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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2017.12.13
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シャウエンの界隈





「平家文化」はあったのか。短い期間でしかなかったが、人びとは今も平家物語に関心を持っているのは何故だろうか。「平家物語」ではなく「治承物語」とすべきだったのだという。平氏と言わず、平家なのだろうか。源氏といっても源家とはいわない。2回に亘って講義をされた講師は、参加者の私たちに「平家文化」とはなにか、考えてくれと問われた。慣れないことだったが、私たちは5人で意見を交わして話し合った。


 ・聴くだけの聴講生である。そうではなく、平家文化をどのように考えるのか?自分に問えと言われた。平家は破れて歴史の中に消えていった。祇園精舎の鐘の声である。清盛は太政大臣までなり権勢を恣にし一族は栄えそしてすぐに滅んでしまう。それでもどこか私たちの心から消えていないのは判官びいきの故なのだろうか。


 ・へ2・・・平家が権勢を謳歌した時の当時の人たちは、どのように平家をみていたのだろうか。明確な史料はない。当時の日記の残されたもののなかに華麗な装束を身に纏った平家の公達たちの姿が、書かれているが。貧しかった貴族たちとは違い「青海波」を舞う維盛の姿は光源氏のようだったと人びとは話したとある。





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最終更新日  2017.12.13 10:25:56
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