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ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

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2017.12.15
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どれほど威容を誇る巨大な象だろうと「牙」のない象は、「大きい」だけでしかない。象は普段は温和で大人しい生き物であるが、いざという時には、地響きを上げて突進してくる。自分の死に場所を知っていて、人知れずいなくなるのだと聴いたことがある。巨大な身体を持つ物はそれだけ優位に生きて来られた。それは肉食獣から身を守ることができたからだ。その分、毎日せっせと草を食べていなければならなくなった。食べ続ける生涯だろう。そうして巨大化し、生き延びても来られた。



 ・私たち個人にも、それぞれ個性があるように、生きていられるには、それだけ特質がなければならない。活かしてくれるものがなければならない。先ず自分の体であり脳であり、環境でもある。前提条件とするそれらのものは複雑で、それこそ単純な存在ではないだけだ。そして人間の歴史がある。社会環境とも言うべきものがある。これも刻々と社会状況が変化している。自分の特徴を客観的に捉えられなければ、「コンパスのない人生」を生きて行くことにもなりかねない。



 ・へ2・・・コペルニクス的転換を感じているだろうか。時々、その針を見失う。針は大きく振れるからだ。他人を信じないのは、自分を信じないとは違う。自分を信じるから、他人は自分ほどには信じられないだけだ。他力本願が本義ではない。誰にも頼らないと自覚して生きることだろう。他人と協力することは、人間には必要な条件でもある。そうして生き延びてきたからでもある。一人の社会はない。他との共同社会で形成されている環境に生きている。自分の特徴を忘れていた。ひとりでこつこつ努力してきたのだ。視えるものはみな先生であった。









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最終更新日  2017.12.15 05:38:38
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