テーマ:徒然日記(22906)
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広島に戦前の面影を忠実に復元した橋が完成しました。
3月28日に渡り初め式が、関係者一同羽織はかま、大正15年の 落成当時のままに挙行されました。 正面から撮れず(車道に入れず)、この角度となりました。 当然渡り初め式当時の写真は真正面からで(交通規制)、その写真をネットで見つけましたが コピー出来なかったのです。 その名は 「猿猴橋」 橋名の由来は 「猿猴川に架かる橋」 からであり、猿猴とは河童の一種。 「猿猴橋」 は駅前大橋の南側次の橋です。 橋長 62,4 幅員 8,5 猿猴橋から見た駅前大橋です。 駅前大橋から見た正面、広島駅です。 広島駅周辺は今再開発で騒然としています(音はありませんよ。笑)。 駅構内自体も。 1年後には大枠で完成? って状態です。 ↑猿猴橋の直ぐ傍にある商業施設&マンションビルで、 52階建ての今内装段階、完成したら広島一の高さになります。 さて 「猿猴橋」 に戻りますが、江戸時代(始まりは安土桃山時代)当時は、 防犯上の理由により橋の架橋は制限されており、 この橋は猿猴川に唯一架けられた西国街道筋の橋となりました。 猿猴橋町は東側から広島城下に入る玄関口として、 浅野氏広島藩の参勤交代ルートとなりました。 1894年(明治27年)、日清戦争勃発、広島城内に広島大本営が設置され、 東京から行啓してきた明治天皇は 広島駅からこの橋を通り大本営へ入っていかれました。 ↑ここ迄は当然木造です。 台風、風水害で何度か架け替えられたものと思われます。 大正15年2月、猿猴橋は鉄筋コンクリート桁橋として架け替えられ、 施工業者 "妻木組" の妻木伊三郎の私費により、 金物で飾られた贅を尽くした美しい橋に仕上がり、 渡り初めには遠方から大勢の人が来たと伝えられており、 当時の絵葉書にもなっていると云う事です。 当時の自治体は意外と余裕があったのかと、その意匠に驚きましたが、 装飾部分は私費、でしたか(驚)。 橋名を記した四隅の親柱の上に、地球儀に乗り羽ばたく大きな鷲の像(吉祥)が、 欄干には猿猴二匹が向かい合って、 1つの桃を掲げている銅製の飾りがついていました。 ところがこの妻木伊三郎さんの情熱も敢え無く、金属製の飾りはその後、 太平洋戦争中に金属類回収令によって昭和18年には取り外され、 その後は石造りの本体だけとなりました。 私が見て来たのは、当然この石造りの、それも原爆を受けた(落橋は免れた) 汚なげな印象の、何じゃ、こりゃ、的なものでした。 と云うのも、直ぐ傍に併設して水管橋があり(これも破損を免れ)、 ↑ほれ、この時に水管橋がありましたね。 でも市中に水を送ると云う大切な役目を担っていた事を、かつての私は知らず、 この橋の優美だった姿も知らず、ただ秘かにこの橋を疎んじていましたね。 ↓そのままの印象でこの猿猴橋君は生き続けて、、、60数年。 地元の人がここで声を上げました。 構想、着工数年(原爆で設計図が焼失)。 平成28年3月28日に見事、故妻木伊三郎さんの無念さも 回復の運びとなったものでありましょう。 あ、当然今度は公費ですよ。 ついでに水管橋も取り外され、すっきりしました。 ↓猿猴橋町側の親柱2本の内一本。 つまり鷲が地球儀の上に乗る吉祥の像は、両方の入口に計4本あるのです。 ↓橋の途中では、次の様に多少グレードは落ちるものの やはりランプの装飾が美しいです(夜間ライトアップ)。 ↓欄干に刻まれた 「猿猴」 です。 どう見ても猿にしか見えませんが・・・ 報道では、猿猴の中に含まれている漢字の猿に因んで、何て言ってましたよ(笑)。 ↑向こうに見える市電が通る橋は、荒神橋と云い、中央に広島電鉄本線の軌道、 その両側に車道と歩道がある併用橋です。 広島にはドイツハノーバーからの車両とか、色々美しい市電が走っています。 戦後間もなくからの車両もありますし、新旧色取りどりですよ。 ↓改めて大正15年当時の面影を見てみましょう。 施工業者 "妻木組" 妻木伊三郎の心意気が天晴でしたね。 私も超久々の多数の写真投稿記述で疲れました。 でも最後に、猿猴橋に関わる感動的なある人物の漢詩を 載せなければなりません。 川辺には 「日本外史」 で著名な頼山陽が京都から広島に帰省し、 広島城下東端の猿猴橋に差し掛かった時に作った、漢詩が紹介されています。 江戸時代後期の歴史学者で大阪生まれですが、父が広島藩の学問所創設にあたり 儒学者に登用されたため転居し、城下の袋町(広島市中区袋町)で育ちました。 目頭が熱くなりました。 歴史上の人物が、今この眼前で生きている気がしましたね。 橋に歴史あり、を地で行っています。 広島は古来7つの川で成る(旧市内)と言われていて、 現在は西の二つの河が太田川放水路として、改修されて6つの河となりましたが、 そこに掛かる橋の数は、又他都市を凌駕するのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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