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カルパッチョの冒険。

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2019年01月06日
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こんにちは

私の祖父は、大型船の船長だった。父が小さい頃は家にほとんどいなく、いつも航海に出ていたそうだ。かなり質素な家だった。県の長者番付に載るくらい収入はあったそうだが、いつも帰省をするとお小遣いは2000円だった。物心ついた頃から高校を卒業するまで、毎回の帰省のお小遣いは2000円で本を買いなさいと言われ続けた。しかし、私が成人する時に祖父母からその100倍以上のお金が送られ、びっくりして祖父母に電話をすると、成人おめでとう。このお金は自由に使いなさいと。

普段は贅沢は一切せず、山口市の端に住んでいた。本当に江戸時代のような暮らしぶりだった。しかし、年に一度旅行に行ったそうで、その時は現金で諭吉が立つほどのお金を持って旅行したそうだ。父も叔父も小学校の頃から国立の付属校で学費は最小限。今思い返すとあれがお金持ちのお金の使い方かと思う。当然、祖母は専業主婦。子育てで忙しかったようだ。祖父は海軍の兵学校の出身だった。今でいう東大のようなものだそうだ。祖父は女学校しか出ていなかったため、親戚にいじめられたそうで、子供は何がなんでも国立に入れたかったようだ。幸運なことに父も叔父も国立に進学した。さらに、祖母の学歴コンプレックスはものすごく、孫にまで国立を強要してきたほどである。しかし、孫の代になると祖母の願いも届かず、皆、私大へと進学をした。祖母は相当嘆いていたそうである。

山口の田舎なんか生活費はほとんどかからない。しかも、一年の大半を船の上で過ごしたので、お金かからず。そんな親に育てられたので、父も超質素だった。母はみかん農園の娘で、私は生まれた頃から今も、みかんを一度も買ったことがない。そんな両親に育てられたので、私も質素で、基本的に大学生の頃と同じ生活をしている。お昼はコンビニ、夜は松屋、コンビニ、スーパーの半額のお惣菜を回している。

両親の旅行は、近場の温泉地で一泊であった。海外旅行は行ったことがない。母は共働きだった。専業主婦も多いが、大抵の人はパートをしているそんな時代だった。時はバブルである。父はバブルの恩恵を1mmも受けていないし、不動産で損もしていない。未だに家のローンを払っている人もいるはずである。

祖父母の時代は、女性は専業主婦がほとんど。早く子供を作り、基本結婚はお見合いである。父の時代の専業主婦は多いが、母はフルタイムで働いていた。しかし、母は父にこう言われていたそうである。家のことをきちんとやれば働いても良いと。そんな時代である。私と弟を同時に大学に進学させて時はかなりきつかったようだ。年に400万は子供の学費で飛ぶのである。相当である。

バブルがはじけ、時代は平成、そんな不況の30年も終わりを告げるがの如く、平成も今年で終わる。今の夫婦は共働きがデフォルトである。世帯年収も20年前と比べ200万近く下がった。つまり、今の40歳の給料は、30歳の時と比べほとんど上がっていないのである。そんな時代である。世帯の平均年収は550万である。中央値は500万くらいである。つまり、共働きですらそのレベルである。

もはや、祖父、両親の時代にあるような専業主婦はあり得ないわけである。専業主婦になる場合、女性の生涯平均年収が400万だとしたとする。30歳で結婚し、専業主婦になったら、向こう30年で、1億2000万円の得られるはずのお金を失うことになる。これが機会費用と経済学で呼ばれるものである。奥さんが高収入かどうかは問題ではなく、普通に働きさえすれば、1億くらいの経済価値があるわけである。理想は、旦那の給料で生活のすべてをまかない、奥さんの給料は退職まで貯金し続ければ、60歳の時点で1億円の金融資産で悠々自適な老後を送れるというわけである。

私の祖父は山口の田舎に住み、父も茨城の田舎に住んでいた。東京に住むのと比べたら、その時点で4000万くらいの削減になるわけである。これが田舎に住むメリット。田舎には高いレストランはなく、家から遠いので、飲み会にも頻繁に参加出来ない。週末は家族でイオンで買い物である。ちなみに私は生まれてから一度も家族で東京に買い物に行ったことはない。父の職場は汐留だった。父が週末は東京に行きたがらなかったからである。

田舎のデメリットは車が必須である。しかし、都会は車は要らない。23区で車を持っている人間は、アホかお金持ちかのいづれかである。世帯年収1400万以上のカップルを不動産業界ではパワーカップルと呼んでいる。タワーマンションを買うようである。離婚したら、どうなるか興味深いが、そんなところに住んでいたらあるのは破産だけである。子供の教育費を考えると絶対にペイ出来ないわけである。さらに、片方が何かのきっかけで仕事を失ったら終わる。昨日、英会話で出会った青年は昔投資銀行に勤めていたようだが、先輩が次々にクビを切られているのを目撃したそうだ。基本的にクビを切られるのは、給料が高い方からである。

私の祖父は京都に旅行に行く時に、100万以上持ち歩いたというが、その孫の私は財布に1万円も入っていないわけである。確かに京都の高級ホテルは満室である。10万もする客室がいっぱいになるのである。外国人客が多いはずである。祇園に行くと、6割以上は外人である。私の滞在したホテルはロイヤルパークホテルというホテルで、みなとみらい、汐留、広島と京都にある。みなとみらいや汐留は素泊まりで2万円前後だが、今回の京都では1万円かからなかった。ホテルは時期と曜日によりかなり値段に波がある。私一人の旅行なんか本来ユースホステルで十分である。私は39歳、普通のサラリーマンである。これが現代に生きる普通のサラリーマンの現実である。

基本、洋服はユニクロ。スーツはコナカ。これが父の代になるとスーツはすべてフルオーダー。あの時代のオーダーは1着40万くらいしたようだ。それが時代が変われば、スーツ1着5万で、1000円払うとも1着買えるわけである。当然、車も買わないし、買えない。私なんか家も買えないわけである。頭代が足りないわけである。広さにもよるが、都内で4人家族が住める家は私がいる巣鴨では6000万が最低である。40歳で6000万のローンなんか組めるわけがないのである。さらに、そんな支払い能力もない。計算してみると一瞬である。仮に金利0だとしたら、私は39歳。60歳で完済するとすると。年間300万支払わないといけないわけである。月に直すと25万。月に25万家賃を払える適正月収は、100万である。年収1200万円、今後定年するまで最低ないと巣鴨に家は買えないわけである。私の両親の時代ならギリギリいけたかもしれないが、私では無理である。文京区にある、億ションは知人曰く、両親に負担してもらっている人が多いようである。巣鴨や駒込は都内でも有数の高級住宅地がある。ほとんど知っている人はいないと思うが、家は3億前後する。私の世代のサラリーマンが買える金額ではない。

祖父の時代は終戦後で生きていくのに大変だった。父の時代は、日本の成長の絶頂を迎え、そして終焉を迎えた。私の時代は、生まれた頃から不況である。私の身の回りで景気の良い話をする人は60歳以上である。私の友人の多くが会社に奥さんの手作りのお弁当を持って行き、月のお小遣いは2-3万円である。地元の仲間と一緒に行くレストランは鳥貴族である。

私は欧米には旅行に行かない。行きたくても高すぎるからである。だから、親戚に会いに行くのも込めて、半年に一度親戚がいる広島や山口に行っている。そして京都に寄り道をして東京に帰る。欧米に1週間旅行に行くと30万は飛ぶ。30万貯めるのに一体どのくらいかかるのか。1月は親戚の家に行ったので、6万円余計に出費がかかった。6万円でもあたふたしているのである。私も20代ではないので、お金がかかる旅行は止めた。昨年から貯金を始めた。両親の時代はどんぶり勘定でも許されたし、逃げ切れたが私の世代ではそうはいかない。一般的に給料は減り、いつクビを切られるかも、いつ会社が倒産するかもわからない時代である。だから、贅沢は出来ない。それもあるかもしれないし、育った環境のせいかもしれないが、私の消費行動は新卒の頃から1mmも変わっていない。新卒の頃は役所にいたので、多少の無駄遣いはあった。今も多少はあるが、1円単位で家計簿をつけているので、さすがに大きな無駄遣いはない。

景気の良い時代を知らない私の世代。就職は超氷河期を経験し、ニートも日本に100万人もいる。一体私の世代に明るい未来はあるのか。年配の人がこういうわけである。休みはどこかに旅行に行くのか。そんな余裕はないのですよ、おっさん。と、多くの人は思っているはずである。郵便局にお金を預けていたら、10年で倍になった時代は終わり、昇給も一般的にはない。むしろ整理解雇が存在し、ブルーな時代である。今からでも遅くはない。どんな経済状態でも仕事を見つけられるスキル。日本が潰れても、どこの国でも仕事を身につけられるスキル。それを模索しつつ、質素に生きる。これが現代をどうにかして生きる術である。

今後、グローバル化が今以上に進み、雇用状況は今まで以上に悪くなる。
生き残るには勉強し、今まで以上に一生懸命働くしかない。

景気が良いと言っているのは嘘で見かけ上の株価が上がっただけである。
仕事は簡単に見つかるというのは単純労働だけである。

そんな時代だからこそチャンスがあるのかもしれない。皆、同じ景色を見ている。しかし、見える人にしか見えない、同じものを見ているはずだが、見える人にしか見えない世界がきっとあり、それを感じられたらきっとば〜〜っと世界が開けるのかもしれない。そんな世界が真横に実は広がっているのかもしれない。





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最終更新日  2019年01月06日 19時45分57秒
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