テーマ:今日の出来事(288968)
カテゴリ:感想
ブログを書いて、そろそろ15年ぐらいになる。というか、越えてた。
正直、個人ブログである以上、何を書くのも自由だとは思ってるけれども、それでも一つだけ気を付けないといけないことがあると思っていて、それは何かを、もっと言えば、それを作った誰かを叩くことだけが目的になったらおしまいだ、という話ですね。それだけは極力、避けないといけない、と思う。 例えば、ある作品を取り上げて、それらに対する感想、所感、批評をする際には本音で語るべきだと思ってて、要は「料理が美味しいor美味しくない、美味いor不味い、好きor好きじゃない」というのは、どれだけ言ってもいいし、そもそも世に出す方も何をどう言われても仕方ないことだと割りきっていかないといけないよねって。 ただ、それが行き過ぎて、作った人や店に対して「無能」とか「辞めるべき」とか「許せない」とかって叩き出すのは、それはもう違うよねって。ある事実に対して「今回のこれに関しては、自分はどうかと思う。こういう理由で」って言うぐらいに留めておかないと。感情ってどんどんエスカレートしちゃうから。 結局、料理とか物語とか、そういうものに正解なんてないからね。美味しい、面白くないの世界だから。でも、扱っている材料とか内容、料理の仕方によっては、どうしても受け手にとって好みか否かというのは出てきてしまう。 まず、前提として、万人に受けるものなんて、この世には存在しない。私、納豆好きだけど、友達はあんなもん食い物じゃねえって言うし。気持ちは分かるよ。昔、大島で皆、くさやを頼んだのに誰も食べなかったけど、私"が"全部食べたよ。臭かったけど、味は悪くなかったし。あれはあれで、ああいう物だと思えばね。あ、でも、パクチーは苦手。食べれるけどさー(苦笑) 仕方ないよね、人間だもの。そんなもんだよ、何事も。大多数に受ける受けない(売れる売れない)と正解不正解(良し悪し)に、何の関連性もない。 逆に言えば、作る方も見る方も、作者と作品をセットで考えちゃだめだよね。 好みの作品を書いてくれる作家さんを好きになるのは、人情的に自然だと思う。私だったら、北方先生や庵野監督とか、ね。 けど、嫌いな作品を作った作家や監督を叩くまでいくのは、ちょっと違うでしょって。そこまでいくとね、なんか、趣旨がずれてきてるとは、思う。 なろう小説なんかも、嫌われるのは分かるんですけど、作家叩きまでいくと、んーってなる。あげつらうのが目的になってる感じがして。あれもサメ映画とか官能小説と同じで、そういうジャンルだと思えばね。好きかどうかは別として。別にあってもええやんって。 あ、ゲーム会社の運営体制は批判されても仕方ないとは思う。"運営"が仕事だから。アコギだったり、ずさんだったり、そういうのは「なにやってんの」って言われてもね。 けど、それで、運営会社の誰それを叩くまでいっちゃうのは不味い。仕事振りに文句をいうのと、仕事している人を直接攻撃するのは、なんか違うと思う。そこまでいっちゃ、おしまいだよね。一言、残念な出来でした、不愉快です、なんとかしろって言えば済む話じゃんね。 率直に不快感を表明する、引っかかる点を指摘する。それ自体は、本来、悪いことじゃないのよ。愚痴はいいの、愚痴は。生きてれば不満は出るものだから。寧ろ、不満を募らせると健康に悪いよ。肉体的にも、精神的にも。 ただ、それが加速して相手に粘着して叩きまでいっちゃいそうだったら、気づいた時点で、もう関わること自体を止めた方がいい。 人間だから、嗜好も感情もある以上、好き嫌いはあるし、生理的に無理かどうかもある。で、それでお気持ち表明することは悪いと思わないのよね。でも、人間そのものを叩くのはお門違いじゃんね。そこはなんで自分はそう感じたんだろう、って考察する材料に留めて、許せねえ!あいつ、叩き潰す!なんて過激な方向に流れちゃダメだと思うよ。いいことないからね。その辺の線引きは、きちんと敷かないと。悪い所を叩くなら、それと同じぐらい、相手の良い所にも目を向けて拾ってやらないと不公平だよ。 ある意味、ちゃらんぽらんに生きるのが一番、楽なんですけどねぇ。なに食っても「美味い美味い」、なに見せられても「面白い面白い」って。相手にあわせて、適当にありがたがっておけば。少なくとも、言われたほうはいい気分になるでしょうし。それはそれでどうなのかなあとは思いますけど。自由意思とは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月06日 14時04分29秒
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