃ・・・。これからも体に気をつけて、残された日々をしっかり生きるとしよう。
「菜穂子さん、ワシはこれからも元気でがんばるので、又、ワシをいろいろな所に連れていってくださらんか。」
「はい。もちろんです。」
菜穂子は笑顔で返事をした。
「それで、今度からはワシのことは、虎ちゃんと呼んでくだされ。ワシも菜穂子さんのことは菜穂ちゃんと呼ばせてもらうから。」
「ええっ、虎ちゃんと呼ぶんですか。」
菜穂子は目を丸くした。
「そうです。虎ちゃんですぞ。ワシは子どもの頃から虎ちゃんと呼ばれておったです。なかなか
人気者でしたぞ。」
「虎ちゃん・・・・。」
菜穂子はそう言うと、おむすびを手に持ったまま笑い始めた。
その明るい笑い声は、虎二郎を心から安心させた。
「あの・・・、福寿草のことですが・・・・。」
「おお、福寿草ですな。是非もらってくだされ。遠慮はいりませんぞ。」
「はい・・・、とても嬉しいのですが・・・・、でもできたら、あの福寿草は今のまま、おじい・・・あっ、いえ、と、虎ちゃんのお部屋に置かせてください。その方がおばあさまも喜ばれると思うし、私もこれからは芳彦さんと一緒にちょくちょく・・・・虎ちゃんのお部屋に遊びに行かせてもらいますので、よかったらそうさせてください。」
「・・・・・そうですか。それじゃあそうさせてもらいましょう。和代も喜ぶでしょう。」
「それにしても良い公園ですな。」
「高階さんが、あの、披露宴で歌を歌ってくださった方ですが、その方が教えてくださったんです。高階さんのお家はここから歩いて行けます。私、ちょっとお邪魔しようとおもっているので、よかったら・・・・・虎ちゃんも一緒に行かれませんか。」
「そりゃあ楽しみです。この間のお礼も言いたいので、是非連れて行ってくだされ。」
 菜穂子は虎二郎のことを、虎ちゃんと言う度に汗が出る思いだったが、活気に溢れた虎二郎には虎ちゃんという呼び方がとても似合っているように感じた。でも、虎ちゃんと呼ぶことに慣れるのはもっともっと先だな・・・・・。菜穂子と並んですたすたと歩く虎二郎の横顔を見ながら、菜穂子は思った。芳彦さんにこの話をするのは、もう少したってからにしよう・・・・。

高階紀子

そろそろまた農作業を始めようかしら・・・・・。
 一年前はチューリップの花がたくさん咲いていた畑だが、今年は夫の母が植えた花とすっかりこの地に根付いている水仙があるだけだった。昨年春から思いがけず入院、療養生活を送り、その後は体調を考慮して自宅の農作業は控えていた。しかし、幸いなことに病後の経過はよく、今までどおり仕事ができるようになっている。焦らずに少しずつ野菜や花を植えていこう・・・・。昨年は色々な人に出会った。平中さん夫妻、菜穂子さん、芳彦さん、大島さん・・・・。大島さんは今どうしているだろう。元気にしているだろうか。そうそう、菜穂子さんといえば、先日芳彦さんのおじいさん、虎二郎さんと一緒に私の家に来てくれた。披露宴以来の虎二郎さんは、元気に溢れていた。
「高階さんも今日から私のことは、虎ちゃんと呼んでくだされ。」
突然虎二郎さんからこう言われて驚いたが、傍で困ったような笑い出したいような何とも言えない様子の菜穂子さんを見ていると、何かわけがありそうだった。
「人生の大先輩である虎二郎さんを、虎ちゃんとお呼びするなど大変緊張してしまいますが、お言葉に甘えて、そう呼ばせてもらいます。それでは、虎ちゃん、お茶でもどうぞ。」
私がそう言うと、
「ありがとうございます。遠慮なくいたたぎます。」
と虎二郎さんは笑顔で答えた。
 これからどんな出会いがあるか分からないけれど、一日一日を大切に生きていこう、とあらためて思った翌日、思いがけないことがあった。

 来訪者

 春の陽ざしの中、赤ちゃんを抱いた江利さんと平中さんが車から降りてきた。
「いらっしゃい。」
「こんにちは。紀子さんに良平を見てもらいたくておしかけて来ました。」
以前と全く変わらない笑顔で、江利さんが言った。平中さんは庭師で、江利さんは平中さんの奥さんだ。私が退院して間もない頃、家の庭を三日間選定してもらった。良ちゃん、江利と呼び合いながらてきぱきと仕事をする二人の人柄に魅かれて、それからも庭を選定してもらったり、電話で話したりしている。
 二人には八歳になる良太君と、二ヶ月前に生まれた良平君の二人の子どもがいる。
「良太君は?」
「石井さんが遊園地に連れて行ってくださっています。」
 石井さんというのは、良太君が生まれた時からめんどうをみている、大の子ども好きな人だ。平中さんと江利さんは、二人とも幼い頃に両親を亡くしていた。私は庭の隅の椅子に二人を案内した。良平君は、江利さんの腕の中ですやすやと眠っていた。丸々としたほっぺがなんとも可愛い。赤ちゃんの寝顔は、どうしてこんなに安らかなのだろう。このままずうっと見ていても見飽きることはないだろう。
「良平君もお父さんにそっくりだねえ。」
私がそう言うと、平中さんの顔がほころんだ。
 二人の子どものお母さんとなった江利さんは、少しふっくりした感じだ。平中さんと一緒に戸外で仕事をしているのに、江利さんは驚くほど色が白い。
「江利さん、今もお弁当を作っている?」
「はい、忙しいけれどお弁当だけはがんばって作っています。」
「えらいねえ・・・。」
 江利さんは、お弁当作りの名手だ。江利さんの手作りのお弁当を初めて見た私は、感動したものだ。
「良ちゃんがよく食べるのは変わらないんですが、最近は良太もよく食べるようになって大変です。」
 江利さんが誰でもひきつけられるだろうと思われる笑顔で話す。横に座っている平中さんは、ぴんと背筋を伸ばしきりっとした表情で前を見ている。お侍みたいな人だなあと、私はいつも思う。お互い近況をあれこれ話していると、また車が入ってくる音がして、そして男の人が車から降りてきた。大島圭一郎さんだった。大島さんに会うのは、披露宴の日以来だ。披露宴が終わってしばらくして、今の仕事をやめて遠方で資格をとるために勉強することになったと電話をかけてきてから、私は何の連絡もしていなかった。だから、大島さんがこんなに突然に家に来てくれるとは全く思っていなかった。車から降りた大島さんは、庭にいる私達には気づかずに玄関に向かって歩き出した。
「大島さん、ここよ。」
私が声をかけると、大島さんはびっくりしたようにこちらを向き、それから笑顔になった。久しぶりに会う大島さんは、元気そうに見えた。新しい生活が順調なのかな・・・・・。私はそう思いながら、近づいてくる大島さんを見ていた。
「こんにちは。突然お邪魔して申し訳ありません。お客様だったのですね。」
 大島さんはそう言うと、平中さんたちにも挨拶をした。
「いらっしゃい。お元気そうですね。」
「何とかやっています。ちょっと実家に用があったので帰ってきました。披露宴の写真を持ってきました。すぐに失礼しますので・・・。」
大島さんは、平中さん達に気をつかっているようだ。
「まあそう急がないで、どうぞお茶でものんでください。」
私は大島さんに椅子を勧め、平中さん達に大島さんを紹介した。私は大島さんが手渡してくれた披露宴の写真を、テーブルの上に出した。
「結婚式があったんですね。わっ、紀子さん、着物姿だ。」
江利さんが興味しんしんといった感じで写真を見て言った。
「そうなのよ。がんばったのよね。」
「お嫁さん、きれいですね。打ちかけもドレスもよく似合っている・・。ね、良ちゃん。」
江利さんはそう言いながら、写真を見せた。
「おおっ。」
平中さんはそう言って、江利さんと一緒に写真を見ている。
「紀子さん、歌を歌ったんですか?」
「もう大活躍よ。練習をがんばったのなんのって。」
「ピアノ弾いている人は、この方ですか。」
「そうなのよ。大島さんはピアノの名手なんです。」
「かっこいいですね・・・。私も聴いてみたい。」
 美人の江利さんに、真正面からうっとりした目で見つめられた大島さんは、何となくそわそわした様子で、私には初めて見る大島さんだった。ちょっと笑いそうになってしまう。披露宴の思い出話をしながら、写真を楽しそうに見ている江利さんの結婚式のことを思った。この人が、白いウエディングドレスを着たら綺麗だろうな・・・・。
「ねえ、江利さんは結婚式でどんなドレスを着たの?」
 私の問いに、江利さんはほんの少し間をおいて、でも笑顔のまま言った。
「私たち、こんな結婚式はしていないんです。」

二人だけの結婚式

何ということを言ってしまったんだろう・・・。平中さんと江利さんは身寄りがなく、今日まで苦労してきたことを、私は聞いていたのに・・。しかし、どんなに後悔しても私の口から出た言葉は、もう消すことはできない。
「あっ、紀子さん、そんな顔しないでください。」
私の気持ちを察してくれたように、江利さんが言った。
「良ちゃんの仕事が増えて少し余裕ができた頃、この写真のような披露宴をしようって、良ちゃんは何度も言ってくれたんです。でも私は、もうそれはしなくていいなって思った・・・。
 十年前のあの夏の日、良ちゃんと二人だけで挙げたあの結婚式で、私は充分だったのです。」
 江利さんはそう言うと、平中さんの方を向いて、
「良ちゃん、私たち結婚した時ほんっとお金がなかったね・・・。よくあれで結婚しようと思ったよね。怖いもの知らずだったねえ・・・、ほんとに・・・。」
とおかしそうに言った。すると、平中さんは私を見て、ちょっと笑って頷いた。それは、江利さん同様、気を遣わなくていいですよ、と私に語りかけているように思えた。心に沁みる優しい笑顔だった。
「二人で結婚式をしようと決めたら、良ちゃんは私に白いワンピースを買ってくれたんです。私はそのワンピースを着て、良ちゃんは一枚きりしか持っていなかった白いカッターシャツと黒いズボンをはいて、私達は近くの神社に行きました。紀子さん、その日の良ちゃんは、ほんっと、かっこよかったです。紀子さんにも見せてあげたかったなあ・・・・。」
 うっとりして話す江利さんの横で、平中さんは照れたように笑うと鼻の下をこすった。
「神社で少し多めのお賽銭をあげて、二人で、今日結婚します。よろしくお願いしますって言ったんですが、でも今思うと、突然そう言われたあの神社の神様は驚かれたでしょうね。」
江利さんはそう言うと、楽しそうに笑った。

 立会人

笑顔を絶やすことなく、江利さんは話を続けた。それから神社で、良ちゃんとお互いに写真を撮り合っていたんですけれど、記念に二人で並んで撮りたいね、ということになって、ちょうどその時近くにいらっしゃった中年のご夫婦にお願いしました。そうしたら快く応じてくださって、すぐ私たちを撮ってくださいました。撮り終わったら女の人が、
「何かよいことがあったんですか、お二人ともとっても嬉しそうにしていらっしゃいますね。」
と言われたので、私は思わず、
「二人だけで結婚式を挙げているんです。」
と言ってしまいました。すると、女の人は、驚かれたようだったんですが、すぐに、
「そうですか・・・。白いお洋服がとってもよく似合っていて素敵ですよ。」
と言って、
「おめでとうございます。これからも今日のように、いつまでもお幸せに・・・。」
と良ちゃんと私に言ってくださったんです。
 その言葉を聞いたとたん、私は胸が一杯になって、すぐにお礼の言葉が言えなかった・・・・。
人から、おめでとうございますって言ってもらったことは初めてでした。何か言わなくっちゃって思うのに、やっぱり言葉が出なくて、涙がこぼれそうになってきて、下を向いてしまったんです。すると、その女の人のご主人らしい人が、
「母さん、私たちもこれからこのお二人のように仲良く暮らせるように、一緒に写真を撮らせてもらおうじゃないか。」
と言って、良ちゃんに、
「よろしいですか。」
と言いました。
 それから私達は、また近くにいた人にお願いして、四人で並んで写真に撮ってもらいました。ご夫婦は、私と良ちゃんのそれぞれ横に立ってくださいました。私たちがお礼を言うと、その男の人は、
「今日のおめでたい日に、私たち二人が立ち合わせてもらいました。押しかけ立会人で申し訳ないのですが。」
と笑顔で言いました。
あの時の写真は今でも大切にしまってあります。あのご夫婦はどうしていらっしゃるだろうかと、よく思います。いつか、またどこかでお会いできたら嬉しいなと思います。私達のことはもう忘れていらっしゃるかもしれないけれど・・・、私と良ちゃんには忘れられない人達です。もしお会いできたら、あの時はありがとうございました、私達はこうして元気で幸せに暮らしていますって言いたいです。ねっ、良ちゃん・・・・・。

平中家の花

江利さんの思い出話は、まだ続く。
「新婚旅行にも行ってないんですけど・・・・・、貯金ができるようになった頃、良ちゃんは江利、俺たちもどこかに行こうって言ってくれたんです、でも、その頃には良太が生まれていて、良ちゃんと良太と三人で近くの公園に行ったり、遊園地や動物園に行ってお弁当を食べたりして、もうほんっとに楽しかった。良ちゃんや良太と一緒にいられて、もうそれだけで楽しかった。良平も生まれて、今のこのままが一番いいなあと思っています。あっ、いやだ、もう私ばっかりしゃべっちゃいましたね。ごめんなさい。大島さんも驚かれたでしょう? ごめんなさいね、ほんとに。」
 江利さんは申し訳なさそうに言うけれど、やはり笑顔だ。平中さんは、いつの間にか顔がすっかりゆるんでしまった。いつもきりりとして、凛々しい人なのに、江利さんがこうして話し出すとあっという間に砂糖漬けのような表情になってしまうのだ。何度見ても面白い。
「あっ、良ちゃん、良太が帰ってくる時間だよ。もう失礼しなくては・・・・。」
江利さんはそう言って席を立つと、
「大島さん、お会いできてとても嬉しかったです。」
と言った。大島さんは眩しそうに江利さんを見ると、何も言わずに頭を下げた。
「そうそう、大島さん、もしお庭の選定をされる時は是非ご連絡ください。良ちゃんはいつもこんな風であまりしゃべりませんが、仕事はきっちり丁寧にしますので。」


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