マルコ福音書4章21節以下
また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るの
は、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に
置くためではないか。隠れているもので、あらわになら
ないものはなく、秘められたもので、公にならないもの
はない。聞く耳のある者は聞きなさい。」
日本聖公会京都教区は原田文雄司祭の事件を隠蔽し、
一旦退職した原田文雄司祭を復職させ、性的虐待に対す
る慰謝料請求裁判で係争中も常置委員長にし続けてきた
が、高裁判決が確定しても、日本聖公会京都教区は「冤
罪」という言葉を口にして、原田文雄司祭を擁護した。
そして、他にも被害者が出てきて初めて原田文雄司祭の
性的虐待行為を認め、「謝罪の記者会見」で原田文雄司
祭を陪餐停止にし、自らに減給処分を科したと発表した。
しかし、その後、「糾す会」などが事件の真相とそれ
に対する京都教区の対応を糾弾し続けて来たことによっ
て、最早京都教区は最後の砦さえ崩されようとしている。
原田文雄司祭の行為は決して「大したことはしていない」
といえるようなものではなく、また先日の宮嶋眞司祭の
発言は明らかに法律に違反している。監事に理事会の議
事録を提出することを拒否しているからだ。それだけで
はない。
糾す会:道義的には問題あるでしょう。
宮嶋氏:それは認めます。しかし、法的には問題なしで、
17年間の在職に対するものです。
監事 :道義的に問題ありなら、支払ってはいけません。
特にこの幼稚園はキリスト教主義の学校法人で約款
にもキリストの教えを前面に立てています。その目
的を逸脱している点では法規違反になりますよ!
こう言われて宮嶋眞司祭は沈黙しているが、道義的責任
を認めていながら、彼らが原田文雄司祭に退職金の支給を
決定したということは、教会として最悪の出来事だろう。
法律には違反しないが、教会の信仰からしたら大変な罪だ
ということはいくらでもある。教会は、法律的責任以上に
信仰的責任を問わなければならないところだ。
「法的には問題なしで、17年間の在職に対するもので
す」という発言は、キリスト教の聖職者として極めて重大
な過ちであることは、教派を問わず、キリスト教の聖職者
であれば、誰もが認めるところだろう。しかし、問題はも
う一つある。裁判記録には聖光教会に転任した後も、被害
者に対する性的虐待は行われていたように書かれていると
いう。もしこれが事実であれば、そして6人目の被害者が
被害にあったのが聖光教会に在職中のことであれば、最早
原田文雄司祭に退職金を支払ったことを正当化できる理由
はない。高地主教はこの点に関しても説明責任があるだろ
う。ただし、もう、見え透いた嘘はつかないようにしない
と、大変なことになるから気を付けた方がいい。