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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2017.03.25
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<作品> 漱石「それから」



・印刷資料 あり。
・「それから」予告。(M42.6.21) 朝日新聞。
・「漱石日記」が重要ポイント。

・アンニュイは、「行為」を引き寄せる。然も危険な行為になる。(非道徳)

・「檸檬」と「それから」共通性。 「檸檬」の結末と同じ箇所がある。
・「それから」は、代助は、神経を病んでいる。生の不安。
・眠りから覚める。漱石には「門」にも同じ場面がある。特別の意味がある。
・他人の妻を奪うという設定。他にもある。
・実篤 「自然と社会の対立」(背反)
・「それから」・・・運河にたとえた。
・「それから」は、構想通り書いている。成功作。
・「門」は失敗作。
・「それから」の主人公に当時の若い人たちが共鳴した。親との対立。
・世紀末の文学の表現形式アンニュイ(倦怠)が行為(危険な)非道徳。
・当時の若者に受け入れられた。他人の妻を奪う。
・生活欲・道義欲の対立・・・こういう時代から代助はアンニュイに陥る。
・何故漱石は、「代助」を書いたか。百も承知で書いている。
・親の脛かじり。何故働かないのか(平岡)。主人公にしたか?
・「小人閑居して不善を成す」
・三千代に対する思いは自然ではない。激化しないと恋愛はできないか。
・漱石の主人公は、「行為」を失っている人物。(男)。漱石に意図がある。
・インテリは行為できない。インテリ向きの小説。そういう人間もいるのも事実。
・分かりやすいようには描かない。漱石は、恋愛至上主義ではない。
・漱石は、懐手の生き方ではない。それが何故代助を書いたか。
・吉本隆明。妻を奪う行為。姦通。
・読者が、代助贔屓をつくるために平岡を悪役にした。フェアーではない。
・代助と三千代の恋愛。平岡を悪く書いている。同情されるように書いている。
・結末・・・最後を書いてない。憶測でしかない。狂人になる?異常な結末にしただけで狂気に入っていくことを意味しない。
・二葉亭訳 アンドレイーエフ「血笑記」結末が似ている。
・生の不安の表現。・・・赤に象徴される。椿の花。赤。
 
 堀麦水(近世の俳人)
   
  椿落ちて 一僧笑ひ 過ぎゆけり

・鈴蘭・・・根に毒がある。漱石はそれを知っていた。

・椿・百合。不安。
・代助・・・だけが、「誠」が抜けている。 誠之進・誠吾・誠太郎(「中庸」)
・誠の道。これを誠にするのは人の道なり。
・社会道徳に背く・・・代助。

・「三四郎」 草カンムリに「長」の語源を調べると思いがけない意味がある。





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最終更新日  2017.03.25 13:36:27
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